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小諸なる古城のほとり

祖父は小諸市西原でガラス店を営んでいました。
週末は両親と一緒に祖父母の家に遊びに行っていた。
祖父は初孫の私が遊びにいくことを毎週楽しみにしていたようで、
週末には決まって私をいろいろな場所に遊びに連れて行ってくれていた。
仕事で使うトラックの助手席に乗せられて、懐古園に併設された遊園地や動物園で遊んだ後、
帰り際に駅前にあったツルヤのフードコートでジュースやアイスを頂くのがルーティーンになっていた。
当時の長野県東信地は開発が特に遅れており、山と田畑だけの景色が広がっていた中で小諸駅周辺が唯一の街であった。
また小諸駅には電車に乗って東京を行き来する若者が多く訪れており、まさにこの地域の東京玄関口でもあった。
今は新幹線に乗って気軽に東京に行くことが出来るが、当時は特急あさまに乗っても半日かかる長旅だったためか旅行かばんの乗客が多かった。
そのためか都会の雰囲気が小諸駅には漂っており、その光景を見るたびにひどく興奮して胸を高鳴らせていた。
私はそんな街の空気が大好きだった。
今想うと、この胸の高鳴りこそが祖父から貰った私の宝物であったように思う。
後に祖父が亡くなると、小諸駅周辺は変化が訪れようとしていた。
長野オリンピックを機に北陸新幹線と上信越自動車道が建設され、信越本線の横川-軽井沢駅間は廃線となり、軽井沢-長野駅間はローカル路線となった。
現在、発展の機会を失った諸駅周辺は、当時の面影を残しつつも、ひっそりと人々の記憶から忘れられようとしている。

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