猫が出る扉と熊が出る小屋
世の中の出来事
9月12日 - トルコで9月12日クーデターが起こる。
9月17日 - ポーランドで独立自主管理労働組合「連帯」が結成される。
9月18日 - アメリカ・アーカンソー州のダマスカスにあるタイタンミサイル基地で整備員のミスでミサイルの燃料タンクが破損。翌日、ミサイルは核弾頭を搭載したまま爆発する。死者1名。
9月22日 - イラン・イラク戦争勃発。
9月26日 - ドイツ・ミュンヘンのオクトーバーフェスト(ビール祭り)会場で爆弾テロ、13人死亡。
猫が出る扉と熊が出る小屋
小諸市西原にある祖父母の家の敷地には、”猫の出る扉”と”熊が出る小屋”があった。
当然実際に猫や熊が出没することはありません。
おそらく小さな子供であった私が中に入って怪我をしないように”脅し”として猫とか熊とか言ってたのでしょう。
猫が出る扉の向こうには農機具や農薬が貯蔵してあり、熊の出る小屋にはビニールシート等の農業用資材が保管してあった。
いずれも小さな子供にとっては怪我の危険があり、大人としては注意が必要である。
ただ、3歳の私にとっては、逆にその猫や熊を是非見てみたいという野心に変わってしまったのだ。
祖父母の母屋の庭先に別宅がある。
子どもから見ると長い歴史のある2つの古い家は、不思議の塊であった。
母屋はもともとは平屋だった建物に後から台所や風呂場を増築し、さらに子供部屋(母親と叔父の部屋)として2階も増築したようだ。
長年に渡って何度も増改築したこともあり、間取りが非常に不自然な構造である。
その母屋の西隣には”熊が出る”と言われた”物置小屋”があった。
小屋と言っても、大人が屈んで出入りするような洞穴のような縦長の小屋であった。
さらに母屋の東隣りには別宅があった。
その別宅は一応住むこともできたが、ほとんど納屋として使っており、昭和30年代頃迄は1階で牛を飼育していたらしく、至る所に牛舎の構造の名残も残っていた。
その牛舎の名残が残る別宅の東部屋の扉が、例の”猫が出る扉”であった。
昭和40年代には牛舎としては使用されておらず、当時祖父が経営するガラス店の資材置き場と稲作用の穀櫃に使用していた。
穀櫃とは収穫した籾を保管する為の倉庫である。
別宅は2階建て構造になっており、松本城のような急な階段を上ると、広い板の間になっていた。
このような建物構造は、長野県東信地域の常識としては養蚕目的で2階の板の間を使用したと考えるのが妥当だと思うが、過去に養蚕をやっていた話は聞いていない。
祖父母が亡くなってしまった今となっては知る余地もありません。
2022年現在、旧祖父母宅の家屋はひっそりと空き家として残っている。