023_アサリのいない砂浜を熱心に潮干狩る愚鈍さよ
どうやら色々間違えていたらしい、ということが最近になって判明した。前回のダンスの発表会が春先で、それからずっと練習練習練習。走りっぱなしだった。いや、走っていないことの方が少ないんだけど、ずっと夢に見ている明確な目標があるから、自分なりに真摯に向き合っていた。はずだった。
自分でも矢鱈調子が悪い自覚はあった。苦手な振り付けは誰にでもあるものだ。でも、なにをしても、どう修正してもおかしい。全部がおかしい。頭の先から足の先までおかしい。首の角度か?肩が上がりすぎているのか?ステップが間違っている?重心が高すぎる?つま先の向きが適切でない?練習をすればするほど、いったい何がおかしいのかさっぱりわからなくなっていく。
だから、それらすべてに対して、馬鹿みたいに丁寧に、気を遣って、時間をかけた。努力でどうにかなるものなら、ぜひどうにかしてやろうという一心だった。
しかし、いつまでたっても手ごたえはなかった。掘っても掘っても何も出てこない。ここに埋まっているはずのものがない。もしかして自分は「存在しないものを、そうとは知らず永遠に探しているのではないか」という疑念が湧いた。疑念は身体に悪い。練習時間が足りなかったのか。向き合えていなかったのか、そうやって自責が始まると、どうしても止められなかった。
それを裏付けるように、立ち位置も、貰える振り付けの数も、想定以上に振るわなかった。それがすべての結論だった。実力が伸びていないだけじゃない。去年の自分に劣るところすらある。それでも、半年間の練習時間は裏切らないと思っていた。自分の覚悟が足りないんだとばかり考え、無意識に自責を続けていた。
まずい、と思った時にはメンタル不調が身体症状に変化していた。頭痛肩こり、それに過敏性腸症候群の悪化はいつものことだが、明らかにヤバい耳鳴りが複数回あったのと、蕁麻疹が大暴れして痒みに耐えられず、さすがにこのままじゃヤバいと思った。ヤバいのタイミングが遅すぎる。いつものことだけど。
そんな時、指導者の先生と話す機会が偶然にも発生し、このどうしようもない思考回路にメスが入れられることとなる。本当は仕事の出張で欠席する予定の日だったため、本当に偶然だし奇跡なのだ。出張は消滅した。文字通り雲散霧消という感じで消えた。人生の分岐だ。やりぃ。
最近どうしちゃったの、と言われた。自分がいま感じている違和感を詳らかに話した。
ざっくり言うと、細部へのこだわりが強すぎて全体を見ることができていないらしかった。そういえば、しばらく鏡の中の自分と目が合っていなかったことに気づいた。この半年間、ずっと「よくないやりかた」で練習をしていたようだ。体中の力が抜けた。
手ごたえがないのは、ずっと見当外れな場所でアサリを探していたから。そのことに、長い間気づかずいたらしい。
「間違った練習」は怖い。かけた時間を無に帰すどころか、今までできていたところや、メンタルにまで致命的なデバフをかけていく。その恐ろしさを十分理解していたはずだったが、それすらも思い込みだったらしい。
あまりにも視野が狭すぎる。情けなくなる。
かくして「全部」のやり直しが始まった。全部。細部にバチバチ固定していた視線を外し、全体のバランスを取り直す。踊りにくい所は重心の位置を見直す。それでいて顔と手先には十分気を付ける。曲分析を丁寧にやり直す。全部全部やりなおし。
こればかりは自分の失態なので、おしりふきもやぶさかではないけれど、やっぱり思考と視野の狭窄はろくなことがないと思った。このタイミングで転んでよかったとしか思うしかない。こういうケガをするのは、なるべく早い方がいい。
本番が迫っている。もう間に合わないかもしれない。「劣化版わたし」を晒すことになるかもしれない。それでも、泣きながらでも、絶えず手を動かさなきゃならないと思う。じゃないと、未来の自分に怒られてしまう。報われないかもしれないけど、今やらないと進めない。第一自分が納得しない。
まったく手のかかるやつだ。自分も、ダンスも。
これからもずっと、めんどくさくて愛おしい、わたしの大切な命綱。