にじいろカナブンは海をいく。

 地上から1メートルほどの高さをもって、地球はすべて海となった。以前に陸があったところの地面をコンクリートで高さを出すようにして家などの建物を建てていた。
 わたしたちはこの数年で日常を海水に浸かりながら過ごすようになった。夜は家に戻り、海水に浸かってふやけたその身体を休めた。

 それでも人体とはふしぎなもので、今となっては海水の中での動きも陸上と大差なくすごすことができるようになった。これもオリンピックの影響だ、と吉川は言っていた。意味はよくわからなかった。

 吉川は右も左もわからないわたしにこの世界のことを丁寧に教えてくれる。わたしはこの世界に慣れていないらしい。なぜ慣れていないのかはわからない、記憶を失っているのかなんなのか。たまにそういうやつもいるよ、気にしなくていいよと吉川は笑って言った。


 ブーン
 ブーン
 ブーン

 目の前を何度も行き来する、デカい蜂のような虫におどろいて声をあげてしまった。
 吉川はパッ!と右腕を振ってその虫を己が手のひらにおさめた。「カナブンだよ」と虹色のカナブンをみせて、また笑った。よく笑うスキンヘッド吉川。年の頃は四十を少し過ぎたところか、 


「会長に聞いてくるよ」

 それだけ言って、吉川はカナブンを連れて行ってしまった。

 ああ、カナブンはこの世に「来た者」やったんやな────段々と小さくなる中年の背中を見ながら、ぼんやりと思う。


 会長はこの世界に来た者をこの世に留めるか殺めるか、生殺の判断を下す唯一の存在だと聞いた。生殺与奪の権を他人に握らせるな!とどこか遠くから冨岡義勇氏が一喝する声が聞こえてきそうな、そんな世界である。


 この世界の海水はにごっている。
 汚水とまでは言わないが、これまで人類が過ごしていた土地が海水に覆われたのだから仕方ないことなのだろう。澱んだ液体に下半身を浸けながら、人魚ってこんな気持ちなのかと揺らめく水面のむこうにある下腿を見つめながら思う。

「オーケーでたよー!」
 人目も憚らずに叫び声をあげ、カナブンを持っているであろう右腕をぶんぶん振り回しながら吉川が戻ってきた。左手には白い箱を持っている。

「まだ慣れてないから、こいつはここで暮らすんだよ」
 言いながら、カナブンを発泡スチロールの白い建物の中に優しくおろす吉川の顔は我が子を見つめるそれだった。

「これから特訓だな」と虹色の背中を撫でながら声をかけ、白い箱を海面に浮かせる。

「ほっといても大丈夫だよ、これはここに戻るようになってる」

 わたしがどこかいっちゃう、と声を発するのを遮るように吉川は言った。



 この世界ではいつもそうだ。

 わたしの声は吉川に遮られる。

 まるでわたしが何を話そうとしているのかを先回りして理解しているような振る舞いに、辟易とする。最初は慄いたが、いまはもう慣れてしまった。悲しい、怖い、腹立たしい、そのどの感情も言語化することが叶わないからだ。


 わたしはもうこの世から殺められてるようなものだな、なにも言えないし、からっぽだ。なにもないし、なにもない。


 白い箱の中でカタカタと動く七色のそれを見ながら、鬱屈とした気持ちにふたをするように白い箱の屋根を閉じて、海面を行くように発泡スチロールの容れ物を押す。逃げろ、逃げろと想いを載せて。




 カナブンの特訓が始まった。

 人差し指にカナブンをしがみつかせて、泳ぐ練習をする。右に左に、たまに波も立たせて特訓をする。

 カナブンもはじめは怖がっていたが今となってはすっかり馴れて、怖がることなく海面に触れて犬かきのような動作をして少しだけ泳げるようになってきた。その姿が愛らしくて、何度も志願してわたしも水泳の特訓を担当させてもらえるようになった。

 ピンクのバスタオルを手縫いして、水泳の後にシャワーして拭いてあげるのが一日の中で唯一の楽しみになった。


 よくがんばったね、えらいね!と言葉をかける。


 カナブンにだけ声をかけることが許されるなんてなにか皮肉だなと思いながら、考えを打ち消すように一心不乱に七色の身体から水分を吸い上げる作業に勤しむ。


 カナブンの衣食住は吉川が管理していた。食事や入浴などの世話も申し出たが、本来は水泳の特訓も担当できないのだと諭されて、断られてしまった。特訓の担当を外されるわけにはいかないので、しぶしぶながら吉川の言葉に理解を示した。


 ある日、吉川がカナブンの水泳を特訓していた。「たまには自分がやらなきゃね」とこちらと目を合わせずに言い遣る。わたしがやりたかった、と文句を言われないように流しているんだろう。まあたしかにそれが現在の最適解だ、まさにこの時に文句が胸から喉へと二、三言迫り上がってくるのを感じていたからだ。わたしの扱いになれているな、と笑ってしまった。








 ぶちっ



 吉川がわたしに気を取られた隙に、カナブンはわずかに海面から顔を出していた地面まで自ら泳ぎ、その直後に体勢を変えた吉川の大きな臀部にその虹色の身体は敷かれた。少なくとも右半身は生命活動を終えた。




「あーーーーーーーーーーー!!!!!!」


わたしの悲鳴を聞き、やっと状況を理解した吉川は慌てて身を避けてこの世を去ったカナブンの最期の姿を見た。


「こりゃもうだめだな」

吉川はやれやれと造作もなく海水でカナブンを押し流した。


「あーーーー!!!ひどいよ!!!!ひどい!!!!!なんで……」

「ごめんね」


その四文字で、もうこれ以上責めるなと感情に封をされた気がした。わたしはそれでも止まらなかった、堰き止められていた感情が溢れ出す。

喚きながらカナブンの元へ走り



寄ったところで目を覚ましました。

オチのないカナブンの夢でした。


いやめちゃくちゃネガティブな夢ぇ!!

吉川だれぇ!!おじさん怖いて!!

喋れない世界怖いて!!

途中カナブンがトカゲに変わったり、カナブンが何度も顔面にぶつかるなども夢で見ましたがめんどくさくて割愛しました。何やこの夢。リーダー的な夢見ろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

いやなんでカナブン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

吉川スキンヘッドでこわいて!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





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