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研究のあり方について

私はフリーランスとして活動しながら研究をしています.私が研究のあり方について考えていること,ここはもっとよくなるんじゃないか,こうしたらいいんじゃないか,みたいなことを書いていきます.論理的な繋がりは薄い乱文雑文で恐縮ですが,ご一読いただけると嬉しいです.ご意見など随時お待ちしております.

背景と断り書き

私自身が現在のスタイルで研究しようと思った理由は色々ありますが,その中の一つとして「これがいいんじゃないかなと自分が思った研究スタイルで研究してみたいから」というのがあります.色々思っていることはあっても様々な制約からそれを実現に移すのが難しい人たちもいらっしゃるかと思います.そのような人たちの分まで,既存の研究システムから独立した立場から,新しい研究のあり方のプロトタイプのようなものを実験的に打ち出していけたらと思っています.

以下で色々書いていきますが,それは特定の誰かや組織を非難する意図はありません.例えば大学組織について批判的とも取られることも少し書きますが,個人的には大学は基本的にとても恵まれた素晴らしい環境を提供してくれていると思っています.僕自身が大学院を離れたのも決してネガティブな理由からではありませんしアカデミアは今でも私の憧れの対象です.

また,私が下で書くようなことについてすでに精力的に取り組まれている方や僕なんかよりずっと尽力されている方が沢山いらっしゃると思います.もしそのような方々が不快に思うような表現などがありましたら,表現をできる限り修正しますので,ご連絡いただければと思います.

加えて,全てのシステムには良い面悪い面があると思っています.以下では私自身の価値観に基づいて特定のシステムに対する評価を書きますので,そのシステムの評価に対してバイアスのかかった見方を提供することになってしまうかも知れません.その点ご了解いただければと思います.

私自身研究はまだまだ始めたばかりなので,色々と見えてない部分,勘違いしている部分もあるかと思います.もしそのような点にお気づきの方がいらっしゃいましたら,是非教えていただけると大変助かります.

最後に,私が尊敬する方が言っていた考え方に「何か問題があった時には原因を人に帰着させるのではなく,システムの改善を志向すべき」というものがあります.以下の文章は全てそのような意図で書かれています.ある組織で誰かが何かをしてしまった時には,その背後に必ずその行動を誘発しやすくするようなシステムが存在していると考えています.誰か個人を責めるのではなく,人のより良い行動を誘発するようなシステムを設計するためにはどうすればいいのか,みんなで考えていく叩き台を提供できればと思います.

構成

まず初めに,GitHub上で研究管理をしてみるといいんじゃないか?という話を書きます.この話はこれとして一つの話として完結していて,それ以降の話との繋がりは特にありません.興味持って一緒にやってくれる仲間を探しています!!是非ご連絡ください!

GiHub上での管理についての話以降の部分では,私が現在アカデミアとか研究のあり方とかについて思っていることを書いていきます.私自身はとても恵まれてきましたので,直接的に何か被害を被ったことはあまりないですが,他の人の話を伺う中で,こういう問題があるんじゃないかと思ったことも書いていきます.基本的に仮説ベースの話が続きますし,アイデアとかも雑なものが多いと思いますので,是非詳しい方のフィードバックなどいただけたらと思っています.

GitHub上での研究の管理

研究に携わっている方はどの方も基本的に自らの知識を共有したり他の研究者と協力することに前向きです.ただ,私はもっともっと多くの人が気軽に協力できると人類の知を生産する営みは加速するのではないかと思っています.

例えば,具体的にはもっと多くの人がgithub上で研究成果を報告するような取り組みが進むようなことがあっても良いのではないかと思っています.機械学習などでは実験のコードがgithubで公開されるようなことが行われています.しかし私が考えるのは,もう少し踏み込んで,「研究の開始から研究成果発表後までの研究過程全体をgithub上で管理できないか?」というものです.

github上で研究を管理することによるメリットとしては,以下のようなものが考えられうると思っています.

一つ目は,仕事に対するcontributionが明確になることです.研究過程のあらゆる議論や原稿に対する修正がgithub上で管理された場合,commit歴を辿ることで誰がどの部分にどのような貢献をしたのかが一目瞭然となります.最もうまく機能した場合,論文に著者名が載っていなくても,github上の履歴を見ることで,仕事に対する適切なクレジットの配分が誰の目にも明らかになります.これにより例えば,ギフトオーサーシップの問題が少し解消されるかもしれません.あるいは,共同研究において著者順をどうするか,と言った問題もなくなるかもしれません.さらには,他人の仕事の盗用といった問題にも対処できる可能性があります.これらはいずれも「研究過程において実質的に貢献をした人物の貢献が,研究成果発表時に評価されない」という問題だからです.研究過程での貢献を可視化することで,これらの問題は緩和しうる可能性があるのではないかと考えています.

二つ目は,研究の再現性向上につながるのではないかということです.ここでは少し機械学習に限った話をします.上述したように,機械学習界隈では実験のコードがgithubで公開されるようなことが行われています.しかし,「どういう時にうまくいかなかった」「どういうハイパーパラメータが重要だった」と言った研究過程での情報は成果物としてのリポジトリには抜け落ちてしまいます.リポジトリ通りの設定で動かす分には問題がないのですが,少しでも自分の実験用にコードを変更するとうまくいかなくなるということはしょっちゅうあります.そのため,おそらく元の提案者も辿ったであろう地道なパラメータ探索を再度繰り返すことになったりします.加えて,論文中に書かれていない/強調されていないヒューリスティクスが多数存在していることもあります.これは,現状の機械学習コミュニティにおいて,良い国際会議に通すために,ポジティブな結果を掲載する圧力がかかっていることにも原因があるのではないかと思っています.もし,研究過程でどのような試行が行われたのか,何が考えられ,何を試されたのかという思考過程,ある種の研究日誌が公開されることがあれば,同じ轍を2度踏む必要はなくなるかもしれません.その過程を辿ればより再現性が高く,透明性の高い研究を行える可能性があると思っています.

三つ目は,review crisisの問題に対応できうるかもしれないという点です.具体的には,完成した論文の原稿をgithub上に配置しておき,それに対するpull requestを受け付けることを考えます.これによって,publishされた論文に対するある種のpost reviewのようなものをgithub上で行うことが可能なのではないかと考えています.これも機械学習の例で恐縮ですが,現在機械学習界隈では研究者数・論文数の増加に対して査読者の人数が足りていないという問題があります.専門外の人が査読を担当し,論文の内容が理解できずrejectという冗談のような話もざらにあります.post reviewとは,論文数が増えすぎることに対して出版後の成果物に対する評価を行うことで論文の正当性を担保しようという試みですが,github上で出版後の論文を管理すれば,これが素直に行えるのではないかと思っています.

四つ目は,より多様で多くの人が一つの研究に参加しうるという点です.現在でもslackやdiscordなどで研究のコラボレーションが行われていますが,それと同じようにgithub上で研究を管理することで,多くの人がプロジェクトにコミットすることができるようになると思っています.こういう動きがより加速していけば,所属などに依存せずに多様な人が研究に参画できる社会になっていくのではないかと思っています.

五つ目は,アイデアの盗用を恐れずに未発表の内容を公開できる可能性が大きくなるかもしれないという点です.上述したように,誰がいつの時点でどのようなことを考えていたかがgithub上にログとして残ります.従って,仮に似たような内容が後から発表されたとしても,少なくともより前の時点である人も同じようなことを考えていた,という記録は残ります.ですので,自分のアイデアが誰かにそっくり盗まれることを恐れずに,他の人と知見を共有するインセンティブが発生しうる可能性があるのではないかと思っています.

ここには書ききれませんが,他にも様々なメリットがあるのではないかなと個人的には思っています.

アイデアとしては上記のようなことを考えていて,個人レベルでは今後の自分の研究をできる限り上のフレームワークに載せて行なっていきたいと考えています.一応試験的なテンプレートリポジトリを作ってみてはいて,こんな感じでできたらいいのかなというお気持ちを表現しています.しかし私のエンジニアリングの能力が雑魚雑魚なので,色々と実用に耐える感じにはなっていません.また,私自身の研究の経験も浅いので,そもそも研究用のリポジトリとしては不十分なところもたくさんあると思います.ですので,もし上記のアイデアに共感してくださって,エンジニアリングの能力がある方らいらっしゃいましたら,ぜひそういうテンプレートをどんどん生み出していっていただけたらと思っています.僕よりずっと優秀な人たちがガンガンこういう動きを進めていけば,よりひらけた学術活動がもっともっと加速度的に発展していくのではないかと思っています.もしそのような方がいらっしゃれば,私で良ければいつでも協力しますので,是非ご連絡ください.また,私自身もこういった働きかけを一緒にやっていく仲間を現在探していますので,もし興味がある方がいたらぜひお気軽にご連絡ください!!

「研究をしたいと思う人が誰しも,その社会的・経済的な背景や事情によらず,精神的・肉体的に健康に研究活動を行える」という意味での理想的な研究環境について

ここからまた別の話になります.

私が個人的に理想的だと思う研究環境は,「研究をしたいと思う人が誰しも,その社会的・経済的な背景や事情によらず,精神的・肉体的に健康に研究活動を行える」ような環境です.

そのような理想に照らした時に,必ずしも全ての研究環境がいつもそれを満たしているわけではないのではないかなと感じています.

例えば精神的な健康に関しては,大学のハラスメントの問題は今でもまだまだ根深いですし,大学院生のメンタルヘルスの問題はずっと問題になっています.経済的格差については,例えば大学院に関していうと,日本の多くの大学院は大学院生が授業料・入学費を支払う形です.また,研究室に資金が潤沢でない限り大学院生が労働者として給料をもらうことも多くはありません.それに加えて大学や大学院の入試では必ずしも親が大学院を出ているかとか経済的に苦しいかとかが合否に影響を与えません.その意味で,暗黙的に経済的に苦しい人が不利な状況になっているとも思います.

こういった問題が発生する理由は色々考えられると思いますが,ある問題が発生した時にそれが是正されていないのだとすれば,それはアカデミアのある種の閉鎖性がもしかすると一つの原因かも知れないと思っています.また,いずれの問題もお金の問題と切っても切り離せない問題だとも感じています.以下では,こういった問題たちに対して個人的に思っていることを少し書きます.もちろんアカデミアに携わっている方々は素晴らしい人たちがほとんどだと思います.私が下で書きたいのは,「素晴らしい人に当たれば素晴らしい」という属人的な仕組みから脱却して,「システムの設計上不幸な人が発生しづらい」という仕組みを実現するにはどうすべきか,という話だという点は改めてお断りしておきます.

ハラスメントなどの問題を解決する上での外部からのフィードバックの重要性について

研究室のハラスメントは解決しなければならない重要な問題の一つです.大学の一つの研究室はPI(研究室のトップのこと)とスタッフと学生という構成員からなる場合が多いと思います.多くの場合研究室内ではPIが最終決定権を握っており,その意味で権力の不均衡が存在します.この時仮にPIから学生へハラスメントがあったとしても,学生がハラスメントを告発するのは困難だと思われます.まず第一に,会社などと比べて構成員が圧倒的に少ないため,研究室の卒業生を含めて告発者が容易に特定可能であると思われるからです.第二に,あらゆる選択にPIが関与する仕組み上,PIとの良好な関係づくりはアカデミアで生きていく上で重要なため,PIとの関係を壊したくないという発想になりやすいと考えられるからです.第三に,研究室を途中で変更することが,現状ではキャリアの意味でも精神的にも時間的にも大きな負担になるからです.これらに加えて,アカデミアでの就職が厳しいということ,研究においては批判が重要であること(批判は重要ですが批判は気をつけないと容易に非難や侮辱に向かう傾向があると考えています)なども,ハラスメントの発生に拍車をかけうる要素になり得るものかなと思います.

このような事情から,ハラスメントの問題の解決を被害者個人に委ねるのは現実的ではないと個人的には考えています.ハラスメントが発生しづらい仕組みを作るためには,研究室の内部の出来事に対する,研究室の外部,もっというとアカデミアの外側からのフィードバックが機能することが重要だと思っています.近年はSNSなどが広く普及していることから,人間や組織が犯した過ちに対する社会からの集団監視が機能し始めています.このような社会では,できる限り研究室内の活動が外部に公開され,研究室で起きている出来事により多くの人の関心が集まるほど,ハラスメントなどの問題は自然に抑制されるようになると思います.そのため,研究室の内部を外側に公開するインセンティブ設計をどのようにしていくかを考えていくのが重要なのではないかと考えています.

また,大学機関と完全に独立したハラスメント対策組織が存在することも重要だと思います.現在多くの大学でハラスメント対策組織が発足されており,各組織はハラスメント撲滅のために尽力してくださっています.しかし,人間が行っている活動ですので,大学組織内に置かれている以上,色々とやりたくてもできないことがあったり不都合があったりもあるかと思います.法的効力を持った独立したハラスメント対策組織が存在すれば,こうした問題に対してよりよく対処することができたりしないかと思っています.

経済に関する問題について

個人的には,経済格差への配慮はとても重要な意味を持つのではないかと考えています.

仮に上にあげた所得による格差の問題が是正されないとします.現在多くの研究が税金に支えられていることを考えると,これは経済的に恵まれた人たちの活動をそうでない人も含めた全ての人の資金で支える形のシステムになることを意味してしまうと思います.社会的に恵まれた層を再生産していくシステムとなってしまうという意味で個人的には望ましくないと思っています.

仮に経済的にハンディがある人が残りづらいシステムとなると,経済的にハンディが少なかった人たちがより多く残りやすくなります.自分が経験していないことは想像するのは難しいですから,経済的にハンディがある人のことを想定した制度や文化の形成が困難になります.するといつまで経っても経済格差が解消されないということになってしまうと思います.

個人的に問題だと思っているのは,このような是正がなされないまま優秀なトップ層に優先的に手厚く資金配分をするような意思決定がなされる場合です.優秀な人たちはすでに色々なところから資金を獲得できていますから,その人たちに新たに資金を提供してもそこまで当人の効用はそこまで大きく増加しません.これが国の資金でなされる場合,上述のように税金でこれらの人をサポートすることになるわけですから,経済格差の意味でより深刻だと思います.それよりも,研究を頑張っている・研究に対する熱意があるが生活が苦しく進学を諦めざるを得ない人などに対して広く資金を提供する方が望ましいのではないかと個人的には考えています.

経済的格差への対策としては,大学院の学費や入学費が無償になり,大学院生には給料が支払われるのが理想的だとは思います.大学教員の給料は教育業務だけでなく研究業務に対しても支払われていること,大学院生は実効的に研究を担う主体であることを考えれば,大学院生に給与が支払われるのは全然おかしなことではないと思います.

一方で,大学の現在の財源を考えたときに,これら全ての完全な実現が現実的でないこともわかります.そこで,個人的に重要だと思うのは,アカデミアに対する新しいお金の流れを作っていくことだと思っています.具体的には,アカデミアが個人レベルから組織レベルに至るまで,もっと社会とつながって,多様な資金源を確保することが重要なのではないかと考えています.これについてはすでに色々と議論されていることだと思いますし,現在諸大学も懸命に取り組んでいるところだとは思います.私も将来的にアカデミアに対する新しいお金の流れを作っていくことに協力できたらと思っています.お金の話については改めて下で話します.

多くの研究が税金によって支えられているということについて

上の二つの段落で,ある意味でアカデミアと社会がもっとつながった方がいいのではないかという旨の話をしました.そこで少し話が変わりますが,研究者が社会と対話することが重要であると個人的に思うもう一つの理由について説明します.

個人的には研究者は社会に対してある種の説明責任を負うべきだと思っています.また,研究によって獲得された知識は可能な限り全ての人に開かれているべきだとも思います.なぜなら多くの研究は多かれ少なかれ税金によって支えられているからです.

私個人としては,基礎研究や「役に立たない」ように思える研究が国の資金によって支えられていくことは望ましいと思っています.研究とは大昔から人々が紡いできたこの世界に対する知識を引継ぎ,新しい知識を生み出して,まだ見ぬ未来の世代へとつないでいく行為だと認識しています.気の遠くなるような時間をかけて少しずつ少しずつ積み上げてきた知識が蓄積され,共有されているからこそ,一人の人間ではゼロから到底たどり着くことができない場所へとすぐにいくことができるようになっているのだと思います.知識は先見的に価値が与えられているものではなく,それを使って何をするかはそれを扱いうる全ての人間に対して開かれています.その意味で,知識とは生み出される段階でそれがどれだけ重要であるか自動的に決定されるものではなく,知識の間の優劣は特定の文脈の下でしか決定できないようなものだと思っています.このような知識の継承及び発展という行為はおおよそ一人の人間では到底行いうるものではありません.この役割を国家のような大規模な共同体が代行するような仕組みにたどり着いたというのは,個人的には大きなことなのではないかと思っています.

あるいは,別の視点から見てみると,私たちの現在の生活自体がすでにこのような継承された知識によって望むと望まざると支えられています.その意味で,私たちはその利益を享受することに対してある種の負担をする義務を負っている考えることもできます.そのような視点から考えると,税金によって研究を支えることは自然な仕組みだと考えることも可能です.

上記のような事情から,私個人は税金による研究行為の支援を支持しています.他方で,国家の財源は有限であり,何かへの資金の提供は,他の何かへの資金を暗に奪うことになります.そのような視点に立つと,研究への投資は他の重要な全てに優先してまで行う行為かは,全ての人にとって必ずしも自明なことではないと思います.例えば,私は上で「知識の未来への継承」という考え方をしましたが,それは今この時代を生きる人が生きている間には何のメリットもないことかもしれません.今本当に生活が苦しい人がいる中で,その人のお金も使ってまで知識の継承を支えるべきかは社会としてよく議論がされるべきことだと個人的には思います.また,「現在享受している利益への支払い」という考え方も示しました.しかし,そのような世界に生まれてくることは納税者が選択したわけではありません.そのような知識がない世界で生きることを選択することはできないわけですから,その知識に対して税金を支払うことについて,少なくとも何かしらの説明がなされるべきだと思います.

このような事情から,税金によって研究を行う研究者は,納税者に対して自分の行う研究について何かしらの説明責任をはたす義務があると思います.納税者としては自分の税金が何にどのように使われているか知りたいという気持ちは当然のことであり,それに対して回答ができないというのは当たり前ではないと個人的には思います.上記のような理由から,研究者は社会とのコミュニケーションに対してより積極的に向き合っていく必要があるのではないかと考えています.

また,上で述べたような理由から,研究成果はそれを支えた全ての人に対してアクセス可能になるべきだと思っています.このような学術成果の公開の流れについてはopen accessという名前で色々議論がされてるので時間があったらどこかで書けたらと思います. 

既存のアカデミアの外側の研究エコシステムが成長することの重要性について

これまで個人的なアカデミアへの考えを説明してきました.そこで挙げられた問題に対処する意味でも,既存のアカデミアの外側に研究エコシステムが生まれ,それが成長していくことは様々な意味で重要なのではないかと思っています.

上で述べたように,私は「研究をしたいと思う人が誰しも」研究できる社会が望ましいと思っています.しかし現状は,研究をしたいのにも関わらず,経済的理由や社会的理由によって,アカデミアの道を志すことやそこに残ることを諦めざるをえなかった方々がいます.あるいは,ハラスメントや精神的な苦痛によって離れざるをえなかった人たちもいると思います.仮に大学機関の外側の研究環境がより充実すれば,そのような人たちのうちのより多くが研究に携われるようになるかもしれません.仮にもし極めて透明性が高くあらゆる格差に依らない研究環境ができるのだとすれば,それはそういった人たちにとっても望ましい環境になるかもしれません.その意味で,アカデミアにいなくても研究ができる環境が整うことは良いことなのではないかと考えています.

仮にもし,現在のアカデミアの外側の研究エコシステムが本当に充実して行ったとしたら,それは新たに研究者を志す人たちにとっても望ましいことかもしれません.もしアカデミアに残らなくても十分に研究できる環境が整っているということがわかれば,大学院生活における精神的な負担も大きく減るのではないかと思うからです.現在はアカデミアに残るために成果を出さなければいけないというプレッシャーで精神をすり減らしている人も多いのではないかと思います.そういった人たちがより気楽に研究できるようになればそれは良いことなのではないかなと思います.

そして,外部の研究エコシステムが成熟していけば,アカデミアの研究環境自体もより良くなっていくのではないかと考えています.まず,これまでアカデミアに残るために自分が納得できないことに目を瞑らざるを得なかった人たちが,声をあげることができるようになるかも知れません.最悪アカデミアに残れなくても研究できると思えばシステムに対する内側からの批判もしやすくなるのではないかと思うからです.さらに,仮にもっともっとエコシステムが充実して行って,ある特定の人には外部の環境の方が好ましいというところまでいけたとします.そうすると,アカデミアが主体的に内側から改革を志向することを促すことにつながるかも知れません.アカデミアから人材が流出していくことは,アカデミアの存続に関わる問題だと考えられるからです.人材を内部に止めるためにより魅力的な環境を整備しようというインセンティブが働き,アカデミアの方もより好ましい研究環境になっていく可能性があるのではないかと思っています.

私が上記であげたような役割をアカデミアの外側の研究環境が担うことができなかったとしても,依然として自らが参画することを選択しうるシステムが複数存在することは望ましいと思っています.アカデミアという選択がどうであれ,現在は研究を志す人にとってあまりにその選択肢の存在が大きすぎるのではないかと思っています.複数同程度に望ましい環境が存在すれば,自分で好みの環境を選択することで,より精神的に安定した状況で研究が行いうるのではないかと思っています.その意味からも,既存のアカデミアの外部の研究エコシステムが盛り上がっていくことは,多くの人にとって良いことなのではないかなと個人的には考えています.

「人類の知を共有し前進させる」という意味での理想的な研究環境について

上で,外部の研究エコシステムが発展していくのは良いことなのでは?という話をしました.それに関連して,以下では,新しい研究のあり方を模索していくという行為をなぜ大事だと思っているかの別の理由を一つ,簡単に書きます.

私個人としては,人類の知を進めていく研究活動に参画できることに大きな喜びを感じます.一方で,「人類の知を進める」ということを一つの目標とした時に,必ずしも現在一般的な研究のあり方だけが常に最適である保証はないというように考えてもいます.例えば現在は,研究で大きな成果をあげた人が,ラボのPIになるというのが一般的です.しかしラボのPIの主たる職務は資金の獲得であり,これに加えて事務作業,教育業務も発生します.会社において優秀なエンジニアが必ずしも経営者として優秀とは限らないのと同様で,研究の点で素晴らしい人が必ずしもラボのPIとして適任とは限らないと思います.他には,現在は研究室という少人数規模の集団単位で研究を行うのが一般的です.すると,研究室を跨いだ知識やノウハウの共有が進まなかったり,研究室間で競争が生まれることで互いに自らの研究アイデアを秘匿することに繋がりかねません.個人的な価値観では,競争に基づいたこれらの仕組みは「人類の知を共有し前進させる」という目的に照らした時に,必ずしも最適であるとは限らないのではないかと思っています.

このように,個人的には研究のあり方はまだまだ検討していく余地が多分に残されているのではないかと考えています.こういった問題に対して,上で紹介したgithub上での研究の管理は一つの代替案になりうるのではないかと思っています.いずれにしても現在当たり前の研究のあり方は,必ずしもある目的に対して最適化するように発展してきたものではないと思います.達成したい目的を何度も確認し,それに対して最適な研究のあり方は何かをゼロから考えていく作業は重要なのではないかと考えています.

お金について

上記の問題を解決するにあたり,個人的に何にも増して重要だと思うのは,お金です.現在抱えている問題のうちの多くが,潤沢な資金を獲得することによって解決が容易になるのではないかと思っています.

上述したように,限られた資金でより経済的に平等な研究活動を行っていくためには,アカデミアは民間から研究への新しいお金の流れを作っていく他ないのではないかと思っています.現在は一番メジャーな研究費の供給元が国の予算です.そのため,限られた国の予算を研究者たち同士で競争して獲得せざるを得ない状況が生まれています.それよりも,コミュニティ全体として,どうやって新しいお金を作っていくべきか?ということを考える機運を高めていくことで,より建設的で前向きな資金をめぐる議論が増えていくのではないかと個人的には思っています.

個人的には,比較的に民間との距離が近い研究はできる限り民間から資金を引っ張ってくるのが良いと思っています.そして,国家の予算は基礎研究に回すというのが一番現実的な方法だと思います.また,研究の価値観に共感してくださる財団の方,篤志家の方に助けを求めにいくのも大切なのではないかと思います.日本ですとacademistさんとかはその辺りの新しい資金の流れを作るように尽力されていると思っています.また,POLさんのように,より社会とのニーズが近いところで資金を作って,そこで生まれたお金で研究をサポートしていく姿勢も,非常に現実的で大きな可能性があると思っています.

私自身は,これらに加えて,学術活動それ自体をマネタイズすることはできないかとも考えています(academistさんは近いことをすでにされていますが).具体的には,研究対象の魅力に訴えるのではなくて,研究というプロセス自体の見せ方を工夫することでより多くの人に共感してもらえたりしないかということです.スポーツ選手という存在や,プロゲーマーという存在,その他あらゆるエンターテイメントは,基礎科学が「役に立たない」と言われるのと同じ意味では「役に立たない」ということもできうるものです.芸術作品などについても同じことが言えるかもしれません.しかしそれらは多くの人々を熱狂し,それぞれ一つの大きな市場を形成しています.研究活動も,少なくとも研究に携わっている人たちには熱狂をもたらしています.これらの2つの熱狂はどこが共通していてどこが異なるのか,前者のマネタイズから学べることは何かを考えていくことで,研究活動にも同様のマネタイズは可能なのかを考えていく余地は十分に残されているのではないかと思います.

もちろんこれまでも研究者は研究活動に従事していない人たちに対してもその魅力を積極的に語ってきました.しかしそれは例えば「宇宙」や「歴史」や「脳」といった,研究対象の魅力に依存した魅力の伝え方がメインだったのではないかと思います.一方,研究者は研究対象に対して熱狂するのと同じくらい,研究という行為そのものに惹かれているのではないかと思っています.こちらの方がより抽象度が高く,その意味で他の人間行為との重複が多いことから,これらの魅力は研究に携わっていない方にも訴求しやすい魅力だったりするのではないかなと思ったりもします.そのような形でマネタイズがなされることが科学の発展にとって良いことなのかは十分検討する必要があると思いますが,うまくできればより多くの人に魅力を感じてもらいながら,魅力を感じてもらった人のお金で研究できるということもあり得るのではないかなと思います.

ただ,私自身まだまだビジネスに関する知識が疎くこのぐらいのことしか思いついていません.世の中には私なんかよりもはるかにビジネスに精通している方がたくさんいらっしゃると思います.ですので,もしビジネスに携わっている方でこういった話に共感してくださる,あるいは面白いと思ってくださる方がいらっしゃいましたら,是非ご連絡いただけますと幸いです.あるいは,もしこういったことをやってみたいと考えていらっしゃる方がいらっしゃいましたら,私で良ければご協力できる範囲でご協力しますので,是非ご連絡いただければと思います.

おわりに

まとまりのない文章となってしまい,大変恐縮です.色々書きましたが,伝えたかったのは,「理想的な研究のあり方をゼロから考えてみるのは大事なんじゃないか」ということです.今当たり前に思われているのよりももっと良い研究エコシステムが形成されれば,それは人類の知を未だかつてない速度で大きく進めていくかもしれません.より多くの人たちが心理的な安全を感じながら研究をすることができるかもしれません.研究に携わる人もそうでない人も含めてみんなで望ましい研究環境について議論をしていくのが大事なんじゃないかなと思っています.

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