嘘を無敵アイテムにする。
結婚式はしなくていいと思っていた。大嫌いな親戚を呼びたくないから。ちょうどコロナ禍だったので、親と兄弟だけのささやかな幸せな空間になった。終始とても心穏やかでいられた。
大嫌いな親戚のことは小さな頃から生理的に受け付けず(他にも理由はあるが)、特に祖母のお葬式の時。その人が祖母の旅立ちの支度を整えるのに触れることさえ許せなかった。冠婚葬祭があれば、血のつながりで集まらなければならない。ずっと家族や親戚との付き合いを絶えさせることはできないのだと思っていた。でも、これからは止める。いくらでも自分を守るための嘘のつき方がある。自分の心身を守るためなら、嘘も方便だ。
父母とは仲が悪いわけではない。むしろ手をかけて育ててもらったと思っている。だけど、小さな頃からどうしても「長女」だと言うことを理由にして小言を言われ続けたことを忘れられない。息苦しかった日々が胸の中に留まっている。
何かにつけて、母は私に小言を言った。たまに反発してみると「人の粗ばっかり探して」と感情的に怒られた。納得のいかないことも多かった。母を怒らせると自分に不利なことばかりだと気づいてからは何も言わずに謝って時が過ぎるのを待つことが多くなった。大学のために一人暮らしをする18才頃までずっと耐えた。「耐えた」と言う表現になってしまう。大学の4年間は自由だったから。
自分の食べたいものを食べ、自分の時間をしたいことのために使った。誰にも何も言われない。その心地よさに慣れた私に、実家の暮らしは外に出る前よりも窮屈で苦痛になっていた。一度実家に戻るもやはり耐えられず。就職した4月。たった4週間で実家を出てしまった。
それが母を傷つける選択だという事は気づいていたけれど、自分の心を押さえつけて我慢することはできなかった。
結婚してからは夫と言う大きな支えと共に実家に顔を出すことが増えた。増えたといってもほんの数回位だけれど。一人暮らしをしていた時は盆と正月にしか帰省しなかったので、それに比べればだいぶ成長した。しかし、うつで休職してからは一度も帰省せず(出来ず)、適度な距離感で過ごすことに成功している。「うつだから」を上手く言い訳にして。家族だけれど、数時間過ごすだけでも気を遣って疲れることには変わりないから。
家族だからといって、全て分かり合えるわけじゃない。そして分かり合いたいとみんなが思っているわけじゃ無い。皆んなが皆、一様に心地よく生きられることはない。「家族だから」「親戚だから」…丸々だからと括られることで、苦しみを感じることがある。
色んなしがらみや他者からの「こうあるべき」にがんじがらめにされることも沢山ある。だけど、これからは、自分が心地よく生きられる選択をしていきたい。それが誰かを傷つける結果になってしまっても。人生の舵を取り、日々を生きていくのは自分自身しか居ないのだから。
と言いつつも、「家族がなんだ!」「親戚がなんだ!」と強くは言えない。だから、上手く嘘を使い分けながら、細々と生き抜いて行こうと思う。マリオのスターみたいに、時たま発動させて。