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きっとあれは洗脳 ⑬
何にもいらない
そういう人だと分かってはいるんだけれど、愛情のかけ方が特殊、だと思う。私側から見ると間違っているというか・・・違和感がある。
きっと私のことはすごく好きなんだろう、とは思っている。
でももともと何だか私とずれていた。
私、カルティエとかティファニーとか(このふたつが旦那のお気に入りだった。付き合いたての頃、最初のプレゼントにクリスマスにくれたのもティファニーだった)いらないんだよね。私見栄張るタイプじゃないし。
若い頃ブランド物買ったりしていたのも、単に良いものが好きだったから。誰かに見栄を張るためじゃない。靴だって、私、偏平足だったんだよね、だから良い靴を履きたかっただけ。バッグは金具のメッキが違う、革も違う。だから結局良いものを買った方が得なんだよ。気に入っていればずっと使える。満足感もあるし。
それから指輪、あなたは婚約指輪含めて何個もくれた。結婚してからは好きに買って良いって言われても、結局家計から出るんだよね。だったらいらない。していくところも無いし。そんな無駄なお金は無い。あなたが思うよりやりくりは大変。
あなたの欲しい車とかを買うために、そう言って寛容なふりしているだけじゃないの?免罪符的なことじゃない?
そんなものに使うんだったら全部子供に使いたい。
それにプレゼントって、どうせくれるなら思い出に残るようなシチュエーションやサプライズも欲しいよね。そういうのも全くない。
それなら私の思う愛が欲しかった。
寛容に見守ってくれる包容力。皆でニコニコ笑って暮らしていける生活。溺愛して欲しかったけど、そのつもりなんだろうけれど、やり方が違う。あなたの話は聞きたくない。私の言うことだけ聞いて。
あなたの意見なんか聞きたくないんだ。聞いて良かったことなんてある?
何にもいらない。愛だけが欲しい。
私に対してだけじゃなく、子供にも。家族への愛情がもっと欲しい。
その頃は真剣に思っていた。
今はもう思わないけど。
その時は逃げ場が無かった。何度も書くけど実の母親とも心が通じなかったし、実家に逃げ帰る気にもならなかった。人にとやかく言われるのが嫌。
自分は一生懸命やってるつもりなんだよ。でもそういう性格なんだ、強く言えない。
ずっと閉じてるな、私。
もっとぶつけるべきだったのかな?
いや、無理だった。もう閉じるしかなかったんだって自分で自分を正当化しよう。これ書いているうちはずっとだ。
自分で自分のことを褒めるしかないんだよね。誰が褒めてくれるわけではないし、母親にだって褒められなかったし。でも褒める所もないやつなんだって、結局自分を卑下してしまう。
(これは自己肯定感の話として前に書いています。
次にもう少し書こうと思っています。)
今ぶちまけないでいつぶちまけるんだって思う。
こんなもの墓に持って行くのは嫌だ。
こんな話、誰に向かって書いているのでもない。
自分のために書いているのだ。