塾講師がファッション業界に入ってみたら〜業界10年目の私が懐古する〜②
百貨店のショップ内で販売として店頭に立つことになった私。塾講師からアパレル販売員になってから3度目の冬の頃でした。
「メイク濃くしよっか」
東京の店舗で店頭に立って販売もきちんとできると思われた頃、店長からの一言でした。
そう、私は味付けの薄い顔立ち。
前も某百貨店のショップで販売員をしていました。百貨店は基本的に華美でなく、ナチュラルなメイクを推奨しています。私はそのルール通りに、同じくそのメイクをしていましたが、それは東京の中心地のファッショニスタの街では、とても地味なのです。
百貨店研修ではそんなこと言われてない、論理が違うではないか、という論理は通らない感性の世界ということをもう分かってましたから、
後日、美容部員さんにメイクを教わり、一通り購入。
これはある意味、造形の時間なのだ、研究の時間なのだ、そう思うことにしました。そして、これはやがて功を奏するのです。
同じ頃、所謂、制服を購入しなければならなかったので、店頭のものから選んでいました。
「うち、38サイズ以上はサイズがないから太れないよ」(ぴしゃり。)と店長の一言。
そうか。入らないとなると着る物がない。仕事として太れないというとこか。
それから、これは保健体育、造形の時間、複合的な研究の時間、そう思う事にしました。
これもやがて功を奏します。
東京都心という街は、人が多いだけでなく、感度の高い、地方よりも情報量がとてつもなく多い街。これに気づく事で人はカーヴィング(彫刻)されていくのだと知ったのです。
そして接客するお客様も、性格や質や考え方、優先順位、経験が地方育ちとは異なりました。東京と地方ではお洋服に対しての価値観が違うということを知っていきます。
きっと、to be continued!
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