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雑記(歌い方の変遷)
今週もかけ足で過ぎ去っていきました。朝髪を洗って鏡に向かうとき、少しの時間でもと音楽をかけます。スマホが手元にないときは鼻歌で代用。
ここ数日は、新しめのASKAさんの楽曲に心が向かっていました。
「消えても忘れられても」を口ずさんでいましたが、この歌、歌うの難しいですよね。メロディのキーの幅が広いこともありますが、何より、歌詞がメロディにはまり切っていなくて間合いが難しい。
あれ、ASKAさんってこういう作曲をし始めたのはいつ頃なんだろうか…と、興味本位で曲一覧の発売年を眺めてみました。
ASKAさんは声の響きが分厚くとても美しいので、強弱はあるもののしっかり一音一音を歌うような印象があります。これこそASKA!という歌唱法ですが、言葉がキツキツに入った歌、テンポの早い歌には重量感が出てしまい、合わないような気もする。
92年の「GUYS」には言葉を詰め込んだ箇所がありますが、それでもやっぱり重さがありますね。
95年の「BROTHER」や「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」、そして「帰宅」はどうでしょうか?割と重さが取れて、メロディのつながっている中に間合いが入ってくるような感じがあります。
そして、ここがターニングポイントじゃない?と感じるのが97年の「風の引力」。
この曲が出た時はびっくりしましたね。アルバムの一曲目なのに声を張らない。ウィスパーボイスから始まるASKAさんのアルバムはこれが初めてではないでしょうか。
最後までウィスパーというか、喉を締めたままで通す曲は、私の記憶ではこの「風の引力」だけのような…。発売当時はASKAさんのロングトーンやビブラートに痺れていたので、ちょっと物足りなさを感じたものです。振り返ってみれば超名曲なのですが。
ASKAさんの歌詞は先出の「BROTHER」あたりから、世の流れを意識したのか自身の心境の変化があったのか個人的な心情吐露に傾いていきますが、この「風の引力」でそれが結実した感があります。
このアルバム『ONE』は他にも「帰宅」「草原にソファを置いて」など心情吐露の名曲が詰まっているので、ASKAさんの中にかなり音楽に向き合う姿勢の変化が表れ形になった作品なのでは…と思ったりします。
次のアルバム、98年『kicks』では、まるでその場で生まれた言葉を乗せているような歌唱法の名曲「同じ時代を」が収録されているわけですから、もう完全にその後のASKAさんの曲風が作り上げられた感があります。ご自身のハイエナジーな声を完全に新しい形の曲調向けに乗りこなしていった、40歳前後にして脱皮や変化を続けていた、そんな証が胸に沁みますね。
そして、まだこの当時の曲は素人が鼻歌で真似してもひどいことにはならないのですが、ここから00〜10年代を通過して生まれた「しゃぼん」「歌になりたい」などに至っては、ASKAさんにしか歌えない域に達しています。
今週、こんな動画を見たのですが、ここでゴスペルプロデューサーの方がおっしゃっていた言葉の中で耳に残ったのは、「シンガーではなくアーティスト」という言葉でした。
「太陽と埃の中で」の90年代の映像を見ると、そこまで身体は動かないのですが、最近の空中のリズムを掴むような仕草を見ていると、やはりASKAさんの中で音やリズムへの自由度が年齢を重ねるにつれ増しているんだろうなと感じます。これは本当に、名人という呼び名がシンガーにあるのかわかりませんが、名人の域に達してるとあえて言わせていただきたいです。
二つ前のツアーを収めた映像に、「higher ground」の間奏でスキャットを入れるシーンがあったのですが、このスキャットが痺れるほどに完璧なリズム感なのですよね。あまり年齢のことを口にしたくはないのですが、やはり年月を重ねた先にこのリズム感があるというのは、本当に素晴らしいシンガーであり、アーティストなのだろうと思っています。
…というわけで、なんとなーく今週考えていたことでした。みなさま、良い週末を。