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地方のリアル。人びとが静かに、ひっそりと去っていく

SHIROが中心となってリニューアルを進めている「砂川パークホテル」。このホテルがある北海道砂川市とはどのような"まち"なのか。それを踏まえて、このまちを盛り上げるために、砂川パークホテルはどんな役割を担おうとしているのでしょうか。SHIRO会長の今井浩恵が砂川の現状とホテルの未来像を語ります。


「木材と石炭運搬」で栄えた"まち"

 北海道・砂川市は「地方のまち」の一つですが、一口に地方といっても、個性はさまざまです。神山まるごと高専のある徳島県神山町のように、すでに特色あるまちもあれば、これからつくっていくまちもある。民間主体のまちもあれば、行政主体のまちもあります。あるいは、人口の多さや東名阪からの近さ、教育に関する考え方など、さまざまな切り口で語れます。
 
その中で、砂川市とはどんなまちなのか。
北海道の砂川市は札幌市と旭川市の中間に位置する、道央のまちです。人口は約15,000人。市としては相当小さな部類に入ります。ピーク時には44,000人程度が暮らしていましたが、徐々に人口が減り今ではピーク時の3分の1にまで落ち込みました。
 
石狩川とその支流である空知川が合流する位置にあることから、かつては木材業が非常に盛んだったそうです。木材を水中乾燥させて、その木材に乗りながら川をつたって隣町に運んでいる写真が、砂川市の郷土資料館に今も残されています。一方で、水害に泣いたまちでもあります。ハザードマップで見ると氾濫しやすい地域になっています。「
 
砂川の発展にとって大きかったのは、明治時代に、近隣になった歌志内炭鉱の石炭を運び出すために鉄道が開通し、「砂川駅」が設置されたことです。駅ができたことで、その周辺にまちが形成されていきました。
 
現在も砂川駅は札幌と旭川を結ぶ特急列車が停まる駅ですが、乗降者数は減少するばかりです。砂川駅は「通過点」と言われていて、地元の人以外はあまり使いません。
 
まちを歩いても、ユニクロや無印良品、スターバックスといった全国チェーンはなく、イオンモールもありません。洋服などを買おうと思ったら、隣町の滝川市や旭川市まで車で出かけるしかありません。教育機関も限られており、小中一貫校への移行が進められ、高校は1校のみです。

「出来上がっているまち」に人は集まる

 私は砂川に20年ほど住んでいました。
数字上では人口はどんどん減っていたようですが、肌感覚ではあまりそれを感じませんでした。
 
理由はいろいろあると思います。
1つは他のエリアに移住する家族は、本当に静かにひっそりと去っていくから。わざわざ「ここが嫌だから砂川から出るんだ!」なんて誰も言いません。人はきっと、静かにいなくなるものなのです。また、地方だとなかなか子どもが生まれないので、いわゆる自然減もあるでしょう。
 
加えて、「移住者が入ってこない」というのも大きいでしょう。
地域おこし協力隊のような人が集まればいいですが、そういう人たちが集まるのは「出来上がっているまち」です。この「出来上がっているまち」とは、移住者が多いまちのこと。北海道でいえば、長沼町やニセコ町、余市町、東川町などがそう。
 
こうした「出来上がっているまち」の特徴は、「なんだか雰囲気が良いな」と感じられるまちのことです。必ずしもおしゃれなカフェやアートギャラリーが必要というわけではありません。そこに住んでいる人々が良い雰囲気を醸し出していて、居心地が良い。だから、外からも人が来たいと思い、住む人が増えていくのです。

つくる過程に人を巻き込み、魂を動かす

もちろん、砂川市も「出来上がっているまち」になれると私は信じています。それを実現するために、砂川パークホテルは、「人が集まる最初のハブ」の役割を果たしていきたいと考えています。
 
ホテルをリニューアルするというハード部分だけでなく、パークホテルという建物で、砂川に住んでいる人たちのいいところがにじみ出てくるような仕掛けをつくりたい。ハードを武器にしながら、いろんな人と人とが交流するソフトに繋げていくつもりです。
 
そのためには、パークホテルをつくる過程で、いかにいろんな人たちを巻き込み、その人たちの心や魂を動かせるか。それが、このプロジェクトの肝だと思っています。
 
これは「みんなの工場」をつくってみて実感したこと。
関わる人の心を動かせれば、魅力的なスペースも自然とできていき、さらに人が集まるようなサイクルが生まれていくでしょう。このホテルは現在、工事関係者の長期滞在や、近隣の私立病院の医師が深夜の診療後に利用するといった、どちらかというと実務的な使われ方が中心ですが、地域外からのお客様にもご利用いただけるようになるはずです。
 
そうしたサイクルを生む最初のきっかけづくりが重要だと考えています。

ホテルの周囲の木をイスにする理由

今、考えているのは「残すべきものをきちんと残すこと」です。
 
岩手県盛岡市に、社会福祉関連の事業を手がけているヘラルボニーという会社があります。その会社の社長と副社長を務める松田兄弟が、盛岡の原風景として馴染んでいた古い酒蔵が解体されてしまったことに危機感を覚え、「私たちの愛する盛岡の未来はどこに向かっていくのだろう?、次世代に継承するべき風景や文化を盛岡全体で考えよう」という呼びかけのもと「盛岡のこれからと、守りたいもの」イベントを開催していました。
 
このことに、私もすごく共感しました。
壊すのは簡単だけれども、もう二度とつくれない。みんなの原風景として想い出に残っているものを守るのも、そこに住んでいる人たちがするべきことだと思うのです。もう一回生まれ変わらせること、リニューアルすることも含めて、何らかの形で残し、次世代に繋いでいくべきなのではないでしょうか。
 
しかし、日本はあまり古いものを守ろうとしません。
たとえば建築の観点から見た場合、ヨーロッパは「あるものをいかす」発想が根本にあるため、なかなか建物を壊しません。
 
それに対し、日本は、新しいものをどんどんつくろうとします。
最近は少しずつ変わってきているのかもしれませんが、建築の段階から「500年続く建物をつくろう」と思って手掛ける建築家は少ないと思うのです。
 
アジアもかつては新しいものをつくりたがる傾向があったと思いますが、変わりつつあるように思えます。タイもチャイナタウンの古い建物をリノベーションしていますし、カンボジアも負の歴史があるからか、それを伝える建物を残そうとしています。日本でもそういう考え方が広がっていけば、いろいろなもののつくりかたが変わっていくし、愛着も生まれてくるはず。だから、私たちはまず砂川パークホテルから始めていこうと考えています。
 
先日も、ホテルの敷地内に40年近く植えてあった木を整理したのですが、ただ切って処分するのではなく、それらをイスに生まれ変わらせることにしました。しばらく乾燥させた後、丁寧に保管して、リニューアル後のパークホテルで使う予定です。「あそこに立っていた木がこのように生まれ変わりました」とお伝えできれば、きっと愛着を持ってもらえるはず。
 
つくり手にとっても、「イスをつくろうと決めた日はめちゃくちゃ寒くて大変だったなあ」なんて思い出しながら腰を下ろすのは感慨深いし、想い出に残っていく。このようなことを何十個、何百個、何千個とやっていくと、施設に魂が入り、いい施設になっていくのではないかと思っています。

(編集サポート:泉秀一、杉山直隆、バナーデザイン:3KG 佐々木信)

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