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イスラム世界探訪記・パキスタン篇⑦

05年9月25日(フンザ)

 喉が痛い。昨日からの下痢は落ち着いたが、今度は風邪気味である。せっかくのフンザを風邪ごときで台無しにされてたまるかと、昨夜と同じレストランで朝食を取った。温かいスープが美味しい。店の名前が日記に残っていないのが残念だが、ここは良き店だった。

 レストランを出ると、同世代の日本人男性と出会い、挨拶した。名をタナベさんという。ラワールピンディーからヘリコプターで来たそうだ。東京都内の郵便局員になって1年目。「数年かけて公務員試験を受け、ようやく郵便局に合格したと思ったら、民営化ですよ」と自虐的な笑みを浮かべた。

 思えばこの年2005年に、郵政民営化法が成立している。同じような境遇の人は、ほかにもいるのだろう。まさかフンザでこんな話を聞くとは思わなかった。チャイを飲みながら話をしたが、タナベさんはそれ以外にも「泊まっている宿の水道から黒い水が出る」なんて話を苦笑いを浮かべながら続けていた。

 そうこうするうちに昼を過ぎたので、通りすがりの店で手作りのチーズナン(35Rs、約70円)を食べてから「バルチックフォート」へ向かった。

ナン作り。仕事が丁寧で美味しい

 バルチックフォートは、かつてのフンザ王国の居城だ。町を見下ろす丘の上にある。ぜいぜい息を切らしながら、坂を登った。空気が薄くて苦しい。昨日に引き続き、路上で売っていた杏のドライフルーツを齧る。町を歩く際は、常に袋ごと持ち歩いて食べ歩きしていた。フンザは杏の栽培が盛んな土地で、花が咲き誇る春先の美しさは格別だと聞く。いつか春に来てみたい。

町を見下ろすバルチックフォート
距離を詰めるとこう

 たどり着いたバルチックフォートは、きちんと入場料を取る観光名所だった。その大きさや面構えからは、城というよりも、砦に近い印象を受ける。貧乏旅行者の自分は入場料をケチり、城内に入ることを諦め、周囲の散策だけにとどめた。

 こうして若い頃の一人旅を振り返り、懐事情で数々の観光を断念したことを、とても後悔している。パキスタンの数年前にインドに行った時も、お金がなくて、かの有名な「タージマハル」の観光を飛ばした。時間と健康と金。この三つを同時に手に入れられる時期が、人生にはないのだろうか。なむなむ。

 ともあれ、フンザを見下ろすように建つバルチックフォートからは、雄大な光景を見渡すことができた。内部の見学をはしょっても、充分に満足できる場所なのでおすすめだ。

遠くを見れば
下を見れば

 その後はメインストリートに並ぶ土産物屋を散策し、ジャムやお茶、ショールなどを買った。ショールは50ドルと言われたが、軽く交渉するだけで15ドルまで下がった(おそらくまだ高い)。

 町を歩き回ると、日本語の看板が多いことに気がつく。多くの日本人ツーリストが訪れている証拠だろう。「風の谷のナウシカ」と大きく書いた看板を出す店もあった。フンザがナウシカの舞台のモデルになったかどうか、真偽は定かではないが、この地にいると信じたい気持ちになる。

こんな取り組みを打ち出す店もあります

 土産物屋の中には、トラベラーズチェックの両替をしている店もあった。チェックの両替は首都周辺ですら難しかったのに、このような田舎で取り扱っているとは、さすがパキスタンの誇る観光地だ。ラワールピンディーで、クレジットカードを使ってルピーをキャッシングしていたので、もう両替の必要はなかったが、うならされた。

 夕食は宿のレストランで取ったが、まだ腹部に違和感が残っており、あまり食べられなかった。明日は朝早くから移動のため、チェックアウトの前に勘定してもらうと、今夜も含めた3泊+夕食1回で、総額1975Rs(4000円弱)である。

 日中は汗をかきながら歩いたが、夜になると高地の涼しさを感じた。半袖の上に長袖を重ね着する。寝る前に、散策の途中で袖擦りあった現地の若者との会話を思い出した。

「フンザの冬は寒いんでしょう?」

「全てクローズだよ。雪が腹の辺りまで積もる。ツーリストもいない」

 一年間滞在し、春の杏の花を、冬の雪景色を見てみたい。そんな気持ちになりながら眠った。

 なお、タナベさんの宿だけでなく、私の泊まっているホテルでも、しょっちゅう黒い水が出ていたので、これはもう当時のフンザの標準設定だったのかもしれない。


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