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おじいの供養
さいきんおばあの供養をしたところだったのもあり、おじいのこともいろいろと思い出していました。
おばあがガンで亡くなった二年後、おじいも別のガンで亡くなりました。おじいは寂しくて死んでしまったのだと私は思っています。
たくさんのお皿と小鉢を並べて、おばあと一緒に食事をしていたおじい。塩辛や焼き鮭、焼酎などが楽しみだったようですが、おばあがいなくなってからはその華やかな食卓はなくなり、私の母親が作ったものをおじいの部屋へ運ぶ(二世帯住宅だったので)という日々に変わりました。
おじいが書斎の勉強机でひとりさみしく食べていたことは、当時20歳くらいの私も知ってはいましたが、なんであのとき一緒に食べてあげなかったのだろうという後悔が残りました。二階から一階へ降りていくだけのことだったのに、ただ自分の食べるものを持って降りていくだけだったのに、と。
おばあが亡くなって間もなくおじいは入院してしまったので、おじいの孤食タイムもそう長く続かなかったものの、おじいが入院しても、おじいが死んでも、孤食をさせてしまっていたことに私は気がつけませんでした。ほんとに最近です、ああ可哀想なことしたなって思ったのは!
スーパーで塩からや焼き魚を見るとおじいを思い出します。ロイヤルホストで焼鮭が出てくると、おじいは魚の皮が好きだったなーと思い出します。
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こういうことも供養になっているんだろうと思うし、もう今さら遅いけど、おじいと一緒に鮭の皮を食べているような感覚があります(笑)
魚を食べているときはちょっとだけおじいの供養にもなっているような気がするので、その時間はけっこう楽しくて好きです。そして私も夫も鮭の皮が好きなので、皮好きクラブのようで嬉しいです。
何を書こうとしていたのか忘れました(笑)
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