自分の謙虚さが暴力になると気づいた話。
横柄でガハハな人が苦手である。
なんて書いたら、横柄でガハハ好きな人がどこにいるんだ、と言われそうだが。
横柄の反対は謙虚であろうか。
ビビリな私は常日頃からこの謙虚さと共に、いや、謙虚な態度にすがりながら暮らしている。
先日家の前で自転車と車の接触事故があり、自転車の男性が運転手の女性を大声でドヤしつけるのを見ながら、私が車にかすられた場合には瞬時に「大丈夫です」なんて言ってしまいそうだな、と怖くなった。
ある人にこう言われたことがある。
「謙虚さって、時には暴力だよ」と。
今日は、こんなことについて書いていきたい。
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私が勝手に「遅れてきたシンガーソングライター」と名付けたaimoさんに、歌詞をお願いされたのは今年の春先だったと思う。
aimoさんは、お子さんを育て働きながら歌を作って歌うという、そんな離れ業に40から挑戦しているという素敵で稀有な方だ。
彼女がなぜそうなったのか、インタビュー記事を書いたのでぜひ読んでみて欲しい。
私は歌詞が好きで、特にASKAの歌詞への偏愛をこのnoteに書いたりしているために、共同作業へと誘って下さったのだろう。
aimoさんが先に曲を作り、そこに歌詞をつけるのだという。
私は作詞については全くの初心者。
語呂合わせのようなことはやってみた経験があるものの、本格的にまるまる一曲なんて作詞したことはない。
このaimoさんからのお誘いに、私は「謙虚な私らしくなく」、自分の中の傲慢さフルスロットルで乗ってみたのだった。
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作詞は、想像していた以上に難しかった。
ASKAさんの歌詞を細かく読み解くことを趣味としている私は、今までの無意識な積み重ねが準備運動となって、時が来たらもしや書けるのかも、なんて淡い期待を抱いてなかったと言えば嘘になる。
時は来たのだ。
しかし、ちっとも書けなかった。
読み解くことと生み出すことは、全く違うらしい。
aimoさんから「s.e.i.k.oさんはいつも他の人の心に潜り込んで文章を書いているから、この機会を使って自分の表現をしてみたら」と嬉しい提案を頂いていた。
私もぜひそうしてみようと、机に向かった。
だが、無い。
私の中には表現して歌にしてみようという想いがちっともなかった。
人前に披露する心象風景すらなかった。
いくらポケットを裏返してみても、あの日のかけらすら落ちてこなかったのだ。
ショックだった。
だが、aimoさんのことを思い浮かべてみると、書いてみたいことがいくつか浮かんだ。
自分のことを表現しなかったのは、謙虚だからではない。
人にアドバイスできる人が自身のことになるとちっとも…というのと同じ、よくある話である。
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aimoさんのことを思い浮かべたら、「泣き笑い」というイメージが浮かんできた。
彼女のオリジナル曲は何曲か聴かせて頂いてたのだが、その思春期を真空パックしたような素晴らしい感性に、私は彼女のユーモアある部分を少し足してみたいなと思ったのだ。
aimoさんの魅力は、泣きたいような自分や日々を、笑いに変えられるエネルギーがあるところ。
それを表現した曲はまだないような気がして(ご自身で作るのはちょっと大変なテーマだろう)、私が書くのならそういう曲にしてみたいなと思った。
そこから作詞を始めてみたのだが、これがまあ大変で…。
思っていたようには全然いかなかった。
これが謙遜でないことの証拠に、私が初めて作詞の相談を受けた時にお返ししたDMのスクショを貼っておこう。
「AI ASKA」だなんて、どの口が言っているのだろう。
今からそいつを殴りに行きたい。
ASKAさんの才能が間違いなく光り輝くものだということ、言葉の一つ一つを選ぶことに尋常でなく精神と頭を使ってらっしゃることが、自分なりのやり方で同じ作業をなぞっていくことで、身に沁みてわかった。
こりゃ、素人のやることじゃない。
この世の作詞を職業としている方々、まじリスペクトである。
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aimoさんに出来上がった歌詞を渡す時には、傲慢フルスロットルで始めた私として、最大の謙虚さを使わなければその場にいられない気持ちになっていた。
本当に拙い歌詞で申し訳ない。
歌いづらいところがあったら言って下さい。
それでもaimoさんは私の拙い歌詞を喜んで下さって、歌いづらいところやニュアンスを確認するため、二人でzoomをつなぎ、直す作業をした。
ほとんど私が書いたままの歌詞を尊重して下さり、修正も私が提案したものをそのまま歌って頂けることになった。
歌って、大変だなぁ。
でもこの作業はなかなか楽しかった。
一人きりで机に向かうよりも。
aimoさんはそこからDTMの打ち込みにギターとピアノのアレンジ、練習、録音に歌入れと、本当にたくさんの作業を一人でこなされて大変だったと思う。
その大変さの中に自ら突っ込んでいくaimoさんを、突き動かすものはなんだろう。
いくらポケットを裏返して叩いても、なんのかけらも落ちて来なかった私には、もしかしたら分かり得ないことなのかもしれない。
数日前、aimoさんから歌を吹き込んだデモ版を送って頂いた。
そこからブラッシュアップするというのだが、私は最初、本当に申し訳ないことに、それを恐る恐る聴いてしまった。
自分の拙さを思い出させられる気がして、怖かったのだ。
だが、それは全くの別物になっていた。
aimoさんの表現が乗ったことで、歌詞というのは楽曲を構成するたかだか一部なんだということに改めて気付かされた。
それはとても嬉しいプレゼントになっていた。
だがaimoさんは、歌詞を私が書いたこと、そして歌詞の全文をYouTubeに載せ、SNSで広めて下さるのだという。
どうしよう…。
せっかく書いたのだが、遠慮したいような気分だった。
言い訳が次々と胸の中に浮かんできた。
初めてだったから。拙くて本当にすみません。
そういうことをどこかに、言葉にして添えよう。
そう思いながら動画の公開を待った。
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昨日、aimoさんが動画を公開された。
この歌ってる姿を見て、私が見せる謙虚さは、一生懸命頑張ってる人への暴力になるんだとしみじみ思った。
私が謙虚な言葉を発したところで、誰が喜ぶのだろう。
ある人の言った言葉、「謙虚さって、時には暴力だよ。」
それがようやくわかった気がした。
そんなわけで、私は自分の中の最大の図々しさを奮いたたせて、歌詞の全文をここに載せさせて頂こうと思う。
これはaimoさんのことを描いた、私にしか書けない歌詞です。
「泣き笑い」
飼い犬に手を噛まれた
遊んでたはずなのに
いつのまに違ってたかな
なんとなくを重ねては
空回りする日々で
かさついた指で弦を探った
まっすぐな道はないようで
明日も暗く見えないけど
まるで泣き笑いするような
私が好きだって 言ってくれたから
いつだったか 怖くなって
本気出すのやめたの
青空に 夏の背中見送る
深海のような寂しさで
息を殺すよりも
ただ 自分を愛せない
この私を一人抱きしめて
今日は眠ろう
まっすぐに伸びたこの髪を
荒く束ねて踏み出す
まるで泣き笑いするような
私が好きだって 言ってくれたから
(楽曲の最後にASKAさんを好きな方々への目配せを、aimoさんと相談して入れてみました。歌詞には載っていないので、ぜひ動画で聴いて頂けたら嬉しいです。)