
「引き算」で伝えるために。デザインについて考える
シンプルながら上品で飽きのこない、と定評のあるSHIROの製品デザイン。なぜこのようなデザインに行き着いたのか? 会長の今井浩恵は「究極の引き算」と答えます。そして今、新たに蘇らせようとしている砂川パークホテルに関しても、「引き算」の観点からデザインの検討を進めている、といいます。引き算が生み出す価値とは。
「ありたい姿」がなければ、誰にも刺さらない
2009年にSHIROの前身であるLAURELのブランドを立ち上げてから16年間目。いい製品をつくるのは大前提として、「デザイン」にもこだわって取り組んできました。どう見えるか、どう見せたいのかを考え、製品の箱やボトルに配置するロゴの位置をミリ単位で調整します。
デザインの判断基準は、学校で勉強したわけではなく、感覚的なものですが、「なんとなくおしゃれな感じがいい」といったあいまいなものではありません。はっきりとした基準があります。その基準が見えてくるのは、「ありたいブランドの姿とは何か」が自分の中で明確だからかもしれません。
いろいろなものを見たり考えたりするなかで、SHIROのブランドイメージを明確にしてきたからこそ、デザインに関しても「こういうふうにしたい」という基準が見えてくるのです。
逆に言うと、自分の中でその答えが見えないうちはつくりません。
どのビジネスにおいても同じだと思いますが、自分の中で答えが見えていないことほど、誰にも刺さらないものはないからです。
なぜ「究極の引き算」を意識するのか
SHIROの製品デザインはものづくりと同様に、シンプルです。
「究極の引き算」を意識しています。
ブランド立ち上げ当初からそうだったわけではありません。製品にアテンションシール(外箱やボトルに貼る、キャッチコピーなどを書いたシール)をつけたり、魅力を伝えるようなキャッチコピーを考えたりと、売れるような工夫に注力していた時代もありました。今では想像がつかないと思いますが、キャッチコピーに「ぷるるん」と書いていたこともあります。
なぜそうしていたかを振り返ると、中身に自信がなかったからだと思います。製品にお洋服を着せることで戦おうとしていたのです。
しかし、中身に自信があれば、極端な話、裸の容器でもいいんですよね。
お客様にとって必要なのは中身であり、外側ではありません。本質的なことは中身にあるのだから、中身をちゃんとつくれば、外側には別に何も書かなくていい。そう気づいたのです。
それが「究極の引き算」という意味。
2019年に、ブランドロゴを、小文字のshiroから大文字のSHIROに変更した時に、余計と思えるデザインをすべて取っ払いました。使っていただければわかっていただけます──。自社の製品について、そう心の底から思えたからこそ、すべてを取っ払うという決断ができたのだと思います。
デザインをしなくていい状態が、究極のデザイン
さらに、最近私が強く思うようになったのが、「デザインしなくてもいい状態こそが究極のデザインだ」ということです。きっかけは、現在進めている砂川パークホテルのリニューアルプロジェクトです。
このプロジェクトでは、ホテルをリノベーションし、サービス付き高齢者向け住宅 を新たに建てますが、必要なデザインは建物だけではありません。フロアや施設などの案内をするサインや、トイレの男女表示のようなピクトグラムなども含まれます。
そうしたサインやピクトグラムのデザイナーとして、今回は、UMA/design farmの代表であるデザイナーの原田祐馬さんにお願いしました。
SHIROは、パッケージやロゴなどのデザインを内製化することが多く、外部のデザイナーさんにお願いすることがほとんどありません。お願いしたとしても、“デザインの巨匠”と言われる方よりも、社会課題を解決したい方や、社会に向けて何かメッセージを持っている方にお願いするようにしています。その一人が、原田さんでした。
私は原田さんと出会うまで、サインやピクトグラムのデザインをするデザイナーさんは、完成した建物に合わせて、サインやピクトグラムを考えるのだと思っていました。実際そういう方が多いようですが、原田さんは建物が建つ前からジョインして、初期段階のフィールドリサーチから参加していました。
最初はその意図がわからなかったのですが、原田さんと話をするなかで、意図が見えてきました。原田さんは「強いデザインを必要としない建物を目指している」ことに気づいたのです。
サインやピクトグラムのようなデザインをあとから過剰に加えると、建物全体のデザインが美しくありません。しかし、もとの建物の動線などデザインを美しく設計しておけば、サインやピクトグラムなどは最小限で済む。究極的には、サインやピクトグラムを入れなくても成り立つようにすれば、余計なデザインがなくなり、心地よい環境が生み出されるというわけです。
「デザインの本質」とは何か
しかし、「余計なデザインを削ぎ落とすこと」が社会的に評価されているかというと、残念ながらそうではないと思います。とくに日本では、派手でわかりやすいデザインが評価される傾向があると感じます。「◯◯さんっぽいよね」というものを賞賛しがちです。
デザイナーも、「私はこれをデザインした」「これが自分の作品だよ」と言って認められることが大事だと考えるなら、そうした「◯◯さんっぽい」というのがわかる派手なデザインをしたほうが得策でしょう。サインに関していうなら、「デザインをしない」よりも、特徴的なサインやピクトグラムを配置した方が良いはずです。その方が、デザイナーとしてのフィーも多くなるはずです。
しかし、一歩引いて社会的な立場から見ると、100個のサインが必要な施設よりも、10個のサインで完結する施設をデザインしたほうが、価値があると思うのです。
洋服のデザインも、あれこれと装飾した服が「独創的なデザインですね」と評価されますが、本当につくるのが難しく、評価されるべきなのはシンプルな白いTシャツだと思います。あるいは、ジーンズのように、誰が着ても心地よく、どんな服にも合うようなデザインの服ですね。そういうベーシックでシンプルなものをいかに美しくつくるか。そこにデザインの本質があるのではないかと思うのです。
そういう本質的なデザインが評価されるようにならないと、それを志向しているデザイナーが生きていけなくなります。
砂川パークホテルの設計を担当しているアリイイリエアーキテクツのおふたりも、「これはアリイイリエさんらしい建築だよね」というものをつくろうとしていません。
原田祐馬さんもそうで、自分の作品というよりは、その地域にどうやって馴染むのかを考えています。こういう建築家やデザイナーさんが少なくなっていったら、それは社会にとって大きな損失だと思います。
そのことをクリエイティブの人たちがもっと伝えていかないと、物の捉え方が広がっていかないと私は考えています。「デザインはシンプルであるほど美しいし、『◯◯さんっぽい』というものでなくてもいい」。そのことを私は伝えていきたいし、そういうものに気づける人でありたいと思っています。
(編集サポート:泉秀一、杉山直隆、バナーデザイン:3KG 佐々木信)