見出し画像

SHIROが「駆け出しの建築家」とものづくりをする理由

SHIROが進める「砂川パークホテル」リニューアルプロジェクト。その設計を担当している建築家が、アリイイリエアーキテクツ一級建築士事務所の有井淳生さんと入江可子さんです。建築の世界ではまだ若手のお二人に依頼したのは、SHIROの「みんなの工場」の設計者として大活躍されたから。SHIRO会長の今井浩恵と意見をぶつけ合いながら、みんなの工場をつくり上げ、信頼関係を築いてきたといいます。前編の今回は「みんなの工場」建設時の秘話を伺いました。

アリイイリエアーキテクツ|有井 淳生・入江 可子
2023年にオープンしたシロの「みんなの工場」の建築家。今回の砂川パークホテルのプロジェクトにも参加。

有井 淳生
1984年 神奈川県生まれ。東京大学大学院在学中にオランダ、ロッテルダムのOMAにてインターン。大学院修了後、シーラカンスアンドアソシエイツを経て2015年アリイイリエアーキテクツ設立。

入江 可子
1984年 東京都生まれ。東京藝術大学大学院在学中にイタリア、トリノのPolitecnico di Torinoに留学。大学院修了後、シーラカンスアンドアソシエイツを経て2017年よりアリイイリエアーキテクツ、パートナー。


「建築は公共物」が共通のビジョン

──有井さんと入江さんがアリイイリエアーキテクツを立ち上げられた経緯からお聞かせいただけますか?

入江:もともとはシーラカンスアンドアソシエイツという建築事務所の同僚でした。建築に対するビジョンが近くて、遅くまで働いた帰り道に缶ビールを飲みながら「将来、独立しよう」と夢を語っていたのです。

有井のほうが私より3年早く入社していて、先に辞めようとしていたので、「辞めたらどうする?」とたずねたら、「いや、一緒にやろうよ」という話に(笑)。

2015年に有井が独立して、2017年に私がジョインしました。

今井:建築に対するビジョンが近いということだけど、前職時代からどういうものをつくりたい、と思っていたの?

入江:私たちの根底には、建築を「公共物」だと考えて取り組む姿勢があります。建築は個人的なものではなく、仮に個人の住宅だとしても、建った瞬間にその地域のものでもあり、公共性が伴うと考えているのです。

前の職場のシーラカンスは公共建築に携わることが多く、とくに学校建築の大家とされていて、そこで修行して視野を広げたいと考えていました。最初から「不特定多数の人間が関わる場所をつくるとはどういうことなんだろう?」ということに興味をもって修行をしていました。

有井:僕も公共性に関心を持っていました。建築を始めたきっかけは「都市はおもしろい」と思ったことです。都市は建築物の集まりでできている。自分がつくったものがまちの一部になって、都市の魅力になったらいいな、というビジョンがありました。

僕が学生の時に感動した建築が、パリの北駅です。当時の技術革新を生かして、すごく細い鋳鉄の柱で、あれだけ大らかな空間をつくっている。その中でいろんな人たちがいろんなことをしていて…。その光景に感銘を受けたんですね。

そんなことを思い続けていたら、前職のシーラカンスで駅の設計を担当する機会をいただけました。自分たちが「こういうふうにしたい」という方向に導いていただいているように感じます。

入江:そういう意味では、みんなの工場も、砂川パークホテルも、自分たちがもともと興味のあったことにトライさせていただいている。やりたかったことが少しずつ形になってきています。

ネガティブな指摘をしたら選ばれた

──SHIROとはどのような経緯で仕事をするようになったのですか?

有井:はじまりは「みんなの工場」の指名コンペに声をかけていただいたことです。私が前職のシーラカンスで工場を担当していたり、独立してから倉庫兼事務所を設計したりした経験があったことから、見つけていただいたのですね。

入江:ただ、指名コンペでは本命というより若手枠で入れていただいたんだろうな、と憶測していました。

有井:確かに、こんな大きな仕事を、僕らみたいな30代の駆け出しの設計事務所に頼むことはなかなかないのかなと。だから「ちょっと話聞いてみようかな」くらいの感じだと思っていました。

今井:正直なところ、それはありました。当初は大御所にお願いしたいと思っていたのです。大御所に設計してもらえるとニュース性もあるので、建築の方向性が合えばそっちの方がインパクトが大きいのは事実です。

──そんななか、4社が残った最終プレゼンで、アリイイリエアーキテクツを選んだのですね。今井さんはお二人のプレゼンを聞いて、どう思ったのですか?

今井:大御所も含めて、4社とも素晴らしいプレゼンだったのですが、なかでも、アリイイリエが一番本気だし、本音だったのです。

普通、プレゼンの場では「こんな未来が描けますよ」というポジティブなことしか言わないものですが、二人は地域のことを深く考えた上で、ネガティブなことも言ってくれたのです。それを聞いて、信頼できるなぁと思ったのが最初の印象かな。

有井:ブリーフィングで今井さんの話を聞いた時、正直「みんなの工場はうまくいくのかな?」と疑問を持ちました。

だから、クライアントに媚びて自分たちの信念を曲げるより、選ばれなくてもいいから自分たちの思ったことを言おう。他の設計者が選ばれたとしても、「でもあの時、ああいうこと言ったやつがいたな」と覚えてもらえればいいかなと考えました。

──なぜうまくいかないと思ったのですか?

有井:今井さんの話を聞く限り、みんなの工場は、「観光客を呼ぶこと」と、「地元の人たちを呼ぶこと」を同時にやろうとしていました。

でも、それは難しいことです。「ブランドの聖地をつくる」というのはわかるのですが、そういうアプローチだと、地元の人たちは「ああ、私たちが相手じゃないのか」となると思いました。

そこで、「ブランドの聖地を目指す前に、地元の人目線でつくるのが一番大切なのではないか。それが結果的に、ブランドの聖地になればいいのでは」とプレゼンしました。

入江:そもそもみんなの工場プロジェクトが始まったきっかけは、生産量が追いつかなくなり、工場を大きくすることだったはずです。それに加えて、お客様を呼べる集客施設もつくろうという話だったのですが、今井さんたちの話では、集客施設としての方がメインとして語られているように感じ、違和感を覚えました。そのため、「むしろ、工場の方が大事なんじゃないか?」というプレゼンをしました。

今井:建築業界の常識とかけ離れていると思うのですが、SHIROは何をつくるにしても、最初に具体的な要件定義をしません。すべてを決めて走るのではなく、走りながら考えようという体質の会社です。

だからみんなの工場においても、決まっていることは「工場をつくること」と「砂川につくること」だけ。それ以外は要件定義も何もないので、一緒に走ってくれる人が欲しかったのです。

そういう体質なので、ネガティブなことも言ってくれたアリイイリエのプレゼンは、すごく良かった。SHIROだけでは、気づけないことはたくさんあります。砂川に関しても、当初は「砂川を大切にしなければいけない」という大前提では動いていなくて、「純粋にSHIROのお客様を呼び込みたい」としか考えていませんでした。砂川の大切さに気づかせてくれたのはアリイイリエの二人でした。

健やかな空気をどうつくる?

──有井さんと入江さんは、雑誌「Pen」のインタビューで、みんなの工場について、「人々が幸せに過ごす風景こそが美しいと実感できるようシンプルな設計にした」「建築ではなく、健やかな空間をつくる」と語られていました。その意味をもう少し詳しく教えてください。

入江:建築は実際には物質をつくっていますが、本当は「建築の周辺の空気」をつくっている、と私たちは考えています。健やかで心地よい空気をつくれば、人間は自然と心が幸せになっていく。これはシーラカンス時代の師匠の小嶋一浩さんからの教えでもあるし、自分たちの芯になっている部分であります。

だから、建築を物質としてこだわり抜いてつくるというよりは、人がどうやって心地よく過ごせるか? という空気のことを考えて、試行錯誤をしています。

有井:健やかな空気をつくるといっても、沖縄でつくるのと砂川でつくるのとでは、全く話が違ってきます。その感覚を得るには現地に行くことが一番です。砂川は相当雪が降るとは聞いていましたけど、実際にそれを見た時に、言葉では説明できないすごさ、恐怖がありました。それを体感してから、設計の方針が変わっていきました。

たとえば温暖な地域なら、庭を楽しむような、外との関係が深い建築の方が気持ちがいい。ヒトデのような形の建物をつくるのか、丸みたいな形の建物をつくるのかでいうと、ヒトデ形の方が外との接触面積が大きいので、気持ちのいい建築になると考えます。

しかし、砂川のように1年の半分が雪の地域で、同じような外との接触面積が大きい建物を建ててしまうと、熱負荷が大きかったり、窓をたくさん開けると寒かったり、人がいる場所が散り散りになって寂しくなったり、といった課題が出てきます。

そう考えると、もっとギュッと集まっている感じの建物の方が、この場所には合っているのでは?と考えました。

今井:だから、途中で設計が変わったよね。プレゼンの段階では、ショップ、休憩スペース、カフェという3つの建物を提案してくれたのだけど、半年間、雪が降っているのに、外に出て雪に吹かれながら命からがらショップに行ったり、カフェに行くときにいちいちコートを着たりするのはリアルじゃないかもしれない、と。それで、今の四角い箱形に落ち着きました。

入江:砂川のまちは人口1.6万人を切っていて、寂しいんですよ。そんななか、いくらSHIROの人気があって、集客力があるとはいえ、人が少ない瞬間があることは想像していました。またオープンしたてはいいかもしれないけど、5~10年後はどれくらい人が来ているのかわかりません。そうした現実も受け入れられる場所であってほしいなという想いもありました。

そこで、工場で働いている人たちが身近に感じられるような環境をつくろうと考えました。

ショップにいてもカフェにいても、工場でたくさんの人が忙しく働いている様子が常に見られれば、人の気配がある状態をつくれるので、寂しくありません。すでにSHIROが持っている力というか、工場で働いている人の活気をオープンに開いていった方が、温かな空気感につながり、「行こうかな」と思える場所になるんじゃないかと。

今井:すごくないですか?こんな想像力で考えてくれる建築家はなかなかいないと思います。

心が通じ合っていない打ち合わせ

今井:さらにいうと、最初の自分のインスピレーションを通す建築家は数多くいるけど、そこから何度も形を変えて、「もう限界です。ここで決めないと本当に工期が遅れます」というタイミングすら自らひっくり返してくる。アリイイリエの二人は、ギリギリのタイミングになっても、「すみません、見学通路やめませんか?」と提案してくれるのです。

工期はもちろん守るけれども、「絶対こっちの方がより良くなる」といって、自分たちの自助努力でギリギリまで図面を描いてくれる。こんな建築家はそういないと思います。
 
入江:でも、そんなに余裕のある話ではなかったんですけどね。

みんなの工場が始まった時は、コロナによる緊急事態宣言もあって、SHIROの皆さんとはZoom打合せがほとんど。しかも、私たちが経験したことがない大きな会社の社長相手に、どう振舞うべきかわからず、心が通じ合っていない状態の打ち合わせが長く続きました。

提案をするたびに、今井さんから「そうじゃない」と言われても、「そうじゃない」以上の言葉が引き出せない。自分たちも設計しながら、「こうじゃないかも」「でも、どうすれば?」と答えのないまま提案してしまっていました。

今井:確かに最初は、人としての心の通い合いができていない状態だったね。コロナで面と向かって会えなかったので、誰が何を好きなのか、何がいいのかという、他愛もない会話ができなかった。

全部がアジェンダで進むから、アジェンダが終わったら「ブチっ」とZoomの接続が切れて終わり。だから、人間関係をつくるのにめちゃくちゃ時間がかかった。

入江:でも、さすがにもう時間がない、というフェーズの時に、有井と二人で話し合い、「自分たちの首が締まるけど、思っていることを正直に言おう」ということになり、私たちの意見を伝えたのです。そうすると、「いいと思います」とあっさり言われて。そこで設計がガラリと変わりました。
 
結果、自分たちの首は締まることになりましたが、腑に落ちた感じがあって「これで決まったな」という手応えを得ました。あの時、自分たちの意見を正直に伝えて良かったなと本当に思います。

今井:あの時、見えたよね。その後も、殴り合い寸前まで行くぐらいケンカしていて、お互い、いつ「辞める」と言ってもおかしくなかったよね。

入江:最後の1、2か月はかなり戦いました。

さすがにコロナだからとも言っていられなかったので、毎週砂川までいって会うようになりました。過酷な雪の状況も一緒に共有して、なんなら現場のトイレが汚くて嫌だから、一緒にトイレ行くか! みたいなこともして…。そうしたら、最後に一気に人間関係が溶けていったように感じました。

もう1回できる気がしない(笑)

──そうしてみんなの工場が完成し、一段落ついてから、砂川パークホテルのプロジェクトの声がかかったのですか?

有井:話を聞いたのは、みんなの工場をつくる最後1~2か月ぐらいの頃です。今井さんから「ちょっと話があるんだけど」と言われて。「え…。なんだろう」と思ったら、「パークホテル、やるよね?」と言われました。

最初は「ちょっと考えさせてください」と言いました。というのは、僕らはものすごく疲弊していて、「こんなこと、もう1回できる気がしないな」と思っていたんです。何十回も打ち合わせをして最後の最後まで本気でバトルをしながらやっていたので、果たしてもう一度同じ熱量で取り組めるのだろうか? と。

入江:限界を超えていたんですよ。ちゃぶ台をひっくり返して自らの設計をまるっと変えようというエネルギーは、そうそう創出できるものではありません。

有井:だけど、パークホテルのテーマは、私たちが本来、建築で挑戦してみたかった「不特定多数の人たちが集まれるような公共の場所」をつくることだと感じていました。また、その頃には今井さんとの関係性ができてきて、何を考えているのかもわかってきました。

そこで、入江と話し合って、「大変だけれども、こんなチャンスはない」ということでまたご一緒させていただくことになりました。

(編集サポート:泉秀一、杉山直隆、バナーデザイン:3KG 佐々木信)

いいなと思ったら応援しよう!