日本語はもっと上品で美しいもののはずだ
悲しい出来事が起こりました。
女子プロレス「スターダム」に所属する木村花さんが23日に亡くなったことがわかった。22歳だった。同団体のホームページ(HP)で発表された。(Yahoo!ニュースより引用)
まだ22歳ですよ。年齢的には僕の1つ上、一浪の友達の同級生。そんな人が亡くなったというニュース。死因は明確にはされていませんが、出演していたテレビの視聴者からの心無い非難に心を痛め、自ら命を絶ったのではないかとTwitterなどでは噂になっています。
あまりに悲しすぎる。僕は木村さんのことを知ってすらなかったけど、このニュースを見たときにショックを受けました。こんな若くて可愛らしくて皆から愛されてる子がこんな悲しい形でこの世を去るなんて。
思えば、KARAのメンバーのハラさんが亡くなったときだって同じような感覚に包まれた気がする。その感覚をすっかり忘れて今に至る。「忘れる」というのは人間の武器でもあるが、逆に忘れちゃいけないものもある。この感覚は、僕にとっては「忘れたくないもの」であり「他人と共有したいもの」であるからこそ、このnoteに書き残しておきたいと思います。
①最近のTwitterに対する違和感
コロナを中心に社会が回るようになってから、Twitterは完全に動物園へと成り果ててしまった気がします。
安倍政権に対する非難は日常茶飯事。政治に対して無理解な発言が跋扈し、自粛しない人がいればその背景に想いを馳せることなく晒しあげる…
もともとTwitterはそういう場所であった…少なくともそういった性質は持ち合わせていたのは承知の上ですが、コロナの時代になって以降、非常に治安が悪くなったように思います。
自粛に自粛が重なり、経済も思うように回らない中で、苦しい生活を強いられている人は少なくないと思います。だからこそ、ストレスは溜まるし、それの影響がTwitterでの言葉遣いに反映されるのもわからなくはないです。
だけど、アドラー心理学的において、怒りは捏造されるものだと言われています。だけどこれって、怒りだけじゃなくて、ほぼ全ての感情がそうであると思っています。
つまり、Twitterで人を叩く人は、その事象や人に対して怒りを抱き、その怒りを伝えたくてTwitterで呟いているわけではないと言えます。僕個人の考えとして、「正義の鉄槌を振り降ろすこと」への快感と、「自分は正義感に溢れる人間だということをフォロワーに見せびらかすこと」への快感を得たいからこそ、Twitterにおいて怒りというラベルを貼った「叩く」という行為に及ぶのではないかと考えています。
そう考えると、Twitterでドヤ顔で発信するのって、なんて独りよがりでしょうもないことなんだろう、って思わずにはいられません。
②日本語はもっと上品で美しいもののはずだ
その独善的な怒りから生じるのが「○ね」「消えろ」「辞めろ」「お前なんかいなかったら良かったのに」といった言葉たちです。
1つ言わせてください。
語彙力ないんですか。
…それとも多様な語彙を使いこなすだけの脳がないんですか。
独りよがりでしょうもない怒りは、「なんとしてでもこの人の存在を否定しよう」という思考を導き、このような言葉を編み出すわけです。その人の行動やアウトプットを否定するのではなく、人格を否定する方向に走らせるわけです。
幸いにも、多くの日本人は、そのような言葉を使わずとも意見を伝えられるはずです。だって、進学率ほぼ100%の小学校では国語の授業を受けますし、道徳では「ちくちく言葉は使わないようにしましょうね」と教えられるわけですから。
そうなんです。日本語はもっと上品であれるはずだし、美しくあれるはずだし、悪口じゃなくて、嬉しいこと楽しいこと美しいことを発信するときに使われる方が100倍良いと思うんです。
平安時代から、いやもっと前から紡がれてきた美しい日本語が、今は正しくない使い方をされることが多いということが、かなり寂しいし、違和感を抱きます。
悪口を言ったところで誰も幸せになんかならない。自分がちょっと気持ちよくなるだけ。
もう、やめにしませんか、そろそろ。こんな愚かなことは。
悪口を浴びせていい人なんていないんですよ。叩いていい人なんていないんですよ。悪口なんて口に出さないほうが100倍いいんですよ。
美しい日本語で、人が励まし合い続けられるような世の中が来ますように…。
コラム:木村花さんは美しい
合掌。安らかにお休みください。
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