人にやさしいサービスを届けたい 〜Apple大好きエンジニアの半生〜
現在、私は「UXエンジニア」という職種を名乗っています。そう名乗り始めたのはつい最近のことですが、私の人生の軸となっていたのはいつも「UX」と「エンジニアリング」の2つでした。
この記事では、そんな私の人生についてご紹介します。
HyperCardとの出会い
私の人生を語る上で、MacやiPhoneといったApple製品の話を避けて通ることはできません。
最初に出会ったApple製品は、父の使っていたPowerBook 140でした。私が小学生の頃です。
PowerBook 140は白黒2値のディスプレイにトラックパッドを備えたノート型Macでした。
まだインターネットも商業利用されておらず、アプリケーションのサイズもわずか数十〜数百キロバイトといった時代のことです。
私が最初にハマったのは、HyperCard(ハイパーカード)というアプリケーションでした。HyperCardはMacを世に出した天才プログラマのひとり、Bill Atkinsonによって開発されました。
HyperCardは誰でも比較的簡単にプログラミングができるソフトウェアで、当時多くの人が趣味のゲームや実用アプリを作っていたものです。脱出ゲームのはしりである「MYST」もHyperCard上で開発されたとのこと。
このHyperCard上の「HyperTalk」というプログラミング言語に触れたことが、私のソフトウェアエンジニアとしての最初の一歩でした。
なお、HyperCardはブラウザ上で動かすことができます。
https://archive.org/details/softwarelibrary_mac
Macintoshの思想に触れて
こうしてApple製品とプログラミングに目覚めた私ですが、高校生の頃にはすっかりMacオタクになっていました。
当時の私は、MacUser誌や「エデンの西」といったApple関連の書籍を読み漁り、Apple社やMacの歴史について貪欲に知識を吸収していました。
そうやって知った中で非常に感銘を受けた言葉が「The Computer for the Rest of Us」というものでした。
直訳すれば、「私たちの残りの人のためのコンピュータ」とでも訳せるでしょうか。
この言葉を理解するためには、コンピュータの歴史を少し振り返る必要があります。
元々コンピュータは、人間が行う「計算」という知的活動を機械で自動化するために考案されました。
そして多くの技術と同様に、戦争のための道具として1940年代に実用化されました。
1960〜1970年代には、半導体技術の発展とともに高性能化・小型化・低価格化が進み、研究者や一部のオタクが使うデバイスへと進化していきました。
そのような時代背景の中、1984年に生まれたのが初代Macintoshです。
MacはGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)という操作体系を持っており、一般の人でもマウスを使って簡単に操作することができました。
「軍人でも研究者でもオタクでもない、『普通の人』のためのコンピュータ」
それがMacだったのです。
「技術を人のために使う」という私の価値観のコアの部分は、この思想に触れた時に生まれました。
Apple Human Interface Guidelines との出会い
「普通の人のためのコンピュータ」であるMacを語る上で、「Apple Human Interface Guidelines (HIG)」を避けて通ることはできません。
これは、Mac用のアプリケーション開発者に向けて、Appleが「MacをMacたらしめるデザイン原則」についてまとめたガイドラインです。
このガイドラインの存在がサードパーティアプリケーションの操作性に一貫性をもたらし、Macを使いやすくしていたと考えています。
HIGの内容は時代によって変遷があるのですが、詳しくは以下のような記事が参考になると思います。
https://goodpatch.com/blog/hig-design-principles/
高校〜大学時代の私はHIGをひたすら読み込み、自作のMac用アプリケーションをとにかく開発していました。
当時は英語の情報が中心でしたので、そのおかげで受験英語の長文問題も読めるようになったほどです。
一方、私の愛していたMacの操作性は、2001年にリリースされた「Mac OS X」によって大きく変わってしまいます。
これはMacのOSを、Steve Jobs率いるNeXT社が開発したOPENSTEPというOSをベースに抜本的に開発し直した影響でした。
細かい使い勝手が改悪されたことに悲観した私は、Apple社にバグレポートを120回以上送付しました。
一部は製品に反映され、驚いたことにApple社からは感謝状・Tシャツ・光学マウスも送られてきました。
ユーザビリティコンサルタント。そしてWebエンジニアへ。
このようにApple製品に多大な影響を受け、「技術を人のために使いたい」「徹底的に使いやすい製品やサービスを作りたい」と考えていた私は、Webサイトのユーザビリティ向上に実績のあるコンサルティング会社に就職しました。
小学校の頃からプログラミングを続けてきた自分が、なぜプログラマにならずにコンサルタントになったのか?
それには2つの理由がありました。
・プログラミングという手段にこだわらず、使いやすい製品やサービスを社会に届けたかった
・コンサルタントという立場で多くのクライアントに関わることで、社会に大きな影響が与えられると思った
しかし、SaaS製品を自社開発する企画が立ち上がり、その初期プログラマとして急遽ジョインすることに。
コンサルタントとして入社して、たったの3ヶ月半での出来事でした。
そこから10年半。Web系サーバサイドエンジニアとして自社製品の開発経験を積むだけでなく、時には採用やカスタマーサポートにも関わったりと幅広い経験を積む機会に恵まれました。
また、2つ目のSaaS製品の立ち上げ時には、UIの大部分を設計させていただきました。プロトタイピングを繰り返してお客様に実際に使っていただきながらどんどんプロダクトが磨かれていく経験は非常に楽しいものでした。
転職、UXエンジニアとしての再スタート
そして2社目の現職では、Web系サーバサイドエンジニアとして、BtoCのメディア開発に関わっています。
この環境でも自分の根底にあるのは「徹底的に使いやすいサービスを提供し、ユーザにより多くの価値を届けたい」という思いです。
その原点を常に忘れないようにするため、私は「UXエンジニア」という肩書きを名乗ることにしました。
まとめ
小学生の頃に出会ったApple製品 (Mac) と、その開発思想が私の原点です。
徹底的に使いやすいサービスや製品を世に生み出す「UXエンジニア」としてこれからも精力的に活動していこうと思います。
余談
ヘッダに使用している画像は自分の結婚式でリンゴの丸かじりをした時のものです。(ファーストバイトのタイミングでリンゴをかじってAppleマークにし、Macの起動音を流しました笑)
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