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SNS上に本当の言葉はひとつもない、だから私は貴方に会いたい

SNS上に本当の言葉はひとつもない、だから私は貴方に会いたい。

SNSが好きだ。可愛い動物の写真や綺麗な空の写真、涎が出るような美味しそうなラーメンの写真、素朴で愛情たっぷりのおにぎり写真、カッコいい楽器やバイクの写真。共有されたそれらを見るのも好きだけど、私は何よりも、皆の感情の吐露が好きだ。現実世界の誰にも言えずに、力なく呟いた言葉達が好きだ。夜の底から発信された、後悔や諦念が好きだ。誰に聞かせる訳でもない静かな決意が好きだ。「どこにもいたくない。でも、私は、ここにいる」という葛藤と矛盾が好きだ。心の一番柔らかい部分を、そっとドアを開いて見せてくれる、そのひそやかさが好きだ。(私は途方のない祈りを込めて、「あなたはひとりじゃない」という気持ちで、そっとハートのマークを押す)

でも、それと同時に、「ここにある言葉達はすべて『本物』ではない」と思うんだ。嫌な意味じゃないよ。みんな嘘つき、と言いたい訳でもない。ただ、みんな、「ここに書き残す言葉達は不特定多数の人物に見られている」「誰かの気に障った発言は晒され叩かれる」「サーバーに全てログが残る」「発言を消しても、スクリーンショット等で再び可視化される可能性がある」「匿名であっても、情報開示請求で個人が簡単に特定される」ということを分かっているから、SNS上に本当のことを書く人って、ほぼいないよね。ということ。

だからこそ、私は、本当の言葉が聞きたくて。本当の貴方に会いたくて。あなたの瞳の奥を覗き込みたくて。軽率に貴方に会いたいと思うんだ。会って話したいんだ。

本当の、生身の、世界にひとりだけの、嘘偽りのない、貴方に会いたいんだ。



私は、人と話すのが好き。相手がどんな言葉を使うかで、どんな表現をするかで、相手が普段どんな本を読んでいるのか、どんな言葉をかけられて育ってきたか、今までどんな言葉と共に人生を歩んできたのかが分かる、気がするから。(気がするだけで、完全に分かることなんてない。人間は奥深くて、一筋縄じゃいかなくて、複雑で、底がないと私は知っている)

そして、私は、人の目を見るのが好き。その人がどんな人なのか知りたいと思った時、大抵のことは、相手の目を見れば分かる、気がしている。(イラストを描くときも、私は一番最後に目を描くし、目の表現に一番こだわる。目が好きなんだ。光の入れ方ひとつ、僅かな角度ひとつで、目の印象ってガラリと変わる。それだけ重要な器官なんだと思う。目って)

目は、取り繕うことができない。

目は、嘘をつかないから美しい。

取り繕った美しさよりも。

よそゆきの綺麗な言葉や写真よりも。

泡のように消える感情の吐露よりも。

私は会いたい。

本当の貴方に会いたい。

SNS上には載せられないものだけに、不特定多数の人と共有したくない部分だけに、真実があると私は知っている。皆もそうでしょう?

だから、貴方に会いたい。

ありのままの貴方に会いたい。

生きた会話がしたいんだ。

言葉や想いから受け取った貴方の雰囲気を、現実のものとして確かめたいんだ。

だって、貴方に会いたい。

私も貴方も、いつか消えちゃうって知ってるから。それが数十年後なのか、それとも明日なのかは、誰にも分からないから貴方に会いたい。

貴方がいつまでもそこにいてくれる保証なんてどこにもない。

私がいつまでここにいるか、神様にすら分からない。
だから。祈るように、歌うように、貴方に会いたい。


貴方に会いたい。


そして、本当の私に会って欲しい。ワライカワセミみたいにケラケラとよく笑う、ミツユビナマケモノみたいにのんびり喋る、100歳のトリケラトプスみたいにゆっくりと歩く、興味があるものに対してイリオモテヤマネコみたいに瞳が爛々と輝く、自他ともに認める変人の、世界中でたったひとりの私に、実際に、言葉で、表情で、声で、てのひらで触れてみて。

きっと貴方は、私のことがもっと好きになる。きっとね。多分ね。そうだったらいいな。笑














かつて私が、初めて、「貴方に会いたい」と言われた約15年前。中途半端な10代だった私が、オリジナル小説メインの自作HPを運営していた、インターネット過渡期の頃。
「私生活があまりにも多忙なので、このHPを閉鎖します。皆さん今までありがとう、お元気で」と言った私に、とある女性から、とても丁寧な文章の長文メールが届きました。
「貴方の燃えるような情熱的な小説を読めなくなるのは嫌だ」「本当の貴方と、現実世界で会って話してみたい」「貴方を偶像のままで終わらせたくない」
そう言って下さったのは、私より3つ年上の、ミステリアスな女性でした。美しいハンドルネームのひとでした。Sさんと仮称します。Sさんも私と同じ、小説と詩を書く人でした。全体的には柔らかいのに、どこかが優しく尖っている文体の、不思議な小説を書く人でした。大正琴の教室に通う、優雅な女性でした。彼女のブログに「過去に不登校だった時期があり、両親に心配をかけた」という独白が書いてあって。でもその文章に、何の感情も載っていないことが、何となく気になっていました。
Sさん。今更になって、私、貴方の気持ちが分かるようになりました。「貴方に会いたい」って、こういう気持ちだったんですね。祈るような、歌うような、震えるような気持ちだったんですね。

あの頃の私は、自分に自信がなくて。自分が他人にどう見られているかばかり気になって。他人が怖くて。自分が嫌いで。人間が嫌いで。色んなことがどうしようもなくて。「貴方に会いたい」と言われた時、私は咄嗟に「嫌だ」と思ったんだ。自分に自信がなかったから。自分を醜いと思っていたから。顔や体型のことでもう傷つきたくなかったから。自作小説HP上に作り上げた、完璧な自分の偶像性にこだわり続けていたから。Sさんにとっての完璧な偶像であり続けたいと思っていたから。「これが私。誰がどう思おうと構わない、私は私」と、腹を括って生きることが、まだ出来ていなかった時期だから。
それでも、勇気を出して彼女に会ってみようと思った。彼女と私の間に、そう思わせてくれるだけの心の交流があった。私は彼女に「ありがとう」と言いたかった。文字じゃなく、手紙じゃなく、対面で声に出して直接言いたかった。彼女の「私に会いたい」という望みを叶えたかった。彼女が喜んでくれるなら、私は、傷ついてもいい。それでもいいと思ったんだ。
暗く冷たい孤独の中で「自分はここにいる」と発信し続けていたら。苛立ちも傷も不安も小説にぶつけて、書き殴り続けていたら。深い海の底で泣きながら叫び続けていたら。貴方が私を見つけてくれた。私の文章を、私の小説を、私自身を好きになってくれた。そのことが本当に奇跡的で、かつ儚いものだと分かっていたから、私は勇気を出した。直接会って、直接感謝を伝えた。ありがとう。勇気を出すきっかけを、生身の自分に少しだけ自信を持つきっかけを、自分で作り上げた偶像を自分の手で壊すその覚悟を、Sさん、貴方がくれました。ありがとう…。

少し垂れ目気味の、優しい瞳をしていたSさん。小柄で、声が柔らかくて、穏やかな陽だまりみたいな雰囲気のSさん。生まれて初めてのオフ会のようなものに、緊張でガチガチだった私に、「〇〇さんだね。声ですぐに分かったよ」と笑いかけてくれましたね。
ご結婚され、今では2児の母のSさん。SNSの更新を、3年前にぱったりと辞めてしまったSさん。きっと家事に子育てに仕事に忙しいのでしょう。幸せで暮らしているといいな。私のことは、きっと完全に忘れているでしょうね。私は、貴方の結婚式に出席した13年前、ウェディングドレス姿の貴方が、両親へ向けての手紙をマイク越しに読み上げた時の、「私は不登校の時期があり、周囲より1年遅れて専門学校に入学しました。私の歩んできた道は普通の道ではありませんでした。でも私は、自分の選択を一切後悔していません」とハッキリ言い切った、あの潔さが忘れられません。(そして貴方のお父様が、大柄で頑固そうな男性が、男泣きしていたのが忘れられません)





今度は、私自身が、誰かの勇気のきっかけになれたなら。

過去に私がSさんに言って貰ったように、「どんなあなたでもいいよ。大丈夫だよ」と、私も貴方に言えたなら。

深い海の底にいる貴方に、そっと手を伸ばすことができたなら。

それってどれだけ素晴らしいことだろう。





なんてね。

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