別れた恋人への心情、エドとASKAの比較を添えて。
最近、世間から周回遅れでエド・シーランさんを聴き始めています。
私は根が暗いのでアッパーな曲をあまり求めないのですが、Apple MusicのToday'sなんちゃらはやたらとアッパー曲ばかりを薦めてくるため、アコースティック、もしくはカントリージャンルをうろうろしており、いまいち突き刺さる曲に出会えなかったのですが。ようやく巡り巡って、エド・シーランさんに到着しましたよ。彼の音楽は耳を通過し、ズドーンと胸に飛び込んできました。こういう感覚、あれこれ聴いてるとたまにやってきて心揺さぶられますね。
エドは私にとってまだ非常にミステリアスな存在で(この時期が一番楽しい!)、まず世間がエド・シーランさんを、なんと呼んでいるのかわからない。エドなのか、それともフルネームで「エド・シーラン」なのか?「エド」では他に数多あるエドと見分けがつかなくなるので、シーランを入れたくなってしまう。
しかしここでぐいっと「エド」と呼んだ方がより今後お近づきになれそうなので、今日はエドと書いていくことにします。
気に入った曲はいくつかありますが、直近ではアルバム『÷』に収録された「Happier」という曲に心惹かれました。
誰が何に比べてHappierなのか、歌詞も調べてみました。「Rickiの洋楽和訳」さんから引用させていただきますと…
いいよいいよ!この暗さを求めてた!
別れた恋人とすれ違う系の曲が世間にはかなりの数あるのではないかと私は踏んでおり、前にASKAさんの「SCENE」、そしてB'zの「今では…今なら…今も…」という二つの楽曲を比較した記事を書いたことがありますが、ほらきたエド!あなたも作ってるんじゃない。
海外の別れた恋人目撃シーンはどうなってるのか、堪能させてもらえそうです。
いいよいいよ…この感じ。
まるでASKA曲の「SCENE」と「MIDNIGHT 2 CALL」そして「You are free」を混ぜ込んだような、切なさのてんこ盛り…などと興奮していたのも束の間。
最後にASKAさんの書く歌詞との決定的な違いが出てきました。さて、それはなんでしょうか?
はい、ここですね。アンダーラインを引きましょう。ASKAがどんなに追い込まれても言わない、この言葉。
とたとえ相手には言わせても、自分からはなかなか言わないあの言葉。
(いや、ありますね。「WHY」では「別れてもずっと君のこと変わらずに愛してる」と。しかし2番の歌詞がね…気になる方は読んでみてください。)
「Happier」とASKAの「SCENE」「MIDNIGHT 2 CALL」「You are free」で描かれている感情はほぼ一緒のはず。
しかし「SCENE」では ”まだ君の中に僕への気持ちは残ってるんじゃないのか…?” という疑念が連ねられた挙句「いまさら辛い風景画さ」というポエジーで締めますし、「MIDNIGHT 2 CALL」ではエドさんとまったく逆に「今でも愛してるっていうわけじゃなく ただ気づかなかっただけ 本当さ」などと言葉にしてしまっている。
「You are free」でも「君は間違えずに歩いた 僕から離れた」ですしね。
世間の大多数は「でも僕はまだ君のことが好きなんだ」と、絶対に言ってもらいたい。
しかしASKAはてこでも言わないです。そしてやっぱり、私はこのASKAの男気という名の強がり(失礼!)がとても好きなのですよ。
だって、見えてしまっているから。そこまでに描かれる感情の機微や情景によって、ほろほろに煮崩れた弱いハートが見え隠れしてるんですよ…。ASKAの歌詞はここがたまらないポイントですね。まるで歌詞を読むだけで、秘密のお手紙を交換してるような親密さに包まれます。守りたい、この美学。
というわけで。あれ?エドについて書こうとしたのに結局ASKAについて書いてしまってるじゃないですか。
まあいいか。皆さま、良い日曜日をお過ごしください。