I AM.
すきな映画はきまってくりかえし観るほうだけれど、I AM.はそのなかで最も多く観た作品だと思う。
はじめの一歩を踏み出すのがこわいときや、目標を見失ったとき、歩いてきた道を立ち止まってふり返りたいときに、ふと観たくなる。なにかに衝き動かされるように「いますぐI AM.を観なくては!」と、思い立つ日もある。
I AM.は2012年に公開されたSM.ENTERTAINMENT所属アーティストたちのドキュメンタリーだ。前年のSMTOWN LIVE マディソンスクエアガーデン公演の様子をはじめ、練習生時代からの彼らの軌跡をインタビューと過去の映像で丁寧に追っている。
映画のなかでインタビューに答える彼らははっとするほど素朴だ。デビューまでの過酷な道のりとその後の苦悩をありのまま語る姿に、トップスターの華やかなだけではない一面が垣間みえる。ステージをおりた彼らはただひとりの青年である、というごくあたりまえのことに気づき、どこかちぐはぐでぎこちない彼らのこころのうちに多くのことを考えさせられる。
派手で鮮やかな衣装がほんとうに似合っているのかわからず、自分を見つめ直しては苦しく泣きそうだったというチャンミンの言葉も、テレビに映る自分とふだんの自分のギャップにストレスを感じるほど混乱していたというテヨンの言葉も、あまりに率直で胸がつまりそうになる。
舌がもつれるまで同じフレーズをひたすらくりかえし発声練習をするミノのくやしそうな顔や、まわりのメンバーと一緒の練習についていけず、床にへたりこんで泣き出すソルリの丸まった背中、レコーディングまで済んでいたデビューの予定を白紙にされ、「歌う自信がない」と力なくつぶやくソンミンの消え入りそうなか細い声は、わたしが今までなんども目にしてきた、ステージの上で堂々と歌い踊る彼らの姿からはまるで想像もできない。
デビュー当時のまだあどけない表情をしたBoAが、カメラの前で自身について淡々と語る様子はとても印象的だ。多忙な活動で、本来なら友だちと一緒に遊ぶ年頃のいい時期を逃してしまう寂しさを問われ、「逃したら取り戻せないのは歌手活動も同じですよ」と迷いなく答える彼女の真剣な瞳からは、ひとりの少女がBoAになるために、なにを犠牲にして、なにを守ってきたのかが痛いほど伝わってくる。
彼らはみんな知っているのだ。夢をかなえるために人生のすべてをささげるほどの努力が必要なことや、その過程で数えきれない挫折を味わうこと、夢がかなっても、その先には終わりのない道が続いていること。
未来への不安と戦いながら、やっとつかんだデビューもふいに消えてしまうような残酷な現実の壁に、彼らはいったいどれだけぶつかってきたのだろう。そして、デビューすることもかなわずに夢なかばで去っていった仲間の背中を、なんど見送ってきたのだろう。
映画の中盤、公演で訪れたN.Y.セントラルパークにみんなで集まるシーンがわたしはとくに好きだ。草の上に座ってギターを弾き、自由に歌い、踊って、ゆるやかに音楽を楽しむ彼らの姿に、見ているだけで自然と顔がほころんでしまう。はげしい競争のなかでも励ましあい、なぐさめあえるのは、その努力と才能をたがいに知っているからだ。おなじ景色を見てきた分だけ、わかりあえることはきっと多い。
最後に収められた各グループのデビュー当日の映像は、はりつめた緊張感とあふれんばかりの高揚感がスクリーンいっぱいに満ちている。それぞれの胸の鼓動がいまにも聞こえてきそうな距離で、カメラは練習生たちの人生で最も明るい一瞬にせまっていく。
暗いステージに照明がつき、Replayのイントロがはずむように鳴りはじめる。緊張で顔をこわばらせていたテミンが視線をあげてほほえむ瞬間、かつての練習生の目のなかに「これが自分だ」という深い覚悟がにじむ。
さんさんと降り注ぐスポットライトのなかで、彼はどんな世界を見ているのだろう。そのまなざしはあまりに強く、まっすぐで、泣きたくなるほどまぶしい。
I AM.を観たあとは霧がはれたみたいに世界が澄んで見えるからふしぎだ。
どんなにがんばってもうまくいかなくて、自分の平凡さにがっかりすることもあるけれど、それでもわたしはめげずに歩いている。いまもひたむきに輝き続ける彼らに背中を押されながら。