イスラム世界探訪記・パキスタン篇③
「05年9月21日(モヘンジョダロ→ラルカナ→サッカル)」
モヘンジョダロ見物というメインイベントを終えて迎えた朝だが、旅はこれからだ。後ろ髪を引かれつつ、考古学バンガローをチェックアウトした。代金は「2泊+3食+コカコーラ1本+スプライト1本+ミネラルウォーター2本」で1300Rs(約2600円)。優しい価格がありがたい。
パキスタン名物のギラギラバスに乗って、ラルカナで降りた。飛行機のチケットを取るため、パキスタン国際航空(PIA)のオフィスへ向かう。交通要所の街ラワールピンディーまで飛んで、そこからフンザという地を目指すつもりでいた。
しかし、飛行機は明朝9時の出発だという。一日、体が空いてしまうが仕方がない。この日は空港近くの街サッカルに泊まることにした。ラワールピンディー行きの航空チケットを購入(3879Rs)してからサッカルまでの移動は、バスで1時間半。すし詰めだが、どこでも寝られる私には苦ではない。居眠りしているうちにサッカルに到着した。
今夜の宿の当たりをつけようと、街歩きをして部屋の見物をしたが、しっくりこない。暇を持て余し、いったん空港に向かった。空港で4人組のパキスタン人に声をかけられ、チャイをご馳走になる。パキスタンのチャイは、どこで飲んでも煮出し加減が上手で美味しい。きちんと手間暇をかけている味がする。
空港内にあるPIAのオフィスにもお邪魔した。エアコンの効いた空間が極楽だ。結果的に、ここのスタッフに勧められたホテル「inter-pak inn」に泊まることになる。大きなベッドに、エアコン、トイレ、シャワーがついた、おそらく中級程度のホテルだろう。私にしてはびっくりの高額で、一泊1600Rs(約3200円)である。
チェックイン後は、強烈な熱線が照りつける中、サッカルの街を歩いた。先々で丁寧な道案内を受け、何人もに連絡先を聞かれた。ライフルを持った警察官まで、肩を組んで話しかけて来るフレンドリーさだ。私はただ一言、「アッサラーム・アライクム」だけで楽しめた。
街並みについては「インドのカルカッタにちょい似てる気がするが、店の人も通行人も、リキシャのドライバーもえらい違いだ」(日記)とある。私はインドがあまり肌に合わなかったタイプだから、これはサッカルを褒めている記述となる。
この日は夜にもイベントがあった。PIAのスタッフであるジュネージョという細身の男性が、18時にホテルに迎えに来るのだ。車で街を案内してくれるという。「金はいらない。日本人と友達になりたい」。そんな話であった。
旅先でのこうした「無料話」に気軽に乗るべきではないが、パキスタンでは結構、乗った。それだけ安心感のある国だったのだと思う。
しかし、19時まで待ってもジュネージョは来ない。何か食わねば腹がもたない。どうしようかと思っていると、部屋のドアがノックされた。ようやく来たかと腰を上げたら、そこにいたのは10歳くらいの少年だ。口元に笑みを浮かべて「ビールはいらないか?」と甘い言葉を囁いた。
パキスタン入国以来、アルコールを口にしていなかった。ごくわずかな「非イスラム」の国民向けにビールぐらいは製造しているらしいが、なかなかお目にかかれない。そこそこ立派なこのホテルなら飲めるかしらと期待していたから、喜んでイエスと答えた。少年は嬉しそうに「待ってろ」と言い残し部屋を出た。
きっとどこかで、日本人が泊まっていることを聞きかじったのだろう。そういえば、入国してから日本人を一度も見ていない。自分の存在は、きっと目立つ。割と噂になっているのかもしれない。
ホテル内のレストランで夕食を取りながら、少年とジュネージョを待った。焼きたてのナンが絶妙の塩加減で美味く、おかずなしでも充分にいけた。ナンとカレーとペプシと水で253Rs。食べ終わった頃にタイミング良くやって来たのは、少年ではなくジュネージョだ。
遅いよと言っても、ニコニコしている。この辺の感覚の違いで腹を立ててはならない。ほぼ同じくして、ビールの少年が手に紙袋を下げて戻って来たが「出かけるならまた来るよ」と去った。まるでビールを隠すようにしていたことと、その秘密めかした笑顔から、非合法さが感じ取れた。
ジュネージョと夜のサッカルをドライブしたのは、良い体験だ。パキスタン「建国の父」氏の廟らしい「サッカルバレッジ」、市民の憩いの場「ラプメランパーク」などを車窓から見た。とりわけ、街の中心地だと思われる「サッカルシティ」はインパクトがあった。昼にもこの辺りをぶらついたはずだが、夜の方が賑やかだ。上半身裸で跳ね回る子どもたちと、ずらりと軒を連ねた活気ある露店。店先には、お菓子から携帯電話まで並んでいる。
このサッカル、日本から持ってきたガイドブックには、街の位置程度しか載っていない情報がほぼゼロの街だった。それだけに気分は高揚した。車から降ろしてもらえなかったのが残念ではあった。
⚫︎隠せ!
一悶着あったのはここからだ。宿に戻ると、ジュネージョがニコニコして帰らず、私の部屋にまで入ってきたのだ。
旅人センサーが警戒音を鳴らす。きっとガイド料が欲しいのだろう。事前に「金はいらない」と言われているので、はっきり断るのが当然だが、良い体験をさせてもらったのでその気も引ける。
「チップ受け取ってよ」「いらないよ、そんなつもりじゃない。いらないと言ったはずだ」「それじゃ悪いから」「いらない。受け取れないよ」
面倒臭くなってくる。ならば帰れば良いのに帰らない。だんまりしていることから、会話を楽しみたい訳でもないらしい。
居心地の悪さを感じた頃、部屋のドアが叩かれた。ビールの少年だ。良いタイミングで来てくれたという感謝の意を示しつつ、中瓶サイズのビールを受け取った。言われたままの代金を渡す。金額は覚えてないが、お駄賃やその他もろもろの入った料金だろう。
私とジュネージョと少年。妙な3人である。遠慮なくビールを飲んだ。「MURREE'S」という銘柄のクラシックラガーで、口当たりは軽いがコクもある。アルコール分は5.5%。胃に流れ落ちるたびに快感が走った。
ビールが美味い。
ジュネージョ、帰ってくれねえかな。
そんな思いが強まる。ふと思った。ひょっとして、狙いは俺の体? 本気でそんな心配をした。
「少し受け取ってよ」
最後のつもりでそう言って財布を開くと、ようやく首を縦に振った。すると、財布をのぞき込んだジュネージョは「400Rs」と金額を指定した。
高い。いや、今思えば安い。しかし、その時の環境としては高い。車で出掛けたのはごく短い時間だ。タクシーを丸一日借り切って観光しても、たいした金額にはならない国で、そもそも無料の約束である。
とりあえず、2ドルと40Rsを渡した。おおむね、800円くれと言われて300円渡したイメージである。われながら、なんともみみっちい。しかし、何事にも適正な相場はある。
受け取ったジュネージョは「明日の朝迎えにくる。空港まで送る」と言い残し、不満を隠そうともせず帰っていった。こうした別れになるのは悲しいが、割り切るしかない。出会いが良くても別れ際で失敗することはあるし、その逆もあるからだ。
少し感傷的な思いを抱きつつ、ビールを飲み終えた。空き瓶を渡そうとすると少年は「隠せ!」と叫んだ。
「やっぱり、やべえ奴なのか?」
「隠せ!」
持って帰ってよと言う間もない。少年は私からビール瓶を取り上げると、部屋のベッドの下に転がした。
「これでオーケー」
なんとも子どもっぽい隠し方である。掃除したら絶対バレるし、私が後から怒られる奴だ。しかし少年の誇らしげな顔は、清々しいほどだった。
笑顔で出ていく少年を見送り、ドアの鍵を閉める。疲れていたのか、ビール一本で軽く酔いが回っていた。入国3日目が終わった。