ビールと水〜⑬イオン成分の概論
前回からの続き
前回でpHの話は終わりです。「ビールと水」の話は多くがpHに関するもので、理解するには科学的に広範な知識が必要になります。それに対してイオン成分とか香気成分やガスの溶解とかは前提知識がそんなに必要なく気楽に楽しめるのではないかと思います。今回はイオン成分の概論を紹介します。
イオン成分
イオン成分とはなにかについては、ビールと水シリーズの第1回と第2回を参照してください。ざっくり言うと、「水分子は極性を持っているため、いろいろなものを溶解できる。溶解物の中で極性を持つものをイオン成分という。イオン成分のなかでビール屋が特に重視するのはカルシウムイオン(Ca 2+)、マグネシウムイオン(Mg 2+)、バイカーボネート(HCO3 -)、ナトリウムイオン(Na +)、塩素イオン(Cl -)、硫酸イオン(SO4 2-)」という感じです。
3つのステージ
ビールとイオン成分がどう関係するのか、ビールの製造プロセスごとに3つに分類してみるとこんな感じでしょうか。
1. 麦汁を造るのに関連する仕込水のイオン成分
2. 発酵に関連する麦汁中のイオン成分
3. 味わいに関連するビール(製品)中のイオン成分
仕込水のイオン成分
仕込水のイオン成分については、実はすでに大部分を解説済みです。アルカリ度を構成するHCO3-とか、リン酸塩と結びついてアルカリ度を無力化する役割を果たすCa 2+などです。Mash pHをターゲットまで下げるための水質調整がここでは肝になります。
ここは科学的に解明されている部分が多く、広範な知識量が必要な反面ちゃんと勉強すれば理解しやすく、かなりコントロールが可能です。
麦汁のイオン成分
麦汁のイオン成分がどのように発酵に関わっているかに関しては、よく分かっていないことも多いです。酵母の健康まで考慮に入れると複雑すぎて完全な解説は難しいと思われます。真核生物であるビール酵母は活動のために様々な物質を使います。例えば解糖系にはマグネシウムが使われるし、亜鉛は酵母の栄養分と言われて発酵を活発にすることが知られています。純水にグルコースを溶かした液体の中では酵母は十分に発酵できず、麦汁に含まれる様々なイオン成分があってはじめて健全な発酵が可能になることが分かっています。
「Water: A Comprehensive Guide for Brewers」に掲載されている表を見てみましょう。
純水(DI Water)を使って作った麦汁に含まれるイオン成分と、それを発酵させてビールにしたときのイオン成分を比較したものです。参考として小菅村の原水のデータも載せています。まず気づくのは各成分とも結構な量が麦汁から溶け出していること。塩化物イオン(Cl-)は100ppmを超える値です。マグネシウムイオン(Mg 2+)は70ppmも溶け出しています。マグネシウムはビールに苦味を付加するので、仕込水では40ppm以下であることが望ましいとされていますが、麦汁からはこんなに大量に出ているんですね。
次に麦汁とビールの数値の差分は、酵母の活動で吸収されたか放出されたものを表しています。例えばカルシウムやマグネシウムは吸収されたと考えられます。ただし、差分の数字はどれも小さいので、発酵によってイオン成分が大きく変わることはなさそうです。
次に金属イオン、カリウム、リン酸塩を見てみましょう。亜鉛が0.17ppmからゼロになっています。麦汁に存在していた量をすべて消費し尽くしているので亜鉛はもう少し入れてあげたほうが発酵にとっては良さそうですね。亜鉛は「酵母の栄養分」というのはビール業界では広く知られていますが、このデータからも裏付けができました。
発酵を促すための水質調整?
Mash pHを下げるための水質調整(主にカルシウムの添加)やビールの味わいを調整するための水質調整と違い、発酵を促すための水質調整にはあまりセオリーがありません。例えば「ベルギーの水は硬水だから発酵が旺盛だ」となんとなく言われたりします。たしかにイオン成分(ミネラル、無機物)がある程度あったほうが旺盛な発酵に繋がるようです。ただ、どのイオン成分が何ppmあれば、どの程度発酵を促進するのかということはあまり気にされません。強いていうとカルシウムと亜鉛があったほうが良いという程度で、これもおまじない的な要素が強いです。
実際には麦汁から十分な量のイオン成分が出るので、超軟水であっても発酵には支障はないと考えられます。麦芽比率が低い発泡酒を造るのでない限り、それほど気にしなくても良いのかなと思います。ビールの水質調整には「Less is Better」という一般的なルールがあって、入れ過ぎは良くないとされています。
次回へと続く
今回はイオン成分概論として、主に仕込水のイオン成分と麦汁のイオン成分に触れました。次回は、ビール(製品)中のイオン成分、イオン成分のフレーバーへの影響を考察したいと思います。フレーバーという人間が知覚する領域を扱うので科学的な話と感覚的な話が交差する領域ですね。
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