見出し画像

【前編】スティーブ・ジョブズ氏をガッチガチに調べました

タイトルの通りです。

なお、前章はスティーブ・ジョブズの「経歴・実績・試練」に焦点をあてて執筆しています。



経歴


1955年:誕生と養子縁組

2月24日

  • スティーブン・ポール・ジョブズ(Steven Paul Jobs)は、カリフォルニア州サンフランシスコで誕生。

  • 生後すぐに養子にだされ、ポール・ジョブズとクララ・ジョブズ夫妻に引きとられる。


1960年代:幼少期と少年時代

1961年

  • 一家はカリフォルニア州マウンテンビューに転居。

  • ポールは自宅のガレージに作業台を設置し、スティーブに機械工学の基礎を教える。

1965年

  • 4年生のとき、快活な女性教師に出会い、勉強に興味をもつようになる

  • 知能検査で高い知能指数を示し、1年飛び級して中学校に進学。

1968年

  • 13歳のとき、ヒューレット・パッカードの創業者ビル・ヒューレットに直接電話。
    部品を提供してもらうとともに、夏季インターンシップの機会をえる。


1971年:スティーブ・ウォズニアックとの出会い

  • 16歳の夏、友人ビル・フェルナンデスの紹介でスティーブ・ウォズニアックと出会う。

    2人はすぐに意気投合。
    のちに「ブルーボックス」という長距離電話を無料でかけられる装置を共同で開発・販売する。


1972年:リード大学への入学と中退

  • オレゴン州ポートランドのリード大学に進学。
    しかし、学費の高さと必修科目に価値を見いだせず、半年で中退。

  • 中退後も大学に留まり、興味のある講義(特にカリグラフィー)を聴講。
    この経験が後のMacintoshのフォントデザインに影響を与える。


1974年:アタリ社での勤務とインドへの旅

  • ビデオゲーム会社アタリに就職し、資金を貯める。

  • 精神的な悟りを求めてインドを訪れるが、現地の実情に失望し帰国。
    その後、禅や瞑想に傾倒する。


1976年:Appleの創業

  • スティーブ・ウォズニアックとともに「Apple Computer Company」を創業。
    最初の製品「Apple I」を開発し、地元のコンピュータショップに販売。


1977年:Apple II発売

  • Apple IIを発売。
    使いやすさとデザイン性が評価され、商業的に大成功をおさめる。


1980年:Appleの株式公開

  • Appleが株式公開をはたし、ジョブズは25歳で億万長者となる。


1983年:ジョン・スカリーをCEOに招聘

  • ペプシコのCEOだったジョン・スカリーをAppleのCEOに迎えいれる。

  • ジョブズは「君は一生砂糖水を売り続けたいのか、それとも私と一緒に世界を変えたいのか?」という有名な言葉でスカリーを説得。


1984年:Macintoshの発表

  • GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)を搭載したMacintoshを発表。
    画期的な製品として注目を集めるが、販売は期待を下回る。


1985年:Apple追放とNeXT創業

  • ジョン・スカリーとの対立が激化し、取締役会の決定によりジョブズはAppleをさる。

  • 教育市場向けの高性能コンピュータを開発する新会社を設立。


1986年:ピクサーの買収

  • ルーカスフィルムのコンピュータ・アニメーション部門を買収し、ピクサーを設立。
    あとに「トイ・ストーリー」などの大ヒット作を生みだす。


1996年:Appleへの復帰

  • 業績不振に陥ったAppleがNeXTを買収し、ジョブズがAppleに復帰。


1997年:CEO就任

  • 暫定CEO(iCEO)に就任し、経営を立て直す。


2000年代:Appleの黄金時代

2001年

  • iPodを発表。
    音楽業界に革命をもたらす。

2007年

  • iPhoneを発表。
    スマートフォン市場を開拓。

2010年

  • iPadを発表。
    タブレット市場を牽引。


2003年:膵臓がんの診断

  • 膵臓に腫瘍がみつかるが、手術を拒否。
    民間療法にたよる。


2011年:死去

8月

  • 健康状態の悪化によりAppleのCEOを辞任。

10月5日

  • 膵臓がんの合併症により56歳で死去。


実績


ブルーボック(1971~1972年)

長距離電話を無料でかけることを可能にする不正なハッキング機器。

一台150ドルで学生向けに販売。
約200個売れて、最終的に約3万ドルの売り上げを出した。

銃で脅されブルーボックスを奪われたことがきっかけとなり、販売中止に。


Apple I(1976年)

スティーブ・ウォズニアックとともにApple Computerを創業、Apple Iを開発。

一台666.66ドルで販売。
約200台売れて、約13万ドルの売り上げを出した。


Apple II(1977年)

Apple Iの後継機種。

一台1,298ドル、初年度で約2,500台を販売。

3,245,000ドルもの売り上げを記録し、Appleの成長を支える基盤を築く。

Apple株式公開(1980年)

株価は22ドルでスタート。

ジョブズ氏の資産は2億ドルを超える。

NeXT設立(1985年)

のちに、NeXTで築いた技術をAppleに導入した。

Pixar設立(1986年)

ルーカスフィルムのコンピュータ関連部門を、1,000万ドルで買収。

Pixarと名付けCEOに就任。

Appleに復帰(1997年)

AppleがNeXT社を4億2900万ドルで買収。

ジョブズはAppleに非常勤顧問という形で復帰した。

2000年には、正式にCEOとして就任。

Mac OS Xの発表(2000年)

NeXTとAppleの技術を融合させたMac OS X。

現在も続くMacOSの原点。

ここからAppleのソフトウェア戦略の基盤を築いた。


2001年

iTunesの発表(1月)

音楽管理ソフト「iTunes」を発表。

デジタル音楽市場へ参入した。

Apple Storeの開店(5月)
5月に最初のApple直営店をオープン。

これにより、Apple製品の販売体験が大きく変化。

iPodの発表(10月)
10月に初代iPodを発表。

ポータブル音楽プレイヤー市場を一変させ、Appleの新たな収益源を確立した。


iTunes Music Store開設(2003年)

1曲99セントで音楽を購入できるモデルを導入。

音楽業界に革命をもたらした。


Pixarの売却(2006年)

ウォルト・ディズニー・カンパニーに74億ドルで売却。

ディズニーの筆頭株主となり、取締役会の一員としても活躍した。


iPhoneの発表(2007年)

世界的シェアを誇るiPhoneの初期発表。

これにより、スマートフォン業界を始め、

  • 通信業界

  • 通信業界

  • 音楽業界

  • 映画・テレビ業界

  • ゲーム業界

  • カメラ業界

  • アプリ開発・アクセサリー市場

  • ヘルスケア市場

に大きな革新をもたらした。


App Storeの開設(2008年)

iPhone向けのアプリケーション配信プラットフォーム「App Store」を開設。

これにより、モバイルアプリ市場が急成長した。


2010年

iPadの発表(1月)
初代iPadを発表。

タブレット市場を開拓し、発売後一年で1,500万台以上を販売した。


iPhone 4の発売(6月)
iPhone 4を発売。

高解像度の「Retinaディスプレイ」を搭載し、デザインと性能の両面で評価され170万台を売りさばく。


iPad 2の発表(2011年)
3月にiPad 2を発表。

初代モデルよりも薄型化し、性能が向上した。

なお、同年8月をもって健康上の理由からジョブズ氏はCEOを辞任。
二か月後の10月5日に死去した。

試練

リード大学の中退(1972年)

興味のない必修科目を履修することを嫌がり、大学に半年間通った末に中退。

ジョブズによれば「両親が一生をかけて貯めた学費を、意味のない教育に使うのに罪悪感を抱いた」とのこと。

また、中退後もリード大学のキャンパスを放浪していた。

コカ・コーラの空き瓶拾いや心理学科の電子装置修理で日銭を稼ぎながら、哲学やカリグラフィーなど、興味のあるクラスだけを聴講。


合計、18か月をリード大学に費やした。


インドへの理想と現実(1974年)

ジョブズは「自分は何者なのか知りたい」「導師に出会いたい」という思いを胸にインドへまで放浪し、目にした現実に絶望。

理由は様々あるが、おもには以下のとおり。

  • インドの貧困と混沌とした環境

  • ニーマ・カロリ・ババの死

  • あまりに過酷な生活環境


インドの現実と経験を手にして、一年足らずで帰国した。


Lisaプロジェクトメンバーから外される(1980年)

ジョブズの独裁的な振る舞いに不満が募り、当時CEOであるマイク・スコット氏によって、Lisaプロジェクトメンバーから外された。

1981年のMacintoshプロジェクト参加まで、行き場を失う。


Macintoshプロジェクトの危機(1981~1984年)

ジョブズがMacintoshの需要予測を誤ったことにより。

Macintoshは、直感的な操作を可能にした画期的な製品ではあったものの、

  • 完璧主義ゆえ開発が難航

  • 価格が高価(2,495USドル、当時約698,000円)

  • 性能の制約で動作がモッサリ

  • ソフトウェアの不足で実用性に欠ける

  • IBM PCなど競争の激化

など、懸念点がいくつもあった。

決定打は、ジョブズがMacintoshの需要予測を誤ったこと。

これにより、Appleは初の赤字を計上し、当時CEOのスカリーと衝突する。


全業務の解任(1984~1985年)

スカリーはジョブズがAppleの経営を混乱させている判断。


1985年4月にはジョブズをMacintosh部門主任および副社長 (Executive VP)から解任することを取締役会に要求、承認された。

ジョブズは、5月31日に全ての業務から解任。

代わりに実権を持たない名目上の会長職を与えることになる。


Appleでの仕事がなくなったジョブズは、新たなプロジェクトすら立ち上げられない状況にとどまることに絶望した。


NeXT社の商業的失敗(1986~1996年)

解任後、ジョブズはNeXT社を立ち上げ、正式にAppleを退職。

NeXT社の商業的失敗は、

  • ジョブズのこだわり

  • 生産コストが高価

  • 部品の供給不足

により、思うように売上を伸ばすことはできなかったから。

しかし、技術面が非常に優れており、のちにAppleへの復職を果たした。


製品開発における失敗(2000~2011年)

ジョブズが正式にCEOとして就任した2000~2011年の失敗作。

  • Power Mac G4 Cube(2000)

値段が高く、その割に性能も中途半端で売れなかった。

Mac史上最も美しいデザインといわれている。

  • ブルートゥース・ヘッドセット(2007)

アップル製のワイヤレスイヤホン。

おそらく、

「音楽再生に対応していなかった」
「Appleの付属イヤホンにマイクが内蔵された」

などの理由から、2009年に販売終了した。

なお、2016年には「AirPods」として復活。

  • iPhone5c (2013)

「廉価版であるが、5sと一万円しか変わらない」
「スペックが前モデルのiPhone5と同じ」

とくに買う理由もないため、売れなかった。

翌年には販売終了。



後編は「性格、生活、闘病」の3つに分けて執筆しております。




いいなと思ったら応援しよう!