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着物が与えてくれた自信

着物が私に与えてくれた自信と、自信を得るまでの自分について書きたいと思う。

◎狙われやすかった20代

実は私は20代までは何かと「狙われやすい」人だった。狙ってくる相手が優しいイケメンだったら最高だったのだが、そうではない。狙ってくる相手は…

クレーマー
大学生のときにレンタルビデオ屋でアルバイトをしていたのだが、なぜか私のレジにばかりクレーマーが並ぶ。怒鳴られたり、難癖をつけられたり、返金や無料レンタルをさせられた。

説教おじさん/自分語りおじさん
電車の中で、最近の若いもんは…といった感じでおじさんに絡まれたり、持論や武勇伝を延々聞かされたり、時間ばかりか精神力を搾取された。

ヒエラルキー上位の女
クラスや入社同期のいわゆるヒエラルキー上位の女にバカにされることがしばしばあった。入社1年目に同期に言われた「白豆腐ちゃんは同期のヒエラルキーで一番下だもんね」という言葉を未だに根に持っている。

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単純に若くてナメられていたということもあるのだろうが、自分に自信がなく、何を言われても言い返せない弱い人間だというのがバレバレだったのだと思う。要は搾取するのにちょうどいいカモ認定されていたのだろう。

ちなみに、変な人に絡まれやすいのと同時に、人に道を聞かれることも多かった。そのことに対して「話しかけやすい良い人に見えるのはいいことだね」と褒められることも多々あったが、全然うれしくはなかった。

なぜなら、見ず知らずの人に話しかけられても、何の得もないばかりか時間や精神力を奪われることがほとんどだったのだから。

◎生い立ちとの関係

私は「あんたは何をやってもダメな子!」と毎日のように母に言われながら育った。料理の練習をしたくて手伝っても「あんたはトロいんだから邪魔!」と取り上げられることもしばしばだった。

専業主婦の母にとっては台所は城のようなものだっただろうから、その城を荒らされたくないという気持ちはある程度は理解できるが、子ども心に深く傷を残した。「私は何をしてもどうせダメなんだ…」と思うには充分すぎた。

言い訳に聞こえるかもしれないが、「自分は何をしてもどうせダメ」という思い込みは呪いとなって悪循環を生んだ。その結果、勉強も運動も苦手、人間関係を築くのも苦手、料理が全く出来ない(結婚してから夫に教えてもらった)など真人間とは程遠い大人になってしまった。

◎着物と義母からもらった自信

私の着物デビュー記でも書いたが、着物姿をたくさんの人から褒められたことで自分を好きになれた。また、義母も帰省するたびに「白豆腐ちゃんは洋服よりも断然着物が似合うわ。女優の檀ふみさんみたいなタイプ」と大絶賛してくれる。義母のこの言葉は、辛いときに何度も心の支えになっている。早い話が「こんな私でも着物を着ればイケてる!」という自信だ。

もし今後、誰かに着物姿を貶されることがあっても、心が折れたりはしないだろうと確信できる「背骨」になった。

◎着物を着られない間にしていたこと

とはいうものの、初めて着物を着てから、次に着物を着られる機会に恵まれるまではずいぶん期間が開いてしまった。普段生活をしていても訪問着を着られる機会なんてなかなかないし、そもそも乳幼児を抱えている身では現実的に難しかった。

だから、その間は「引っ越したら桐箪笥を買って、娘の子育てが落ち着いたら着物をたくさん着られる」ことを希望に毎日を過ごしていた。いつも心に着物を着ていたのだ。すると、不思議なことに上記のような変な人に絡まれることが極端に少なくなった。

◎その結果

見ず知らずの人に話し掛けられなくなった結果、寂しくなったか?困るようになったか?答えはNoだ。

あちらから話し掛けてもらえなくとも、昔の私にはない自信があるから、必要なときは自分から話しかけられるので全く問題ない。今だから断言できるが、見ず知らずの人に「話しかけやすそう」、「いい人そう」なんて思われなくていい。そう思ってほしい相手がいたら、自分の行動で示せばいいだけの話だ。

◎私にとって着物とは?

私にとって着物はただのお洒落な衣類ではない。私に自信を与えてくれ、本当の意味での大人にしてくれた存在だ。いや、正確に言うのであれば、義母や褒めてくれた人達と私を繋いでくれた触媒だ。この出会いを大切に、生涯の友として着物と一緒に人生を歩み、素敵な人達との縁を繋いでいきたい。


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白豆腐 着物×推し活
テクニカルライターをするかたわら、趣味の着物やオタ活をしています。