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洗濯干すの、めんどくさい。

みんなちがって、
みんないい。


セトさんの記事を読んでふと頭に浮かんだことがあった。洗濯物のこと。



🧺🧺


「これから洗濯機を回すよ〜」

そう夫に言われたある日の午後。
瞬時に「今はイヤ!」が浮かんだ。

だって洗濯干すなら今干してあるものをよせなければならない。よせた服をしまうって動作も必要。今のわたしの体力気力的に無理。頭も体もイヤと言っている!…うん!無理してはいけない。

よって夫の問いかけにNOと言おう。
自分を労われている、えらいぞ!!!

数秒脳内会議し、「今はイヤです」と答える。するときょとんとした顔の夫。数秒後、いつも彼が何か考えているときの顔になり、ふふふと笑いながらお風呂場へ消えていった。こわい。(怖いもの見たさのこわいに近い感覚)

お風呂上がりの彼は、二人の思考回路の違いを見つけたようだった。洗濯物を干すことに対しての。(その他もろもろに通ずる気づきでもあった)


感情優位の妻ーとにかく、今は干したくない!!!


明日大量の洗濯物を干すことについて、
1ミリも、考えもしていない。
今、ここ。目の前のことしか見えていない。


思考優位の夫ータスクの優先順位を考える


昨日たくさん洗濯物入れたな。今干しておいた方が後々楽だから、今洗濯機回しておこう。妻は何か洗うものあるだろうか、一応声をかけておこう。というように今現在の、前後の場面から、最適解を目指し行動する。


見ている時間の地点が、全く違った。



そもそも、夫は「洗濯機回すよ〜」と自分の行動を報告しただけ。それに対し「ならば洗濯をよせて、片付けて、干して・・・わー今は無理!」と自分の感情に支配され先走り暴走する私。

夫の「洗濯機回すよ〜」の言葉は、僕は自分で回すし、干すから、ついでに洗いたいものがあればどうぞ(妻の手伝いはこの時点で求めていない)という意味だった。


🧺🧺

たったこれだけ。これだけのささいな出来事なんだけど、わたしの一方的な「今はイヤです!」が積み重なれば、すれ違いを引き起こすかもしれない。小さなことほど見て見ぬふりをしない人でありたい。…わたしは気づけずてんやわんやしているので、夫の気づきに耳を傾ける勇気を保ちたい。


自分の至らなさや出来なさ、苦手なところを受け止めるってしんどい。でも大切な人との間に大きな波が立つことの方が、最終的なダメージは大きい。


互いの間に波が立つ前に、小さな波をふたりでうまく乗り越えたい。できれば楽しくこんな乗り方もあったのかって面白がりながら。互いの捉え方の違いも、立場や状況によって様変わりしていくから。一点の失敗を見つめすぎず、先の未来で活かせるように自分の糧にしていきたい。


みんなちがって、みんないい。


各々の特性が活きるところを
一歩一歩、探していこう。


今までこういう場面は何度もあったけれど、その場しのぎで流れて生きてきたのだった。ようやく受け止める余裕が生まれたんだった。休職して、立ち止まれて、本当に良かった。……いくつになっても学びは続く。




そんなことを言っておいて、その翌日。
夫に不快の笑みを浮かべさせるほどの失態をする。それもほんのささいなこと。「コンセント」にまつわる相談事。どうしてこんなに簡単なことが、31にもなって出来ないのかと悲しくなる。noteにあげていないだけで、失敗多めの毎日です。

まだ傷が癒えぬのでじっくり寝かせて、またいつか。「コンセント事件」を記事にして笑えたらいいな。失敗続きの毎日でも生活はつづく。だけど誰かに聞いてもらえる場所があるから救われることもある。

noteがあってよかった!


✌️