娘と日中どう過ごせばいいのかわからない問題

久しぶりにnoteを更新します。
来月で娘は1歳になります。
妊娠記録は後期①で止まっているけど、かつて自分が妊婦だったことは娘の成長とともに、ぐんぐんと記憶の彼方へ。多分②は更新されないと思う。全然思い出せない。

さて、子育てをはじめてもうすぐ1年。
物を目で追い、自分の手を見つけ、足を見つけ、寝返り、お粥の味を知り、自分の足で立つ。そんな娘をいちばん近くで見てこれたことはとても幸せなことだなと感じます。
ただ、もちろん”幸せ”ばかりではすまないものです。最近感じてることがタイトルにもしたこと。

わたしの体感だと、娘はひとり遊びが好きな様子。
ブロックを持ってカチカチ音を鳴らしたり、リモコンを手に持ってはわざと落としたり(音を楽しんでる?)、絵本のページを延々めくったり破いたり(!)。

手持ち無沙汰になると親を呼ぶので、そのときに相手をしたり別のおもちゃを出したりしてます。

「娘に対して、こういう関わり方でいいのだろうか。」
あるときから、そんなざらついた気持ちがでてきました。
早い子だと1歳を過ぎたら言葉がでるというし、たくさん話しかける方がいいのだろうけど、声かけが足りないのではないだろうか。でも、何せわたしは無口。ついでに言うとオットはさらに無口。どう関わればいいのだろう…。どう言葉掛けをすればいいのだろう…。

ざらざらしていたときに、たまたま児童館に行きました。
家よりも沢山あるおもちゃの中からお気に入りのおもちゃを選び、いつも以上に夢中になって遊ぶ娘を見て、職員さんがふと言いました。
「ここにいるとずっとママがそばにいてくれるからいいね。お家だとどうしても用事しちゃうからね。」

その言葉に、心のざらつきが薄れた心地がしました。
確かに家にいると、娘がひとり遊びをしているときは「今がチャンス!」とばかりに洗い物や料理をしています。
「言葉掛けに困る」「どう関わればいいのか…」というのはざらつきのほんの一部で、根っこには「娘を放っておきすぎなのではないか」という罪悪感のようなものや、「そうは言っても家事は片付いていかないし」という正論が絡みあっていたように感じます。

「そうか、わたしは娘をもっと見ていたいのか。」
そう理解してからは、より一層児童館を利用するようになりました。行けば、家事は当然できないので強制的に娘を見る時間になるからです。それに、娘にとっても他の子どもたちやその親御さん、職員さんの言葉や姿は良い刺激になっているはず。

家で2人で過ごす日も、娘だけに集中する時間を数十分でも意識してとりたいです。それがわたしの気持ちを安定させるし、きっと娘にとってもそうだから。

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