多忙中毒から抜けだそう、失われた毎日を取りもどす時間術の実践レポート。
おかしい。なんで、今日は終わってしまうのだろう。
そんなチンケなポエムが、ふと脳内で再生される。部屋の時計は天を向き、深夜が訪れたことを主張する。嗚呼、読もう読もうと思っている読書が今日も1ページも進まなかった。
寝る前になって、私は本棚にズラズラと積まれた「積読」たちを眺めながらため息をこぼす。知の結晶らしく、誇らしげに並んだ本たちはどれもAmazonで注文しその翌日に届いたもの。現代の魔法と涙ぐましいサービス努力であっという間に届いたは良いものの、今日も私はどの本にも手をつけていない。中には半年以上も放ったらかしの本もある。
重い瞼の裏を見ながら「配達員さんごめんなさい、もう明日の午前中配送なんて選びません」と、私は頭の中で手を合わせ静かに眠りにつくのだった。
わたしの4時間はどこへ消えた?
1日は24時間だということは、物心がついた時から一応は理解していました。そして金持ちでも買えないものが「時間」であり、通っていた大学でも「学費を換算すると1日は1万円だから、毎日を大切にしましょう」なんて脅しを言われたこともあります。
社会人になり、日中が「就業時間」という軸に固定されるようになってから一層「時間」というものがハッキリとした感覚として肌について回るようになりました。
毎朝同じ時間に目覚め、通勤路を歩き、朝会でメンバーの顔を見てから自席に着く。日が暮れれば家に帰り、冷蔵庫の中を漁って腹を満たす。夜になれば眠り、また次の朝がやってくる。これは流れるように続く、私の日常でした。
しかし一方、どうにも奇妙なことがありました。
家に帰ってきたは良いものの、私は、私が、寝るまでに「何を」していたのかを一向に思い出せないのです。今日は持ち帰ったタスクもなかったので帰ってからやることといえばご飯と、お風呂くらいしかなかったはず。けれど帰宅して4時間以上が立っているというのに、読みたい読みたいと懇願し続けた本を開くこともなく、ついにはご飯とお風呂しか「行動していない」というのはいささか奇妙と言うか、絶対におかしい。
そう首を捻ったわたしは、徐に自分の観察とメモを始めました。
と言うわけで今回の話は少々。いや、人によっては息を止められるような話かもしれませんが、お付き合い頂ければうれしいです。
タスクを管理する前に、時間をつくる。
先日公開した「Notion×Googleカレンダーで叶える、人生を進めるタスク管理術」を読んでくれた方々の感想を眺めていて「面白そう」「明日からやってみます」と期待を持ってもらえたことは本当に嬉しかったですし、やっぱりみんな困っているんだなと再実感しました。
しかしこのタスク管理の成功の裏には、実は大きな「前提」が抜けています。それはタスクをこなす十分な時間をどう捻出するか、という点です。
「なんだ、そんなことか」と、あなたは思うかもしれません。
でもヒトは、食べ物でも趣味でも習慣でも、気に入って好きだったものを「我慢」するのはとても苦手なことを私は身を持って知っています。
これは、そういうお話です。
わたしの「戦術」実践レポート
さて今回紹介する時間術大全は今年、かなり人気と話題を博した本でもあります。よってこの本自体の細やかな書評や考察についてはマメな方にお願いすることにして、本文で紹介されている「戦術」のなかで、わたしが実際に取り組んだものをご紹介しようと思います。
戦術を考案した2人は元GoogleとYouTubeのデザイナー2人で、デザイナーが考え実行した時間術というのがとりわけわたしにもぴったりハマる要素の1つでもありました。
中でも今回は、2章「レーザー戦術」で取り上げられているスマホ・メール・ニュース・ネット・テレビからどう自分を守り、適量に扱えるようにするかという点に絞って紹介します。
結果から言うと、わたしはこの本の中の戦術を実践して爆発的に自由な時間を捻出しました。これは決して誇張ではなく、文字通り「爆発的に」です。「また、ずいぶん大袈裟だな」と思うかもしれません。でもわかりやすく証明するなら、わたしのスクリーンタイムを見ればそれは明らか。
なんと、1日のスマホを見る時間が1〜2時間を優に切るようになったのです。
戦術を取り入れる以前のスクリーンタイムは平均して4〜5時間ほど。かなり多い時では8時間ほどスマホを見たとの計算になる日もありました。本当に我ながら「一体、いつ食事や仕事をしていたのか」と問いただしたくなるほどの時間のかけ方です。
いま手元にご自身のiPhoneがあるならスクリーンタイムを見てみましょう。そこに表示されている時間は、言い逃れをする余地をカケラも残さないほど残酷なまでなリアルです。
すでに本を読んでいる人は自分との比較や、まだ取り入れていない戦術の参考に。初めての方はどんな戦術が詰め込まれているかの足がかりにしてもらえればと思います。
ではさっそくいってみましょう。
#今回紹介する戦術
1. アプリを消す
2. ブラウザからログアウトする
3. 通知を全てオフにする
4.スクリーンを空っぽにする
5. 返信を遅くする
6. ニュースをコントロールする
まずはアプリを消す、話はそれからだ。
LASER(レーザー)と呼ばれる、ゾーンのような時間を1日の中で作ることが重要だと彼らは主張します。それは誰にも邪魔されず、一気に今日の仕事を終わらせるための集中タイムです。
ただ、その前にやっておくことがあります。美少女のように私たちを甘く誘惑する「スマホ」に、ちょっとした魔法をかけるのです。
そう、まず手始めに行うのはスマホ内のアプリの一掃です。
何を削除するべきなのか、多分もうお分かりかと思います。まずはツイッターやインスタグラム、Facebookをはじめとする各SNSはもちろん、仕事でもプライベートでもおなじみのGmailをはじめとするメールアプリ。続いてSlackやmessengerなどデフォルト以外のメッセージアプリの全て。
加えてNewsPicks や日経新聞をはじめとするニュースやメディア。コンテンツの終わりが見えないYouTubeやNetflixなどの動画ストリーミングサービス・・・極め付けはSafariやChromeなど、Webブラウザそのもの(デフォルトブラウザは一部削除できないので、機能制限などによって実現します)
見極めは簡単で、相手とのコミュニケーションが発生する、もしくは無限に見れるコンテンツがあるかどうかが一つの判断基準です。仕事用か、プライベート用かは全く関係ありません。
それ以外の電話やメッセージ(デフォルト)やカレンダー、天気、健康管理など残ったものは全て残して問題ありません。
・・・
はい、もしかして、もう吐き気がしてきましたか?
安心してください、というのは少し大げさかもしれませんが、最初はわたしもそんなうちの1人でした。この本を読んだ直後、おっけ〜い任せて!と、二つ返事で消したわけではありません。
え、本当に?どうなっちゃうの?不便じゃない?というか無理じゃない?と散々部屋の中をウロウロしながら、不安に満ち満ちた気持ちでいっぱいだったのです。
でも、スクリーンタイムは嘘をつけませんでした。今日もわたしがツイッターを2時間見ていたことは明白だったから。
取り返せる挑戦、だから思いきる。
最愛のアプリを「消せ」と言われて吐き気がする皆さんに朗報です。
なんと、昨今のアプリはアンインストールをしてもアカウントやデータが消えることはほとんどないんです。そう、これは取り戻すことができるチャレンジです。
取り戻せないことに関して私たちは判断がとても億劫になりますが、ダメだったらまたストアからダウンロードすれば良いのです。もちろん、いきなり全部じゃなくていいのです。ひとつずつ順番に、あなたの心の負荷が軽いものから消してみましょう。
わたしも1週間ほどかけ(唸りながら)以下の順でアプリを消しました。
1. ニュースアプリ、UIの参考用アプリ、その他謎のアプリ(執着なし)
2. Facebook、Instagram、Youtube(低依存度)
3. Gmail、messenger、ChatWork(中依存度)
4. Kindle、Netflix(高依存度)
5. Amazon、Twitter(酸素こと沼)
6. Slack
我ながら錚々たるメンツだと思う。時には「ぐぬ」と変な声を漏らしながら、わたしはこれらのアプリを消していきました。
(正直言うけど、本当にソワソワしたし不安でした)
SNSは言うまでもないですが、何かと開いてしまうGmailやFacebookメッセンジャーも地味に「連絡を見逃さないか」と不安になってしまい厄介でした。Kindleは意外だと思われるかもしれませんが、私はスマホだと同じ漫画を何度も繰り返しみてしまったり、読んだ後に他のアプリの利用を誘発するのでPaperwhiteに活字の本だけを入れて読むことにしました。
そして何より、私はトイレの中ですら無限にAmazonでウィンドウショッピングをしてしまう癖があり、それを同じくらい青い鳥に依存していました。これらを消すときは、まるで自分の片割れを失うような気持ちでした。
アプリを消して変わったこと
結果、これにはどんな精神修行や瞑想よりも効果がありました。
だって見ようとしても、その魔法のデバイスに「それ」はもうないのです。ないものは、私には逆立ちしてもどうすることもできません。
単純なのだけど、スマホを開いてもやることがないのです。楽しいSNSも、バッチがついたメールアプリも、流し見できる映画のサブスクリプションも何もない。不思議とスマホを開いてしまっても「あ、やることないや」と、またすぐに閉じるようになりました。
そしてやることがなくなると「あ、そうそう。あの本が読みたかったんだ」と自然に積ん読に手が伸びたり「下書きのままだったnoteを書こうかな」とやりたかった作業に意識がいくのは自分でもとても不思議で、何より嬉しかったです。
そうそう、ログアウトも忘れないでね。
アプリを消しただけでは完璧ではありません。そう、ブラウザという抜け道が私たちには用意されているのです。
ここまできたのだから、もう一歩です。
先ほど消したアプリと同じラインナップのウェブサイトに赴き、順番にWEBからもログアウトしていきます。ちなみにこれはアプリだけでなく、PCまで徹底してログアウトしましょう。
ツイッター、インスタグラム、youtube、Amazon・・・(ぐぬ
アプリを消す、もちろんそれだけでもかなりの効果は期待できます。でも最初はまあ良いのですが、やはりヒトは欲深い生き物です。
ふとした時にスマホを開いて「あ、そうだアプリはもうないんだった・・・」と絶望のような哀愁のようなものを感じる。そこでもういいや、となるなら儲けもの。それでも、時にどうしても(本当にどうしても)見たい・・・あれが見たいのじゃ・・・!!!となるのです。そうなった時に初めて、私たちはブラウザでそのサービスを検索します。
ちなみに私が真っ先に検索したのは「ツイッター」でした。我ながら情けないのですが、ここで検索したくなるようなサービスこそ「あなたの依存度が結晶化されたサービス」です。きっとそのアプリに、今まで1日の何時間もを費やしてきたことでしょう。
でもこの場合、ツイッターの検索第1位をタップして行き着く先はそう、ログイン画面です。
これはなかなか堪えます。ログイン情報の入力も手間ですが、さらに私は二段階認証を設定しているのでSMS経由のコードも入力しないとログインに有り付けないのです。
ずいぶんと、夢の国は遠くなったように感じました。
しかも神のいたずらか(違うが)このSMSが結構な頻度で届かないのです。SMSが届かなければ、もうどうしようもない。3回ほどSMSを送って届かなくなると、不思議と「そこまで見たいものはない・・・」と諦めて元の作業に戻ることが多かったです。
ログインできた場合、あなたの采配に任せますが基本的に存分に見てOKです。ここまでの難関を飛び越えて見たのだから、よっぽどのことでしょう。
ただし、最後に約束が1つあります。見るものを見終わったら、必ずログアウトしてからタブを閉じてブラウザを終了させましょう。以前はブラウザを開くと20も30もタブが開いていたものですが、いまは利用を終えるとき、常に0に戻すことを心がけています。
こうしてまた、頼もしい門番のようなログイン画面や2段階認証に大切な時間を守ってもらえるのです。
通知はとにかく、オフにする。
アプリを消したら、次に「設定」を開いてアプリの通知設定を全て「オフ」にしていきます。文字通り、ほとんど「全て」です。
事前にかなりの数のアプリを消しているはずので、オフにするのは意外と簡単。唯一残すのはデフォルトの電話とSMSくらいになります。
わたしはこれに加えてアップルウォッチのカレンダー通知と、LINE(親との連絡以外でLINEを使うことがほとんどないので)と、パートナーとの連絡用のSlackだけONにしてあります(Slackについて詳しくは後半で記載します)
これなら通知の頻度も1週間に数回あるかないかくらいだし、あるとしてもどれも緊急度が高い連絡しか来ないので通知がONでも問題ありません。
デスクトップPCの通知機能も、意外に気を散らしてくるので注意です。Facebookやらメッセンジャー、Adobeのクリエイティブクラウド(更新とかお知らせが意外と頻繁なので)など、同じように通知をオフにしましょう。
せっかくあなたが美しいUIを作っているというのに「ヤッホー」と右上のメッセージに気を取られては勿体無いではないですか。
通知の威力を思い知る
日常の中で想起させる、ということがどれだけ私たちの注意を引くのか。通知をオフにしてみるとそれが肌でわかります。
いちサービス運用者としても「プッシュ通知」の重要性は重々承知していたつもりでしたが、いざ自分が通知を絶ってみるとその効果は絶大。そのアプリを思い出す「機会」がほとんどなくなるのです。思い出さないのだから、アプリも見ないしもちろんスマホも開かない、開いても思い出すきっかけがどこにもない。
少し乱暴な表現ですが、思い出さなければ開かないということは、生活において必要性がないということです。そして本当に必要になったら、用ができたら、私たちはちゃんと思い出します。それで十分ではないでしょうか?
「通知」というものは一見便利に見えますが、ついでに他のことも思い出させてくれる厄介なおせっかいさんです。それを自覚し、適切に距離を取り、タイミングを自分でコントロールできるようになりましょう。
スクリーンを空っぽにする
最後に、1つ目のスクリーン画面を空っぽにしましょう。
これは2重の警備網のようで、特に最初の頃はふと習慣でスマホをパッと開いたときに効果を発揮します。開いた瞬間、そのさっぱりとしたスクリーンは「本当に今、スマホを見るは必要ある?」とわたしに問いかけてくれるのです。
最初は便利かと思ってApple純正カレンダーだけを置いてみたのですが、やたら数字が気になってしまったり、それに紐づいて次の予定をGoogleカレンダーが見たくなってしまうきっかけになるのでほどなくして取り下げました。
結果的には「カレンダー」→「時計」→「カメラ」の順に入れ替えていき、いまはまっさらなホームです。
空っぽのスクリーンは、ついつい開いてしまったスマホを優しく電源オフへ導いてくれる優秀なアシスタントのようです。
なぜなら、通知と同様にアプリは見えてしまうと不用意に思い出す「キッカケ」になってしまうのです。だからまずは目に入れない、そんな工夫が自然と、努力なしにできる環境を空っぽのスクリーンで作ります。
逆にきっかけが欲しいもの、例えば読めていない本とか資料とかは目のつくところに置いたりするのも効果的です。
・・・
さあ、スマホやデスクトップPCが随分スッキリしました。
これでも十分すごい成果をあげると思うのですが、最後の仕上げです。アプリと同じくらい私たちを埋め尽くす「連絡」と「ニュース」についてお話ししましょう。
早く早く早く、急いで返信し続けるあなたへ。
昔は手紙を書いて「返事が楽しみだなあ」とは思うものの「遅い」なんて思うことは少なくともなかったはずでした。手紙を書くのはなかなか骨が折れるし「今何してる?」とか絶対に書くこともなかったでしょう。たくさんの伝えたいエピソードをしたため、練りに練った文章の推敲をしたものです。
それに比べ、今や5分でメッセージが帰ってこないようなら「何してるんだろう」と相手のSNSの更新がないかチェックしたり、「あの仕様ってどうなってたっけ?」と同僚からひっきりなしにメンションが飛んでくる時代になりました。地球の裏側にも、1秒かからずメッセージが届くのですから便利のような、恐ろしいような社会です。
でもそれに私たちはずいぶんと慣れてしまって、もっと多く、もっと早く。メールも、メッセンジャーも、DMも返してほしい・返すべきだと思い込むようになってしまいました。相手へ希望する返信速度が、桁違いに跳ね上がったのです。
これでは家にいても一向に休まらないのも無理はありません。ひっきりなしに襲ってくるメンションの嵐に、あと何分以内で返さないといけないのか・・・とそわそわしっぱなしだからです。
でもそんな律儀な皆さんにこれまた朗報です。返信はもっと「遅く」ていいのです。
メールは決まった時間に、決まった頻度で。
SNS中毒と同様に、メール中毒という言葉があります。
毎日何回もメールタブを開いては「何か来ていないかな」と確認したくなってはいないでしょうか?それは印刷所からの急ぎの返信かもしれないし、ちょっとうるさいメルマガかもしれません。
よりによって、わたしはメールのアカウントが4つもあります。これは何処かのタイミングで統合しなければいけないかなとも思っているのですが、会社用・プライベート用・副業用・趣味用と使い分けているのでなんだかんだ便利なのです。でも正直、全部見るなんてかなり時間を食います。
でもあまりメールでのやりとりが頻繁でないわたしにとっては、毎日は過剰なのでは?と仮説を立てて、メール断ちをしてみました。
思い切って、メールの確認を週1~2に固定してみたのです。
具体的には現在進行でやりとりしている案件があれば週1で木曜日に。やりとりが発生している場合は「月曜日」と「木曜日」の午後に、それぞれ30分ほど時間をとっています。
仕事の信頼を失うのでは?と思う方もいるかもしれません。もちろんこれは職種によって差があると思うので、個々人で最適な頻度を調整して欲しいのです。でも、その不安すら大きな思い込みだったとわたし自身も痛感しました。
わたしが熱心に整理していたのは、メルマガやネット通販の決済のお知らせ、そしてログイン通知がほとんどだったのです。これらの処理に、毎日こまめに何回もアプリを開いていたかと思うと本当に馬鹿馬鹿しくなりました。
もちろん仕事に関するメールも含まれていますが、どんなに遅れても3日程度です。じゃあこれで仕事を失うかと言われれば、とりわけ支障はなかったのです。見るときは一気に集中して、一斉に確認・返信・不要なメールの削除を行なっています。おかげで見落としや抜け漏れもありません。
必要であれば、事前に相手にメールの確認頻度を伝えておけば期待値の調整もできます。さらに必要な人には緊急用に電話番号を渡してあるのでかけてもらった方が早いです。それよりもっとバンバンやりとりをしたいという人がいれば、それはメールではなくSlackなど別ツールに移行した方が良いでしょう。
常に、本当にメールでやり取りするしかないのか?と前提を疑いつつ、受信ボックスの奴隷になるのはもうやめましょう。
本当に今、読まないといけないメッセージ?
「アプリを消す」という戦術によって、私のスマホからは「Slack」「messenger」「ChatWork」がなくなりました。仕事や案件をいただいたりするハブとなるメッセージツールたちです。
歩きながら、エレベーターに乗りながら、電車に乗りながら、はたまたお風呂の中で・・・私は繰り返しメッセージを見て、返していました。今思えばまるで、コールセンターのようだった日々。でもアプリがなくなってしまったことにより、私の生活は一変しました。
まず、移動時間に一切連絡を見ません。とくに電車やエレベーターの中でのSlack閲覧は情報漏洩・コンプライアンスの側面を孕んでいるので実はとんでもなくリスクな行為です。と同時に、目的地に着いてから確認すれば問題ないメッセージがほとんどです。
もちろん緊急な事柄に関する対応の仕事をされてる方々には一部当てはまらない話ですが、一般的な仕事勤めの場合、本当に今すぐじゃないとダメなのか自分に質問してみてください。
「今、じゃなくても良さそうではないですか?」
結果、私はすっぱりと連絡を見る場所が「会社のデスクで見る」か「家のデスクで見る」かに絞られ、だらだらとスレッドを見続ける習慣から離脱しました。もちろん日中はデスクにいるのでメッセージに今までのように気づきますし、コミュニケーションは何も変わりません。
代わりに、朝と夜の確認はかなり時間を絞って、タイミングを決めて確認するようになりました。スマホで確認ができないので、家のデスクに座らないと確認できないからです。このおかげで、また随分と抜け落ちていた夜の4時間が帰ってきたのは明白でした。
返信は速度が命、という意見もあると思います。もちろん、それも信頼を構築する上で必要なものの1つだとも思います。でも、それで「だけ」で失われてしまうような信頼はちょっと怖いというか、薄っぺらいように感じてしまいます。
本当に、今?をちょっとだけ頭の片隅に置いて。今日からメッセージ中毒から抜け出してみましょう。
ニュースに振り回されない暮らし方。
テレビでもアプリでも、ニュースはよくできていると思います。私たちを「不安にさせる」という点で。
以前はツイッターを中心に情報収集をしつつ、朝昼晩と隙間を見つけてはニュースアプリを読み漁っていました。とにかく情報を拾わないと、誰よりも早くキャッチアップしようと躍起になった時期もありました。
基本的にメディアというのは「注目」されないと視聴率が取れません。よって「今日は天気も良く、交通事故も0でした」というニュースは流れないのが現実です。じゃあ何が中心かというと、ひときわ目を引く痛々しい事件や誰かのミスによる騒動などです。
揉める外交、批判を食らう国政、汚職、芸能人の浮気やスキャンダル、児童の死亡事故、殺人、老後のお金、将来なくなる仕事・・・世間はいつも誰かの不都合であまりに忙しい。そしてとにかく見ておかなきゃ、と不安になるような、正直、不快な内容のものが多いのです。
朝からこれらを見て、どうやって、前向きに元気に仕事に向かえというのでしょうか。
ドキドキハラハラ、毎日は多すぎる。
そう、端的に。毎日朝からニュースを見るのはやめましょう。なんなら、毎日見る必要も全くありません。アプリ断ち、メール断ちに続いてニュース断ちです。
毎朝ニュースを見よう、と小学校の時から誰かに言われた気がします。でも、じゃあ「何で毎日なの?」にちゃんと答えてくれた人はいなかったように思います。
みんなそうしているから、そうすべきだから、と誰が言い始めたかも分からない「当たり前」ほど怖いものはありません。まるでバレンタインデーを企業が作った話のように、言われてみでばどこかに奇妙さを感じるのです。
もちろん、本当に情報から自分を絶ってしまっては流石に「仙人」と揶揄されるような世間知らずになりかねません。私たちも例外にもれず社会の中に暮らしているのだから、情勢を最低限インプットする必要は大いにあります。これはニュースに触れる時間を0にしろ!なんて横暴な話ではなく、メールと同様に「頻度」と「時間」をコントロールすれば良いと言う話です。
わたしは週1でまとめニュースを、昼過ぎに30分から1時間ほどざっとななめ読みして終わりにしています。そしてめちゃくちゃホットなニュースなら、職場のSlackで自然と流れてくるので見逃すことも実はそんなにありません。
ちなみになぜこの配分にしたかというと、わたしは事象への感情移入がとても深く・激しいタイプの人間だからです。同様に五感もかなり敏感で、テキストだけでなく音声や画像、映像とセットでこれらの情報を毎日見ていると必要以上に気分が当てられてしまうことに気づきました。誰かの「悲しみ」「辛さ」「怒り」といった感情に必要以上に影響を受けてしまうのです。
でも週1以上間隔をあけると、今度はキャッチアップも大変です。自分の気分が害されない程度に、読み込む時の重みとバランスをとって今の頻度に落ち着いています。
情報は無限大に、そして大げさで恐ろしいものを浴びせようとしていきます。自分が乱されない、相性のいいメディアの媒体とその頻度を見極めましょう。
実践のまとめ
1. アプリを消す
・SNS
・メッセージツール
・メール
・ニュース
・動画サービス
・ネット通販
・ブラウザ(機能制限)
・その他、1ヶ月以上開いていないアプリ
2. ブラウザからログアウトする
・消したアプリと同様のサービスからログアウト(スマホもPCも)
・ログインしたら最後に必ずログアウト
3. 通知を全てオフにする
・電話とメッセージ(デフォルト)以外全てをオフ
・デスクトップPCの通知も全てオフ
4.スクリーンを空っぽにする
・スマホの1枚目のスクリーンを空っぽにする
・今、本当に見る必要のあるものか?と自答する
5. 返信を遅くする
・メールやメッセンジャーを見る曜日と時間を決める
・確認・返信・削除はまとめて行う
・返信の頻度を相手に伝えておく
6. ニュースをコントロールする
・毎朝、毎日ニュースを見るのを止める
・ニュースを見る頻度を週1などに決める
・自分が気持ちよく見れるメディアを選ぶ
・・・
さて、ここまで随分すんなりと私が戦術を取り入れてきたように見え、自分にはとてもできないと不安になる方もいるかもしれません。
でも安心してください。決して私もすんなりと受け入れられた訳ではなく、どうにもこうにもめちゃくちゃに葛藤しながら(そして今だに)誘惑と戦っているのです。
最後にご紹介しましょう、私のラスボスたちを。
難所の1つ、Slackとの付き合い方。
つい先日、もう1つの最難関だったSlackを消しました。
Slackが消せなかったのには2つの理由があります。1つは仕事に関係するメインの連絡がここに集約されているからです。しかも複数で、ここでしか連絡を取っていないチームがほとんどでした。流石に「メンションがあったらどうしよう」と言う気持ちもあったし「どうしてもすぐ連絡を取らなければいけない」という場面もちょこちょこあり、なかなか消すことができませんでした。
もう1つは、夫との連絡をSlackで行なっているからです。幸いお互いに「今何してる?」といった用事のないメッセージはほぼしないタイプだったので、とうの昔にLINEでの連絡はやめて情報共有としてSlackを使っていました。これについてはまた別の機会に紹介したいのですが、とにかく「用がある時の連絡」ばかりなのでこれを見逃すのはなかなか申し訳なかったし、やはり不便でした。
最初は通知を完全にオフにする代わりにアプリを消すことから例外的に除外していたのですが、結局何度も何度も日中に開いて仕事のスレッドを見てしまいました。前よりかははるかにましでしたが、アプリを消したサービスと比べると効果の物足りなさは否めませんでした。
しかしそれをえいや!と消したのはつい最近のことです。何と夫と出かけた温泉旅行先で、思い切りやるならこういう時だと(謎の思い込み)考えなしに実験的に消してみたのです。そして、すごいことに気づきました。
「そうだ、夫とのチーム以外から全てサインアウトしてしまえば良いじゃないか。」
今までなんで気づかなかったんだろう!と言うことは人生でもよくありますが、これはまさに「当たり前を疑えない状態」まで洗脳されていた証拠だと感じました。別に誰も「スマホには必ずSlackを入れて連絡を取れるようにしておくこと」なんて言ってないのです。そう、連絡が取れない状態にしておくことに勝手に罪悪感を持っていたのはまぎれもない自分でした。
わたしは夢から覚めたような気分で、一度消したSlackを再びインストールしました。そしてアプリを開くとログイン時のあらゆる勧誘には目もくれず、たった1つだけのチームにログインしました。そう、夫との2人だけのSlackチームです。
これならアプリからの通知をONにしても問題ないし、普段は見る必要性を感じないから邪魔にもならない。本当にいざという時は仕事用チームにもログインし直して連絡を取り、ブラウザと同様に終わったらすぐログアウトすればOKです。
今は非常に爽快で、緊急時の連絡に困ることもなく穏やかに過ごせるようになりました。エレベーターの中で確認するべきメッセージなんて、実はどこにもないのです。
どうしても見たい、青い鳥の魔力。
Twitterは本当にすごい、わたしは未だ彼にメロメロです。
きっと彼に振り回されている人も読者の中には少なくないと思うのですが、本当に何でもできてしまうからこそ根深く、そして厄介でした。自分の考えを発信し、誰かの考えをインプットし、ニュースも見れる。連絡も取れる。
noteの文量を見ていただいてお分かりの通り、私はもともと頭の中の言葉を文章に落とし込むのがすごく好きです。それが気軽にできて、さらにそれらに「いいね」の通知が来るたび、甘美なホルモンが脳内でドバドバと放出されてますますトリコになりました。食事をしていても、歩いていても、トイレの最中でも、はたまたお風呂の中や布団の中でも「とりあえず開く」が完全に癖になっていました。
言うまでもなく、以前のわたしのスクリーンタイムの大半を占めていちゃのはTwitterです。平均して3時間は毎日覗いていたのではないでしょうか。3時間あったら、何ができるだろう?そう想像すると、なかなか堪えますね。
でも一方で、新しい出会いや面白い仕事に結びつけてくれたのもやはりTwitterでした。
ちゃんとTwitterを活動拠点にし始めてまだ2年も経っていないのですが、最初にさまざまなアウトプットをはじめたのはやはりここでした。今でこそたくさんの人がTwitterを通してnoteを読んで、拡散していただけるようになり、お仕事もDMでいただくことが大半になりました。
それを、完全に、やめる。
幾ら何でも、それは自分の中で「ない」と断言できました。白鳥友里恵ではなく「スワン」は間違いなくここで生まれ、育ち、今は微力ながら誰かの役に立てるようになったなと実感しているからです。
でもあんまりに魅力的すぎるので、やはり用法用量は考えなければなりません。じゃあ具体的にわたしは、Twitterで何をしたいのかを洗い出しました。
・noteの公開告知
・インタビュー記事や関わっているプロジェクトの告知
・印象的だったできごとへの考察
ご覧の通り、発信に振り切っています。もともと日常的な呟きは少なめだったので、コミュニケーションはDMか質問箱、リツイート(する・される)が中心。
ニュース断ちもしたので、ツイッターで情報収集することもなくなりました。よって、自分のタイミングで、頭の中の考察がまとまった時や何かコンテンツを共有したいときにログインすれば十分。と言うことがわかりました。
これなら、自分のペースを作れそうです。
今のログインタイムは主に仕事後の夜で、ツイートの必要がある場合に絞っています。投稿が終わったらお知らせを確認して、10~15分ほどで返信などを済ませサクッとログアウトします。
投稿は主にPCから行なっています。誤字脱字が多いわたしにとっては、実はPCからの投稿の方が性に合っていたようにも思います。だいたい毎日見ていますが、調子がいい時は1~2日おきぐらいでしょうか。
ちなみにアプリを消してからかれこれもう2ヶ月近く経ちますが、特に支障は出ていません。もちろんスマホでもPCでもブラウザのログアウトを徹底し、仕事中に覗くことも激減しました。これはランチや休憩中も例外ではありません。
一方でいまだに悩みなのは、noteやインタビューを公開した時です。わたしも普通の人間です。どうしても反応が気になり、ソワソワが止まらず2段階認証の壁を軽く飛び超えてログイン頻度が爆上がりします(笑)
完璧にできなくても、自分をダメなやつだと責める必要は全くないです。わたしもログインしまくってしまう日はあるし、そういう時はこんなこともあるさと許容しています。その分、じゃあ明日はどうやって良くしようかなと1人対策本部を設置します。
一歩ずつ、前に進めればそれでいいのです。
アプリ、キミの色気には胸焼けがする。
改めて、なんでここまでしないとわたし達はアプリから手を引けないのでしょうか。
大の大人が「もう見ないぞ」と決心すればできることを、ここまで徹底して律さないとできないというのはいささかな情けない気もしてしまいます。でも本書の中でも幾度か触れられていますが、私たちの「意思」という紙切れのような盾では到底太刀打ちすることはできないのは仕方のないことなのです。
それは実際にGmailやYoutubeを作っていたからこそわかることだと、彼らは言います。
それは「本気でこのアプリが世の中を良くしていると思っているし、カスタマーの幸せにつながっていると思っている。だからもっと使いやすくしたいし、手軽で、魅力的な体験にするために日々の思考を費やしていた」と。
サービスと顧客への紛れない、信頼と愛。
これこそが、私たちがアプリやサブスクリプションの泉から離れられない本当の理由だと言います。ごもっともではないでしょうか。
世の中の全てのサービスが全てがそうだとは言いませんが、私たちの生活の大半を占めるような巨大なサービスにはやはり、確固たる「信念」があります。そして私たちに明確な「価値」を届けようと本気で向き合っているのは、開発側にいたことがある人間なら誰しもが頷けることではないでしょうか。
アプリを通して、愛を全力投球されているのです。わたしがそれに夢中になるのは何も不思議ではないのではないでしょうか。
そしてだからこそ、私たちは「意思」ではなく「仕組み」で、付き合い方をコントロールする必要があるのです。
便利だからこそ、手放していく勇気。
別にわたしは仙人になって悟りを開きたいわけではないし、ITアレルギーでもありません。むしろその魅力や可能性に魅入られてきた側の人間です。
でも、やはり「節度」が必要です。
自分の本当にやりたいことのため、幻の、まやかしのコンテンツや充実感に、気も、時間も奪われないように工夫する必要があります。それはやはり「意思」ではなく「仕組み」でしか解決し得ないものだと実感しています。
ところで私は今年登山にハマったのですが、移動中はスマホを見ている余裕なんてないし、というか電波もないことが多いんですよね。流石のGoogleも経路を教えてくれるわけではありません。そこは陸の孤島。何かあっても自分の目と、鼻と、手足と、五感をフルに使って目の前の課題に取り組むしかない。
そして山でご飯を食べる時も、私の眼に映るのものはいたってシンプルです。雲のように肉厚な湯気と、彼方まで続く抜けたような青空。そして疲れた体に染み渡るように、口の中にジュワッとが広がるスープの舌触り。
「嗚呼、前を見て食事をするなんて随分と久しぶりかもしれない。」
うっかり、涙が出そうでした。それはすごく気持ちのいい、随分と長い間で忘れていた「生々しさ」でした。
みんな山に行った方がいい、というわけでは決してないのですが(笑)でもスマホが誕生して、なんでも「ながら」ができるようになってしまったなあと思うのは私だけでしょうか。
「テレビを見ながら」「食事をしながら」「歩きながら」「仕事をしながら」「寝ながら」私たちは目の前に溢れ出る情報を浴びています。それは便利で、簡単で、以前よりも速いのかもしれないけれど。気づかないうちに、酷く水で希釈されたような日々を送っているのかもしれません。
その洪水から離れ、コントロールできるようになる。
すると「あ、そういえば旅行に行きたかったんだ」とか「お、このご飯は甘い」とか。当たり前だけど忘れていた、もっと解像度の高い毎日が帰ってきました。食事ひとつ、通勤ひとつでも、楽しい発見と、気づきと、驚くほど穏やかな気持ちが帰ってきました。
「いきなり全部やって」なんてたいそれた事は言いません。何か1つでいい、自分の「時間」を取り戻すささやかな「キッカケ」が見つかれば嬉しいです。
記録:実践した戦術一覧
#レーザー戦術 スマホの「主」になれ
- [✅] 17 「気が散らないiPhone」を試す
- [✅] 18 「ログアウト」する
- [✅] 19 「通知」をオフにする
- [✅] 20 ホーム画面を「からっぽ」にする
- [✅] 21 「腕時計」をはめる
- [ ] 22 デバイスを置いて帰る
#レーザー戦術 「無限の泉」を遠ざける
- [✅] 23 「朝の巡回」をやめる
- [✅] 24 「散漫クリプトナイト」を遮断する
- [✅] 25 「事件」を放っておく
- [✅] 26 「おもちゃ」を片づける
- [✅] 27 「Wi - Fiなし」で飛ぶ
- [ ] 28 「タイマースイッチ」でぶった切る
- [ ] 29 ネットを「解約」する
- [✅] 30 「時間クレーター」に気をつけろ
- [✅] 31 「見せかけの達成感」に騙されない
- [✅] 32 邪魔ものを「ツール」に変える
- [ ] 33 「いいときだけ」のファンになる
#レーザー戦術 メールを「スロー」にする
- [✅] 34 メールは「1日の終わり」にする
- [✅] 35 「メールタイム」を決める
- [✅] 36 受信箱を空にするのは「週1回」
- [✅] 37 メールを「手紙」と思え
- [✅] 38 返信は遅く
- [✅] 39 「期待」をリセットする
- [ ] 40 「送信専用メール」をつくる
- [✅] 41 「オフライン宣言」をする
- [✅ ] 42 「メールスケジュール」を組む
#レーザー戦術 テレビを「お楽しみ」に変える
- [✅] 43 ニュースを見ない
- [ ] 44 テレビを「隅っこ」に追いやる
- [ ] 45 テレビを「スクリーン」に替える
- [✅] 46 食べ放題ではなく「アラカルト」にする
- [ ] 47 愛しているなら手放してやれ
(2020/07/26 追記)
スマホ離れを続けてみて約1年、なんだかんだもうそんなに続けたのかー!と思いつつ、現状やその後の変化について話しました。こちらもご参考になれば嬉しいです。
ではまた( 'ω')スワーン
読んでいただいただけで十分なのですが、いただいたサポートでまた誰かのnoteをサポートしようと思います。 言葉にする楽しさ、気持ちよさがもっと広まりますように🙃