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【読書感想】途中過程を飛びこえない。ーメメント・モモ


|読んだ本


🫧🫧


夫へシャンプーの詰め替えをお願いする。にこやかに断られ、じぶんで詰め替えた。底から丸めながら無駄なくボトルへ液体を落とす作業、きらいじゃない。真剣に詰め替えているとすまなそうに夫が一言。

「苦手なんだよなあ。周りにこぼしちゃって。代わりにお願いできて助かる。」ーふと思う。ものごと途中って面倒なことが多いかも。ポッと2つの場面が浮かんだ。


例えば、シャンプーを使う。
・最初ーお店で買う。
・最後ー容器壊れた、捨てる。

途中には、シャンプーの詰め替えを薬局へ買いにいく。前回のと同じにしようか、中身だけ違うのにしようか検討する。購入する。家に持ち帰る。頃合いを見て替えを補充する。容器を変えずに使うなら、中身の補充はヘッドが壊れるまで続く。きっと今の容器が壊れるまで、我が家ではわたしが入れ替えを担当する未来が確定している。


例えば、作品作り。
・最初ー描くぞと決める。
・最後ー作品が完成する。

どんな構図で描くか。何を描くか。道具は何を使うか。下絵の鉛筆を消そうとしたらインクが伸びた!!!ぐわーーーー!!!と言いながら修正作業。・・・つづく。


最初と最後は至ってシンプル。途中は複雑で凸凹で、いいことばかりじゃない。波間にある面倒なことはできるだけ見たくないし、ラクしたい。その最たるものが「食べること」ではないかと思う。


🍽️🍽️


食べること。
・最初ー生きている姿を見つめること。
・最後ー美味しくいただくこと。

生きるためには、何かの命をいただく必要がある。食欲は根源的欲求だ。けれど、どうしても目を背けたい現実であるように思う。



|「かわいそう」に心がざわめく


釣りが趣味の私は、釣った魚を家で捌く。捌いた後、食べるには調理をする必要がある。魚のお腹を開くたび、食べるってことは、命を奪うってこと。そう生々しく感じる。釣りをすることはわたしが生きていくために必要なことの一つ。命をいただくからには、無駄にせず美味しくいただきたいと思っている。しかしながら、釣り一つとっても捉え方は十人十色。

ある人は針で魚が痛そう。捌く姿を見たある人は、わたしにはできない。ーかわいそう。そう言われるたびに、どうにも腑におちない気持ちになる。

皆、食べているのになあって。魚や豚や牛に限らず、野菜も果実も。何かの命を奪って食べる。そうやって、今日を生きているんじゃないのかなあって。

魚は切り身で川を泳いではいないし。挽肉が牧場にいるのではない。誰かの手によって、魚は切り身になって、豚は部位ごとに分けられて、スーパーにやってくる。大根だって畑の土のベットで寝てるとこ抜かれて洗われて、台所へやって来て、おろしになって食べられる。(今夜の我が家は鮭のハラス丼、おろしのせ)


美味しくて夢中で食べた


🐖🐖


モモが死ななければならない理由なんて、あるはずなかった。そこに理由を見出すのは、きっと人が生きやすくなるためでしかない。

本文より

八島さんと豚のモモ。豚を育て、屠畜し、食べることはまさに生きることだと思いました。天使のふわふわな子豚のモモも、150キロを越え突進して大人を吹っ飛ばすほどパワー溢れる巨豚になっても。変わらず愛を注ぎ続け、向き合う。命の期限を決めることに悩み苦しみつつも、モモを食べると決め、最期の日までモモの命と自分を重ねて屠畜の方法を考える姿に胸が震えた。

受け入れ、愛し、悩み、苦しみ、食べるまで。最初から最後まで全部を引き受ける。食べた後もモモの記憶は生き続ける。モモの肉は八島さんへ。命はめぐり、次に繋がっていく。かなしみやくるしみを越えて、よろこびを運んでくれると信じて。


|生きることは食べること


見えない場所で、途中を省かれた存在が、心地よい形で手元に来ていること。その過程を、忘れずにいたい。ほんの一瞬でも、狭間へ目を向けることで自分が命の輪の中にいることを体感できるんじゃないかと思う。見たくない・心地よくないをふと越える、すると見える世界も変わるかもしれない。


生きることは食べること。
食べることは生きること。



おわり


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