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そろそろ生徒会のことを話してもいいかな。

生徒会は燃えに燃えた。

あれを「炎上」という言葉で表すのが適切かどうかはわからない。
だが、論争が激化した時期が数ヶ月は続いた。

卒業もした事だし、あの時について書こうと思う。
あくまで私の主観と経験から。

【この記事について】

N高S高の方はもちろんご存知だろう

N高S高には予算1000万円の生徒会がある。

私はそのN/S高生徒会第一期の近畿地区代表に選ばれ、半年の任期を過ごした。

正直この記事は「私あん時ほんましんどかってん!ちょっと話聞いてや!」の愚痴と、あの頃の自分を正当化したい身の上話でしかない。
あと2mmくらい、「あの時暴言使ってきたやつ許さへんからな」の気持ちが入ってる。
ちょっと肌に合わないかも、と思った人には、おすすめしない。

そして、この記事は完全に私の独断で作成している。

生徒会関係者へ。
そんなことまで書くな〜💥ってとこあれば、ごめんなさい……。

【衝撃のメール】

鮮明に覚えている。10月の火曜日、通学コースのたしかお昼間。
Gmailに超長文のメール。キャンパス内がざわっとした。生徒会が設立されるという旨のお知らせだった。
生徒会をN高に設置しようという活動をしては賛否が生徒内で分かれ、いつの間にか動かなくなったtimesを2-3個1年間で見てきたので、「おお、ついにか」くらいの感覚でメールを閉じた。

立候補理由や選挙活動については省略しようと思う。
これから過ごす怒涛の半年間を想像もしていないひよこ時代の私のインタビューを見てもらえればありがたい。


【幕開け】

更地にポンと20人放り出された気分だった。
本格始動し始めた政治部2期、数年ぶりのリアル開催であった磁石祭の副実行委員長を経験した私なら、それなりに上手くやれるだろうと思っていた。

無理だった。想像の10倍は更地だった。

「会長」「書記」「会計」「地区代表」などの役職名はあったが、その役職だけを全うして生徒会は回らない。
人狼ゲームで例えるなら役職名は「愛称」であり、人狼、占い師などの「役職」ではなかった。役職の種類から考えなければいけない村。
「人狼ゲームやるなら人狼は必要だよねー。騎士はいる?あ、ボディガードって名前の方がいいかな」
⬆️みたいな。

それに殆どが初めまして。
宣言した公約もコースも学年も違う人と、探り合い探り合いしながら交流していた記憶がある。
MTGの頻度や日時、チャットツールの使い方も自分たちで決める必要があった。
何をするにも今後の活動の基盤になるがゆえ、全員が納得してから動く、という慎重さがあった。(と、おもう。)

大変そうに書いてはいるが、これが本題ではない。
これから巻き起こる賛否大戦争時代に、私の心はどんどん擦り切れていく。

【生徒会賛否大戦争時代、開幕】

ここからはだいぶ恨み辛みの文章になるかもしれない。(なる)。
全部読んだら「N高ってやばいな」「生徒会入らんとこう」と思われるかもしれないけれど、大前提私はN/S高が大好きだし生徒会が大好きだ。
生徒会もう一度やるかと言われれば、迷うけどきっと「やる」と答える。

要約すると、
・誹謗中傷、ダメ絶対。マジでしんどかったし怒ってる。だいぶ辛かった。
・二期生がはじまった時、私と同じ思いを彼らがしないようめちゃくちゃ願っていた。よかった。

生徒会が始まって1ヶ月たった12月。
元々1000万円の予算を持つ、N/S高初の生徒会ということで、生徒からの期待が本当に高かった。
本当にありがたいこと。……だったのだが、期待に添えないと、その意見は批判になっていく。

批判をするなというわけではない。私たちが全く悪くないわけでもない。
が、頑張ろうとしている中批判が来るともうはちゃめちゃにつらい。

批判を「そうですね、頑張ります!」と受け入れられるほど強くなかったし、今でもあの時に戻れば、また相当病んでしまう。

中には誹謗中傷に取れるものも多くあったし、何かミスや失言をするとそこから叩かれるのでは、という怖さがあった。

一つ一つの意見に丁寧に返信したいが、私の独断のみで返信すれば他19人全員を困惑させ、迷惑をかけてしまう。だから個としては「反応しない」という対応しかできない。
組織としての返信には相当な時間がかかる。

それに私は、「生徒会に当選しなかった人もいる。期待して私に票を入れてくれて、その期待に添えていないのだから反論などする資格はない」と思っていた。

任期終了した今だから、あの時返信したかったことを書く。

勘違いしてほしくないのは、N/S高生全員がこんな投稿をしていたわけではない。
N/S高生全員民度が低い、言葉遣いがひどい、というわけでは全くないので入学予定の方は安心してほしい。
度が過ぎた意見は特に目に入りやすかっただけだ。
私の中で言えずにモヤモヤした意見だけ陳列する。

「1ヶ月も経ったのになにも出来てないの遅すぎ。やる気ないんじゃん。」
A.1ヶ月しか経ってないんです…。マイクラで言うとボイチャなしでバラバラなリスポーン地点からやっと合流して豆腐ハウス作れたところです。
組織組成が大変なのわかってて立候補したんだから文句言うな、と思われるかもしれないけれど。それを言う筋合いは私にはないと言われるかもしれないけれど。遅い遅いと言うのは構わない。でもそれを嘲笑うように、無能の集団だと言わんばかりの口調で意見するなら、やってみてほしい。私の仲間がどれだけ自分の時間を削っていると思ってるんだァ〜〜〜!!!

「何をしているかわからない。発信をして。」
A.まずごめん。過程でもいいから発信してほしいよね。でもその前に、何の媒体で発信するかを議論してます。決まってからも文体や規則を20人で確認しながら整えています。生徒の皆さんが混乱しないようにです。申し訳ないとは本当に思ってる。だけど「カス」「ゴミ」とかの酷い言葉が飛び交う場所で発言するのってめちゃくちゃ怖いんだからな……!!!(震え)

「1000万円もう使ったんですか?」
A.更地の無人島なんです。実は1000万円を詰んだ船がここにあると言われて来たのですが、船がまだ届いてないようなのです。
ちゃんと回答すると、来るらしいんですけど、誰から、いつ来て、どう渡されて、いつ使えるか、どう使えるか、決まってないんです。教えられてないんです。
あと1日に5回聞かれても同じ答えしか返せません。株価じゃねぇんだ。使ってない証拠と言われましても船が到着してないんです‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️お客様ッー‼️‼️‼️‼️‼️‼️落ち着いてくださいお客様ッー‼️‼️‼️‼️‼️‼️Twitterでも告知しておりますッー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

「選挙の方法が納得いかない」
A.めちゃくちゃわかる。だって私も期間中スタッフに言ったもん。

「選挙の方法が納得いかないんだが????」
A.あの、分かるのですが、私に言われましても、わかる、としか言えず……。選挙の方法考えたのもやったのも私じゃないんです、次の選挙の時の参考にできるよう書き留めておきますね、としか……。なので……衆議院や政党を作れば良いなどの話を頂きましても……書き留めておきますね……としか……どういう回答が欲しいんですか……。

「選挙の方法が納得いかないんだが????💢💢💢💢」
A.だ!!!!!!!!!!!!!から!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!さ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

「今すぐ解散しろ」
A.私なんか悪いことしたか……?

「カス!ゴミ!」
A.私なんか悪いことしたか……?

こんな調子。
Twitterを開けばTLにこんな投稿が大量に。
「過程も評価してくれ」とは言わないが、過程でそんな言葉を浴びたら参っちゃうよ。まったく。

応援してくれた声ももちろんあったが、目に入る量があまりにも違い、批判だからこそ受け入れようとすればするほど、私は誹謗中傷との境目が分からなくなっていた。
これは批判だ、と言い聞かせながら誹謗中傷の投稿を読んでいた。推しの子の黒川あかね回、めちゃくちゃ刺さった。重なりすぎて。

面識のある友人や、仲のいい友人が生徒会について批判している投稿はもっと辛かった。
再三言うが批判が悪いものである訳では無い。真っ当な意見だ。
そして生徒会が期待していたより動きがゆっくりなのは事実だし、
生徒会側に全く非がないというわけでもない。

でも、誹謗中傷との境目がわからなくなってしまった私は、友人が批判していると「ああ、もしかして私も無能と思われてしまったかな」「応援してくれたのにもう期待を裏切ってしまったな」と、気持ちはどんどん沈んでいった。

【意見箱、開幕】

その時期、私は同時に生徒会の意見箱をチーム内で開設し、運用していた。試行錯誤の連続だった。

一つ目の問題点が返信速度だった。

「すべての意見に返信する」か「意見をピックアップして返信する」か、生徒会内でも意見が割れた。
一旦は「すべての意見に返信する」という方向で進んだ。

意見箱の反響は予想以上だった。
返信作業をしている間に二倍、三倍と意見が届き、返信が間に合わなくなっていった。
返信が遅い、と言う意見も多く聞こえてきた。ごもっともな意見だと思う、が、決してサボっていたわけではない。
意見箱担当者みんなSlackに貼り付いて、返信の文章の情報整理や正誤確認をしていた。
その頃通学コースに通っていたが、N予備校や休み時間になるとSlackから確認依頼が鳴り響いていた。ALの時間や勉強の時間を削っての返信作業だったし、夜遅くまでその通知は止まらなかった。

流石に全部には返信できない、と言うことで「ピックアップしての返信」という形式に変更した。
「都合のいい質問だけピックアップするのか」と言う意見がきた。
じゃあどうすればいいんだ私たちは….(大泣き)


二つ目の問題点は匿名性だった。

意見箱は送信する際生徒のメールアドレスを収集する形にした。
生徒会役員は、確認しようと思えばどんな生徒から送信されたのかがわかる。
(ただし、メールアドレスなのでこの意見とこの意見おんなじ人から来てるな〜くらいまでしかわからない。キャンパスや性別、コースなぞわかりっこない。)

これを匿名化させてくれという意見がきた。
生徒会役員20人、ほとんどの生徒からすると知らない他人でしかなくて、そこにメールアドレスという情報を提供しないと意見が言えない、という状況には不安や不信感があったのだと思う。

ただ、私は匿名でない状況でも誹謗中傷や生徒会役員を軽視した意見が飛んでくる中、匿名化に賛成はできなかった。
私だって一生徒。
あまりに度を超えたものが来た時、「大人(職員)が守ってくれる」心理的安全性は手放したくなかった。
何より、匿名だから何を言ってもいい、という状況になるのが、あまりに怖かった。


【しろみ、めっちゃ怖がる】

こんな環境が2ヶ月強続くものだから、若干の人間不信に陥っていた。Twitterが怖くて開かなくなったし、選挙期間と比べてツイート数が大幅に落ちた。
通学コースでの振る舞いも、何かミスをして友人や後輩を落胆させないように、生徒会の人がこんなことやってたぞって言われないように、全部完璧でなきゃ、と思うようになった。

教室の前に立って生徒会関連の宣伝をするときは、目立ちたがりの私にしては信じられないくらい「嫌だな」「マイク持ちたくないな」「もう帰りたいな」の気持ちでいっぱいだった。

チャットツールの言葉やdiscordでの雑談一つ一つが監視されているような気がして、生徒会と全く関係ない話でさえ躊躇することもあった。
し、実際結構監視されていた。

SlackのDMに一画面に収まらないほどの長文が送られてきた。

組織組成やルール作りを最優先したいのに、それ以上に誹謗中傷に対する一時的な対策を考えなければいけないのが本当にもどかしかった。

私、批判を浴びるために生徒会役員になったわけじゃない。

何をしているんだろう。
何のために入ったんだろう。
私がやってることは、誰の得になってるんだろう。
初めましての人から、言葉の暴力を受けている。
休める場所がない、ずっと気が張ってる。
「しろみ」じゃなくて、「最近燃えてる生徒会の人」として見られてる。
身の回りのいろんな場所で、腫れ物扱いされている。

ずっとこの状況が続くなら生徒会やめようかな、と思った。

【辛いと声を上げることが必要だった】

事態が良い方向に向かったきっかけは、生徒会役員から「流石に精神的に辛い。」「職員さんも状況の改善に協力してほしい」という声が上がったことだ。
職員の方々と1on1をしたり、この状況をどうすれば良いかを話し合った。
意見箱の運用方法も変えて行ったり、生徒会活動報告会を実施したり、職員の方々とどう協力するかも決めた。(第一回活動報告会は正直散々だったけど‼️)

ちょっと逸れるが、生徒会活動報告会の話をしよう。
生徒会役員は生徒の代表として、真面目で、冷静で、政治家のようであるべき、という雰囲気があった。

そのため、第一回生徒会活動報告会はもうはちゃめちゃにお堅い生放送だった。在校生はN予備校から見れるはずだ。
私は司会だった。
SlackでもTwitterでも結構な誹謗中傷が飛び交う中、初めて生でそんな人たちと質疑応答をしなければならないのか、と考えていて、役員にずっと「怖い」と話していたのを今でも覚えている。
参加者は100人を超えていた。
質疑応答も時間内に全く収まりきらない量がきた。
「都合のいい質問だけ拾っている」と言われた。
申し訳ないのだが、私はzoomの聖徳太子ではない。
人間であることを許してはもらえないだろうか。

第二回から、生徒会のブランディングを考え始めるようになった。
お堅い生徒会ではなく、何かと敵対している生徒会ではなく、生徒に寄り添い、身近な存在になれるよう、もっと柔らかい雰囲気を出そうと工夫を始めた。

Twitterも生徒会役員個人の話をしたり、絵文字をしようしたり、少しずつ柔らかい雰囲気を見せ始めた。

第三回活動報告会を放送する頃には、意見箱に毎日何十個の意見が届くこともなくなり、TwitterやSlackも生徒会に対しての批判が落ち着き始めた。
批判をしていた人たちが失望したのか、飽きたのか、納得したのか、正直わからないが、いい意味でも悪い意味でも生徒会への興味が薄れ始めた。

三ヶ月近くかかったが、誹謗中傷の嵐は去って行ったように思える。




不特定多数、しかも同年代から心無い言葉を投げかけられる恐ろしさを知った。

第二期の役員たちには絶対にこんな想いはしてほしくないと思った。
日記に次の子たちには絶対にこんな思いをさせないと書き殴った。

二期生が組成されてからの数ヶ月、あの嵐がまた来てしまわないか、不安で不安で仕方がなくて。家で、通学中の電車で、TwitterやSlackで何度も「生徒会」「二期」と検索した。

(二期生が組成時の周囲の反応をどう受け取っているかはわからないが)
本当にこれは私のエゴでしかないが、
あの時みたいな誹謗中傷の嵐が二期生に降り掛からなくて、本当に安心した。

あの期間に「生徒会には関わらないでおこう」と判断した人は多いと思うし、注目度をぐんと下げてしまったことは後悔している。
が、のびのび活動できている二期生の姿が見れたことが本当に嬉しかった。今だから言えるが、ちょっぴり羨ましかったりもする。

遅くなったけれど、二期生、一年間本当にお疲れ様でした。
ぜひ、生徒会ライブ2024ご覧ください。

そして三期生、ガンバ!

【締めとして】

仲間たちや当時の私を知る知人と話す時、
「あの期間があったから絆が深まったよね」と振り返ることがある。

事実だ。

だが、だからと言ってあの期間を肯定しようとは思えない。

あの期間があったからこそ、N/S高生全体からの批判を気にするあまり
生徒会自体が閉鎖的な組織になってしまったなと感じる。
あの期間で、心をやられてしまった役員もいる。
あの期間がなくても、確実に私たち生徒会役員は仲良くなれた。

誤解してほしくないから何度でも言う。

批判が悪いわけではない。批判をした人を責めたいわけではない。
ただ、誹謗中傷と批判のラインは本当に本当に曖昧で、ネット上での言葉は簡単に人を傷つけられるということを知ってほしい。

この世にはたくさんのサービスやエンタメがある。
気に入らないこと、改善してほしいことが出てくることがあるかもしれない。
その時、「意見」と「攻撃」がごっちゃになっていないか本当によくよく確認してほしい。
文章の最初に「いつもありがとうございます」と入るだけで、受け取り手は救われる。
意見箱を運用していたからわかるが、攻撃性の混じった意見と、お疲れ様です、いつもありがとうございますなどが冒頭に入っている意見では向き合うモチベーションが段違いだ。

簡単に文字を伝えられてしまう時代だ。伝わって行ってしまう時代だ。
優しい人間であろう、感謝を忘れないようにしよう、意見と攻撃を間違えない人間であろう。そう思った数ヶ月。

【締めと思いきや】

と、いうのが生徒会のスタートダッシュだ!

生徒会には、もっともっともっともっとやってよかったと思えるような楽しいことがたくさんあった!
他の記事にまとめるかもしれないし、まとめられないかもしれない!

大変だった!わーん涙!という言葉ばかり書いたが、それ以上にあの時応援してくれたり、支えてくれた人たちには感謝しても仕切れない。
という文章をどこかに入れたかったのだが、
何せ文才がないもので、入れるタイミングを見失った。無念。

あの時話を聞いてくれた友人、
一生に怒ってくれた友人、
寄り添ってくれた職員さん、
半年間一緒に手を取り合ってくれた役員、本当にありがとう。