自分の弱さを見せられる人は美しい
私はおそらく世間一般と比べて恐ろしいほどに友人と呼べる人の数が少ない。いつ絶滅してもおかしくないレベル。完全にレッドリスト入りだ。
その中で一生この人と友人関係でいたいと思える人の割合は100%だ。つまり今いる友人とは全員恐らく死ぬまで連絡を取り続けることになるだろう。
私の友人は個性的で私に寛容で、尊敬できる人がほとんどである。
友人たちの特徴を思い浮かべるだけで「あー私ってこういう人間に分かりやすく弱いんだ」と自己分析がはかどるレベルである。就活生時代の私に叫び散らしたい。
その中で今日は、私には出来ない「とあること」が出来る友人を紹介する。
それは「他人に自分の弱さを伝えられること」だ。
私は今27歳になって自動車学校に通っている。運転する才能がまるで無い。帰宅するまで我慢することを知らない私の中の悔しさが、教習中に涙となって具現化される日々だ。
隣で毎週泣きながら車を運転するアラサー女を教える教官の立場になってみてほしい。恐怖体験すぎるだろ。
触らぬ神にたたりなしと思っているのか、毅然とした態度で教習することに徹して蜂蜜の様に甘い言葉をかける教官などどこにもいない。自分の教え方を反省する教官もどこにもいない。
プライドの高い私はこれを笑い話に昇華できない。車の学校全然できないわー!までは言えるが教習中に泣いて周りにガチ引きされていることまでは言えるわけがない。
大学時代からの大切な友人にあまりにも辛くなってちょっと真面目にラインをしてみた。すると彼女は、自分がいかに出来ない学生だったか、というのを体験談を交えて返してくれたのだ。
同じ教習を2度やることは当たり前で、苦手なものは3回やった、教習手帳は本来の枠数を当にこえて追加の紙が貼られた。検定も1回では通らなかった。合わない教官の日は普通にキャンセルをした。
天才…なのか…?
私を励ます天才なのか…?
ここまで言ってくれる人がどこにいるんだ…。
自分の弱さをありのままに伝える人がどこにいるんだ…。
この文章で私は救われた、文字通り救われた。
「あ、わたしだけじゃないんだ」と思えた。
だからといって肩の荷が下りるわけじゃない。
行きたくない気持ちや運転したくない気持ちが減るわけじゃない。
もちろん運転が出来るようになるわけでもない。
今後も泣きながら通うんだろう。
でもまた苦しみが底辺まで落ちた時に「彼女もたくさん頑張ったんだから、私もやってみるか」と思うんだろう。
そのための頓服薬になり続けるんだろう。
この人が苦しい時、私も寄り添いたいと心から思った。
そのためにこの人のこともっと知りたいと思った。
特効薬じゃなく頓服薬のような存在になりたいと思った。
又苦しくなった時にこの自分の文章を見返して、落ち着くことにする。
いや私、キモすぎやしねぇか!?!?!?
知らない人はこちらを。
2022年敗者復活にて世間を震撼させた伝説のネタ。
もはやこれ紹介したかった、まである
その為に友達の優しさをフリにした、まである