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なぜSHIROは「サービス付き高齢者向け住宅」を建てるのか?
SHIROが進める北海道砂川市の「砂川パークホテル」のリニューアルプロジェクト。ホテルの傍らに、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)を新設するのも、他に例を見ない特徴です。サ高住のような高齢者施設を建てるのも運営するのも、SHIROにとって初めての取り組み。なぜ挑戦しようと考えたのでしょうか。その理由を、会長の今井浩恵が語ります。
「自分が命を終えたい」場所が社会にない
SHIROが手がける砂川パークホテルプロジェクトでは、ホテルの隣に、「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」を建設して運営する予定です。
サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)とは、高齢者の単身・夫婦世帯が居住するための住宅のことです。施設内はバリアフリーで、医師や介護福祉士などによる生活相談サービスと安否確認サービスが受けられるのが特徴です。
施設によっては食事の提供や入浴など介護領域の生活支援サービスを提供していることもありますが、基本的には、自分で生活ができる、自立した高齢者の方が入居します。
私(今井)もSHIROも、これまでは、サ高住のような高齢者施設に関わったことがありませんでした。サ高住の存在すら、知らなかったほどです。
そんな私たちが、なぜサ高住を建てて運営しようと考えるようになったのか。背景の一つは、私の両親が老いてきて、「尊厳ある死」について考えるようになったこと。私の両親は今、70代中盤です。70代前半ぐらいまではそれまでと変わらずに元気で、その状態がしばらく続くと思っていました。
ところが、75歳を過ぎたあたりから老いが進み始めました。
そんな姿を見て、先々のことが気になるようになってきたのです。
そこで初めて、高齢者施設を調べて愕然としました。
「自分の両親をお願いしたいな」と思う施設や、「自分自身がここで命を終えたいな」という場所がほとんどないことに気づいたからです。上質なベッドのある素敵な環境が整った高齢者施設はありますが、そういう施設に住めて、尊厳ある死を迎えられるのは一部の富裕層の人たちだけ。そうした施設は1億円にも及ぶ保証金が必要なこともあり、多くの人たちは入れません。
ではどういう施設が残っているかというと、安価なところは、狭い環境に詰め込まれて、ご飯を淡々と配給されるだけ……。高齢者の方々は、今まで何十年も働いてきて、税金を納めて経済をまわしてきた、いわば国をつくってきた人たちです。
そんな功労者に対してそんな仕打ちをしていいの?
人間としての尊厳がなく、物のように扱われて最期を終えるのはしあわせ?
もっと心あることもできるんじゃないのかな…?
こんな想いが湧き上がってきました。
そうして悶々としていたところ、私はイタリアのとある刑務所の話をSNSで読み、感銘を受けました。その刑務所では、収監されている囚人たちが、更生プログラムの一環として演劇などのレクリエーションをしているということが書かれていました。重犯罪を起こした囚人たちでも、演劇を通して人を喜ばせて、自分の尊厳を回復して一生を終えられるというのです。
投稿を読んで、私はこう思いました。
もしかしたら、高齢者施設も同じではないか。やり方によっては、自分の尊厳をもって、命を終えられる場をつくれるのではないか、と。
ならば、やってみようと思ったのです。
新たに人と出会い直して学べるサ高住をつくる
サ高住は、2024年11月現在で、全国に8,300棟、約29万戸があります。さまざまなタイプのサ高住があり、中には雰囲気も暗く、住人同士の交流もないというところも少なくないようです。
しかし、私たちがつくろうとしているサ高住はそうではありません。
皆で共同して生きていく、大学生の寮が高齢者バージョンに置き換わったようなイメージで、個室はありますが、住民同士のさまざまなコミュニティがつくられている。
友だちができたり、手芸が得意な人に教えてもらえたり、歌が好きな人がギターを奏でていたり……。新たに人と出会い直すことができ、学ぶことができるサ高住をつくりたいと考えています。
なぜなら、私は、そういう最期の迎え方がいいなぁと思っているからです。
大切なのは、人生の最期をどう締めるか、閉じていくかを想像し、自分の意思で決めること。すごく楽しい場をつくり、そこで過ごしていれば、その理想の生き方が想像しやすくなると思うのです。
もちろん、自分の最期がどうなるかなんて誰にもわかりません。認知症やアルツハイマーになれば、自分の意志にそぐわないこともあるでしょう。
しかし、それでも、自分の人生のプランを立てて、自分の子どもや家族と会話をして伝えていく。それが大切ではないかと思うのです。
「看取り」とどう向き合うか
もちろん、本当にサ高住を始めるかどうかは悩みに悩みました。
今でも悩んでいることがあります。それは「看取りをするかどうか」。サ高住はすべての施設が亡くなるまでの看取りをしているわけではありません。介護はするものの、亡くなる直前になったら病院に入院していただくという施設が多数派です。
私としては、「尊厳ある死を迎えられる場所をつくりたい」という想いがある一方で、「看取りをすることはすごくパワーがいること。私はその環境に耐えられるのだろうか」という不安もありました。
実のところ私は、これまでの人生で、「死」を直視しないようにしてきました。幼少期に、自分がかわいがっていた猫が自分の手の中で死んでしまった瞬間に心が壊れてしまい、その記憶がトラウマのように残っているのです。ペットの死が怖いのですから、人の死はさらに怖い。一人の人間の命が無くなるのはこんなに悲しいことなのだということに向き合った時に、自分が壊れてしまうのではないかと思ったのです。
SHIROが植物性の原材料しか扱わない理由もそこにあります。
動物性の原料を使うと、何かを殺してしまったり、死が直結していたりするので、避けてきました。
そう悩んでいた時に、銀木犀の代表をしている下河原さんと話す機会がありました。「銀木犀」は東京と千葉に10カ所あるサ高住で、見学した中で最も印象に残っている施設です。入居者の方にフレキシブルに寄り添っていて、看取りまでおこなっています。
下河原さんに看取りについて聞いてみたところ、こう言われたのです。
「死はとても美しいもの。美しく最期を終えるのを見ると、自分のやりがいにもつながっていく」
「ただ、『そこで死にたい』と思うのか、『違うところで死にたい』と思うか。何が尊厳ある死なのかは居住者さんが決めることであり、こちらが決めることじゃない」
そう言われた時、私はすごく気持ちが楽になりました。
もちろん、いま住んでいるサ高住で命を終えたいと言われたら本望だし、そういう場を目指さなければ良い場所にはならないでしょう。しかし、最初の段階からそういう場だと設定するのではなく、運営しながら考えていけばいい。そう思えたのです。
今の段階で、サ高住に対する明確な答えはまだありません。
でも、答えがないことはいいことだと思います。ビジネスをしていると、答えがあるものばかりを追い求めがちですし、答えを出したがりますが、正解がないからこそすごく考えるし、思考が深まっていきます。「本当にこれで良かったのだろうか?」と、どこまでも考えられます。
少なくとも、高齢者事業をしようと考えるようになってから、死ぬことを考えることは、すごく素敵なことだと思えるようになりました。
「この人がここにいるのは、一体どんな意味があるんだろう」
「地球において、この人が今ここにいる役割は何なんだろう」
サ高住を通じて入居者の方をそう捉えていくと、誰かの喜びにつながったり、生きる目的が生まれたりするはずです。ぶつ切りになりがちなものが繋がっていくに違いない。そんなふうに考えています。
(編集サポート:泉秀一、杉山直隆、バナーデザイン:3KG 佐々木信)