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#2 1人目妊娠 34wで卵管捻転

2人目妊活についての記録の前に、
私が今回不妊治療のクリニックに
お世話になることにした
一つめの理由についての話。

1人目の妊娠では、
初期に切迫流産で
2週間安静だった期間をのぞけば、
(これは仕事で、激しく暴れてしまい手がつけられなくなって感じであ子の対応をした後だった)
腰痛はずっとあったものの、
痛み止めに頼るほどでもなく、
本当にありがたいことに、
33wで産休に入るまで仕事にも行けて、
18年間休むことなく働いてきた身としては、
物凄い充実感&解放感でお休みに入ったのです。
それが、4月の3週目だったような…

で、その週の土曜日、
夕方からものすごい腰痛と発熱で、
翌日曜日、救急受診。
理由がわからず一旦帰宅して、
翌月曜日は妊婦検診。
明日までに治らなければ、
他の科の診断も視野に、
しっかり検査をしましょう、とのこと。

もしかしたらオペになるかもしれないし、
34wになってるので、
場合によっては、帝王切開で
ベビーも生まれることになるかもしれない。
一応入院セットも持参で来てください
とのことでした。

その日の夜は、実家に泊まったのですが、
今までに経験したことのない
猛烈な痛みに襲われて、
朝まで寝られずのたうち回っていました。

臓器を捻られて
破裂する寸前で止まるんかと思いきや
容赦なくパーン!みたいな(こわ…)、
痛みで気を失いそうな、
どこから出てるかわからないような、
拷問うけてんのか?みたいな、
悶え苦しんで最後にギャン!!みたいな…
本当にもう2度と経験したくない痛みでした。

翌日、オペ後にドクターから、
この状態やったら相当痛かったはず、
しんどかったでしょ〜よく我慢したね!
と声をかけられましたが、
え、我慢以外の選択肢与えられてなかったけどな⭐︎
てなりました。笑

火曜の受診時はもう、
陣痛来てる人かな?て感じで、痛すぎて歩けず。
母に車椅子を押してもらい、検査検査。
で、ここで普段の産科の検診では見たことがない
やり手な感じのドクターが現れて、
MRI(CTやったかな…)撮りましょう、と。
妊婦なので通常は使わないけど、
今は使う時だと思います、と。
この時点で私は
MFICU(母体胎児集中治療室)にいました。
で、結局のところ、捻転ともう一つ考えられる
腎臓の症状があるけれど、
開けてみてみないとわからないとのことで、
あれよあれよとその日の夕方にはオペでした。

オペが決まり、MFICUでの私は
夫とLINEで連絡を取り合い、
今日うまれてくることになるかもしれない
息子の名前の最終選考をしたり、
こんなタイミングでコロナ濃厚接触者となり、
隔離状態の夫が、難しい顔で
タブレット越しにドクターから
オペの内容を聞いているのを、
助産師さんと談笑しながら見たりしていました。

助)ご主人めちゃくちゃ真面目そうな方ですね〜
私)そうなんですよ、教師なんですけど…
助)数学っぽい。
私)数学ですー!笑

その後はオペ室で台に寝転がりながら、
もし子が産まれてきたら私寝てる…
誰か息子におめでとうって言うてあげてね…
(麻酔で意識飛ぶ…)て感じでした。

オペの結果は、
右卵管が捻転して壊死してしまっていたので、
戻すことは難しく、切除しました。
卵巣はのこしました、とのお話でした。

ちなみに息子は、
隣で工事が行われているような状況の中、
しっかりお腹にステイしてくれ、
39週に元気に産まれてきてくれました。
今回、誰より頑張ったのは息子、とかその時は
真剣に思ってましたが、
どう考えても私ですよね。いや息子もか。


腹腔鏡とはいえ、
オペのひと月後に出産というのが
いまいちイメージできず、
入院中の回診のときに、やり手のドクターに、
出産時にお腹の3か所の傷が
開いてしまうことはないのか?と
真剣に聞いてしまい
それは絶対にないです、と
冷ややかに対応されたり、
陣痛と出産は今回のより痛いのかと聞いたら、
比じゃないと笑って言われたけれど、
終わってみれば捻転の4日間(とくに3日目の拷問)のほうが痛かったよ、という話。

長くなりましたが、そんな事で、
卵管が片方なくなってしまったこと、
あとはもちろん年齢のこと、
別で書きますが、
もう一つ体調面で気がかりなことが
出てきたことなどもあり、
2人目は早い段階で
クリニックにお世話になることに決めたのでした。

…ながっ!!
読んで下さった方、ありがとうございました😊
前回の記事へのスキ!もとても嬉しいです。
ありがとうございます🌱

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