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心の機微をパッチワークした最高の楽曲、「HEART」について。

1994年の空は抜けるように青かったように思う。
なぜならこの夏に、CHAGE and ASKAのトリプルA面シングル「HEART / NATURAL / On Your Mark」が発売されたからだ。
鼠色の空の記憶はなかったことにできるような、爽快な音の記憶だ。

「HEART」「On Your Mark」に青のイメージがこびりついているのは、この夏空の青さだけが理由ではない。
それまで、親や学校の先生が絶対に着なさそうな、あの襟どうなってるの?な高級スーツの肩パッドをいからせていたASKAが、これらの曲で急にやわらかなジーンズに履き替えて歌ったことも大いにあると思う。
ASKAってジーンズ履くんだ…と当時の私には新鮮だった。しかも上までデニムシャツ。上下青。そんな着こなしある?とも思った。
しかしかっこ良かった。「HEART」や「On Your Mark」のイントロはいつだって、爽快な青のイメージと共に鳴り出す。

「HEART」は今でこそ <『YAH YAH YAH』みたいな曲をお願いされた> という創作エピソードに触れられるものの、当時はもちろん「『YAH YAH YAH』みたいな曲を作りました」という公式アナウンスはなかった。
だが一聴して、ファンたちは「YAH YAH YAH」のような勢いをこの曲から当然にキャッチしていたように思う。次のライブで聴きたい曲が増えた、と皆が胸を躍らせただろう。

勢いだけで聴ける曲、といえばその通りなのだ。
しかし歌詞カードを見れば、サビに至るまでの歌詞量は「YAH YAH YAH」の倍はある。そしてその言葉たちは、比喩に満ち溢れている。
「傷つけられたら牙をむけ 自分を失くさぬために」などというわかりやすいメッセージフレーズは、実は「HEART」の中にはない。意味はセンテンスごとに断絶され、しかしイメージのみでゆるやかにつながりを保っているために音の勢いを借りてスムーズに聴けてしまう。まさにASKAの歌詞マジックの真骨頂といったところだ。

いったいこの曲では何が歌われているのか?

肌感覚として、1994年以降のCHAGE and ASKAの活動は複雑になり、毎日こんなに見つめていても、どうしてそんなに遠くにいるのだろう…と感じるようになっていったのを覚えている。そして、1995年あたりから感じられる歌詞の変化への予兆に、それはまっすぐにつながっていくのだろうか。

この重要なターニングポイントの時期に、ミリオンヒットやアジアにも足を伸ばした巨大ツアーの忙しさに溺れるASKAの内側には、何が渦巻いていたのか。それに、少しでも歌詞を通じて触れることができるかもしれない。

「HEART」
振り向かなくても 何処かで愛していたはずさ
覚めないつづきを いいだけ苦しんでみたはずさ

僕のすべて 君のすべて
今日のすべて 今のすべて

貨物船のように運ばれる街ですれ違う
言葉の船底をこする思いで語り合う

僕のすべて 君のすべて
今日のすべて

いつも頑張ることだけが 素晴らしいなんて言わない
ハッピイエンドだらけじゃ 笑顔もやっぱりつまんない

だけど結局僕ら そういう事って僕ら
求めてるような 感じてるような

HEART Oh HEART 騙せない
HEART Oh HEART 離れない
壊れたなら 恋や夢のかけらだってあるらしい
HEART Oh HEART
HEART Oh HEART

「HEART」(1994年)一番の歌詞のみ抜粋

ASKAの創作方法には、想像の及びえないことが多い。例えばアルバム『TREE』に収まっている「tomorrow」のような難解で比喩に満ち溢れた歌詞を、たった一日で書き上げたというのだ。練りに練って、というタイプの曲と、イメージの流れるままに任せて、というタイプの曲に分かれているのかもしれず、それで言えばこの「HEART」の歌詞は後者の創作スタイルかもと思う。

「僕のすべて 君のすべて 今日のすべて」や、「騙せない 離れない」という音の繰り返しは、音としての心地よさから作ったフレーズだろう。
しかしタイトルとなっている「HEART」の意味を読み解ける唯一の装飾語がこの「騙せない」や「離れない」なのだから、この曲の読み解きが難解になっているとも言える。

心は騙せない。そしていつでも自分自身の中にあり、離れることがない。

文字通りに読めば、そうだ。これが最もシンプルなメッセージだ。これだけ受け取れれば十分かもしれない。
しかし聴いている方の耳には、このサビのフレーズ以外が強く残るのが「HEART」という楽曲の魅力でもある。だからこそ、それらの意味も読み解いてみたいという好奇心に誘われる。

例えば冒頭は、こんな恋愛を想起させる一シーンから始まる。

振り向かなくても 何処かで愛していたはずさ
覚めないつづきを いいだけ苦しんでみたはずさ

爽快な音の中で、耳には「苦しんで」というネガティブな言葉が引っかかる。別の記事で「WHY」という楽曲について考察したことがあるが、そこから解釈を引いてくれば、終わりを迎えた恋への「ロングテイルな残り香」についてここでも表現しているのかもしれない。
恋につきものの、もやもやした気持ち。頭ではわかっていても割り切れない思い。

貨物船のように運ばれる街ですれ違う
言葉の船底をこする思いで語り合う

この比喩を嫌いなASKAファンは、どこを探してもいないだろう…! というくらいに「これぞASKA」という言葉回しだが、無機質な「貨物」のイメージは例えば、翌年には創作していたとされる「もうすぐだ」という曲の「荷物のような俺を毛布が包む / 一度は冷えかかった身体さ」という比喩と同じ感触を生んではいないだろうか。

冷え冷えとした繰り返される毎日に、それでも人と人はふとすれ違い、心をほんの瞬間でも交わすことがある。「すれ違う」「語り合う」という言葉の温かさに、ほっと息がつける。


メロディは次の展開へと続く。

いつも頑張ることだけが 素晴らしいなんて言わない
ハッピイエンドだらけじゃ 笑顔もやっぱりつまんない

「頑張れ」と「ハッピイエンド」を周りから、そして自分の内側から常に期待されて私たちは生きているのだが、「もう恋なんてしないなんて」的な逆説の言い回しが、この箇所では効果的なパンチラインになっている。
これはまるで、前年に発表された「Sons and Daughters〜それより僕が伝えたいのは」の冒頭、「雨にも風にも 負けない心で / 涙も見せずに 生きて行くのは哀しい」から受けるメッセージと同じものではないか。

頑張れない時間、ハッピイエンドに仕立て上げられなかったこと。そういうものが人生には渦巻いており、それらをまるっと肯定しようというのが、この「HEART」なのだろうか?


この薄い紙でさえ 僕の指を切った
眠っている間に ふと外れた腕のように寂しい

僕のすべて 君のすべて 今日のすべて

いつか真昼間の星に 校庭で瞳を凝らした
誰かが見たと騒げば 僕はそっと羨んだ

だけど結局僕ら そういう事って僕ら
繰り返すような 感じてるような

HEART Oh HEART 騙せない
HEART Oh HEART 離れない
汚れたなら 恋や夢で洗い流せるらしい
HEART Oh HEART
HEART Oh HEART

「HEART」(1994年。二番から抜粋)

信じていたものに裏切られる寂しさで、始まる二番。
皮膚を傷つける肌感覚は、前年「YAH YAH YAH」の「いっそ激しく切ればいい / 丸い刃はなお痛い」を連想させるが、「HEART」には「YAH YAH YAH」で見られるような闘争心や決意はなく、もっと脆く弱い、ふとした「隙」に傷つけられてしまうような心の粘膜が表現されている点が、明確な違いである。
「弱さ」はメッセージソングとして歌うと、どうしても言い訳じみたり傷の舐め合いになってしまいがちだが、ASKAが表現する人間の弱さがこれほどまで美しいのは、その卓越した比喩表現によるものだろう。
「愛し合って眠りについた恋人の腕まくらが、無意識のうちにふと外れてしまった」事象に、心の隙をつかれ、その瞬間を記憶に残し、歌詞として表現できる創作者…それこそがASKAなのだ。

眠り、意識と無意識への執着ーーこれもASKAの作家性の中に垣間見える、深堀りしがいのあるテーマであるが、近年ではこれをカジュアルに表現した「どうしたの?」という作品における眠りの描写が、とても秀逸で胸を高鳴らせてくれる。
ASKAの作品には爽やかで深い色気がいつでも潜んでいるが、それはやはり彼の「生きること」への好奇心がなせる技なのかもしれない。

君の眠る顔を見るのが好きだ
傍で遠くにいる人

(中略)

「どうしたの?」って顔で
君は起きるだろう
そして僕も「どうしたの?」って
同じ顔をするだろう

「どうしたの?」(2020年)

そしてASKAの爽やかな生への好奇心は、このような次のフレーズへと続く。

いつか真昼間の星に 校庭で瞳を凝らした
誰かが見たと騒げば 僕はそっと羨んだ

未知のもの、目に見えないものへの飽くなき好奇心。それはASKAの少年時代から胸に育っていたものだと、いくつかの作品が知らせてくれる。誰よりもそれを先に目にしたいという負けん気の強さが、彼を神秘の方向へ引っ張る原動力へとなっただろう。

ダイヤモンドさえも 年を重ねてる
まして星なんて 燃えて消えて行く

形あるものが 限りあるなんて
寂しさを添えて 信じ合っている

科学は正しいと言う 迷信の風で育った
ねえ 青い帽子の丘で夕暮れに吹く風を
待ってみないかい

「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」(1995年)

「HEART」の5ヶ月後に発表されたソロシングル「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」では、ロマンを持つことが人生にどれだけ大きな意味を持つか、言葉を尽くして歌っている。「命尽きるまで すべての嘘を守りたい」とまで書いた彼の心情は、きっと2024年の今までまったく揺らぐことなく、真っ直ぐにつながっているのだろう。

さてここまで、パッチワーク状につながれたASKAの歌詞のコラージュを見てきたのだが、これが「HEART」という一曲の中に収まっているというのは、よく考えればすごいことである。
爽快なサビへの転調を滑らかに遂げてみせながら、ASKAはここで力強くこのように歌う。

だけど結局僕ら そういう事って僕ら
求めてるような 感じてるような

これまでぶつ切りの比喩で並べられた細やかな心情を、ひと言に「そういう事」とまとめ上げ、それらを常に「求めている、感じている」と歌うのだ。そう、うまくいかなくて傷ついたりしょげ込んだり、時には消えてしまいたくなるような瞬間も人生にはあるが、なんとそれらは自分の心が自ら求めていることなのだ…と。

持ち主である自分にもコントロール不能な、心の不可思議さ。
それを生まれながらにして持っていることの尊さ、生への讃歌。
それこそがこの楽曲のテーマであろう…と、発売から実に30年を経てようやく確かに掴めたことに、私はこれを書きながら静かに喜びを感じている。

「恋や夢」。サビで繰り返されるこのフレーズが、1989年に発表された名曲「PRIDE」からのコラージュと考えてみると、この「HEART」におけるASKAの歌詞のミックスアップは、きれいな円として閉じることができるのかもしれない。

誰も知らない 涙の跡
抱きしめそこねた 恋や夢や
思い上がりと 笑われても
譲れないものがある プライド

「PRIDE」(1989年)

この「PRIDE」が静の歌なら、「HEART」は動の歌。常に前へ前へと押し出していくようなリズムに、ボーカルが休むことなく絡んでいく。
そして、「PRIDE」が「僕」の歌なら、「HEART」は「僕ら」の歌だ。僕らの心と心が街行く中ですれ違い、ビビッと共鳴するような瞬間が、現れては消える。それが尊いと教えてくれる。
生きることの面白さと奇跡が、プレイボタンを押せば開かれた宝箱のように、耳の中に飛び出すのだ。

ここで満を持しての「HEART」を、上下青デニムの爽快さを添えてご鑑賞ください。


…さて、この記事を書こうと思ったきっかけは、この1994年に発売された爽やかな二曲って、なんだか難解すぎないか?という疑問を抱いたからであった。難解なものが大ヒットの波に乗ってスッと日常に紛れ込み、もはや風景化していることに、私は心地の悪さと小気味の良さを同時に感じている。
「HEART」の方はこれですっきりしたが、ぜひとも「On Your Mark」の方もやっつけていかなければならない。
ということで、近々また書かせていただきたいと思っています。



◼︎この記事に登場した曲は、ここから聴けます。ASKAソロ、早くサブスク解禁されたし!



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