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遺棄申請の再交渉
2月半ばに大きなイベント、長男の受験も重なり先日それらが全部完了。息子もなんとか合格。
緊張が途切れたせいか、久しぶりに40度近くの発熱で寝込み、今朝は喉の痛みはあるものの少しずつ起き上がれるようになってきました。
別居して来月で1年。
「年をとると、1年があっという間」
というけれど、全然そんなふうには感じない時間感覚でした。
長かった!
そして、今もまだ長い長いと思いながら過ごしています。
今日は息子の受験の入学費用の減免申請のための書類を作ってもらう必要があり、久しぶりにお役所にやってきました。
1つ気になっていたことがあったので、相談したかったのも目的です。
それは「遺棄申請」について。
遺棄=たとえば、「生活費を渡さない」「正当な理由のない別居」「健康なのに働こうとしない」といった行為が挙げられます。
遺棄の状態が1年以上続いていることが、客観的に判断できる場合は、児童扶養手当を受給できる可能性があります。 遺棄の状態に該当すると思われる場合には、 お早めに子育て支援課までご相談ください。
去年の9月に、行政の担当者から教えてもらったので、申請したんです。
「申請した日から1年後にまだ離婚できていなかったら、ひとり親と同じ手当を受けられます」という説明とともに。
ところで、前述のホームページの文言では
「遺棄の状態が1年以上続いていたら」という内容です。
私は別居スタートしたとたん、一切の生活費を受け取っていないため、そう考えると遺棄申請した9月ではなく3月に該当するのでは?と疑問に思った次第です。
そこで、担当者に聞いてみたところ、遺棄申請として、申請日が適用されるルールというのがあり、以下の該当する項目がまず必要。
①離婚を決意した日
②子どもの保険を自分の扶養にした日
③別居をした日
この中で
「1番遅い日」
をスタートとしてカウントするんだそうな。
…遅い日?
(なんでやねん!?)
ーと、つっこみたかったので、つっこんじゃいましたが
私のケースでいうと、
①は「弁護士が夫宛に調停の申立書を送った日」
②は2年前に、私の社外保険に子どもを移した日
③は住民票が移動した日
となるようで、②は2年前、③は1年前
で
①が半年前の9月だったから、カウントスタートは9月ですよ、ということ。
でね。
こんなふうに思ったので言いました。言っちゃいました。
「離婚を決意した日は2019年3月16日です。1番強く殴られた日です。診断書も写真も残ってます。心療内科の鬱の診断書もあります。ええ。離婚を決意してたので、取りに行ったんです。わたし、つまり5年前から離婚のために法テラス使ってて、法テラスは3回しか無料相談できないから、最後の1回使って今回の弁護士相談して、顔も見ずに決めたんですよ。東京来る前にも女性相談、DV相談、弁護士相談、市民相談、あらゆることやって、引っ越し後も引き継ぎをしてもらってるわけだがら、内容全部記録に残ってますよね?で、いざ弁護士相談して実際調停のお願いしたおころから、弁護士に伝えるに1.5ヶ月先、会、面談するのに1ヶ月後、弁護士から法テラスに連絡して返事もらうのにさらに1.5ヶ月。5月には決定してるのに、
4ヶ月
かかってるんですよ!行政も法も、遅くて遅くて、この間どんな気持ちで過ごしてるかって、そりゃ、すぐに離婚したいしかありませんよ!それが、なぜさらに遅く設定されるのですか?」
場所は個室で、手当担当の人と、子育て支援担当の人が2人、私の前に座ってる状態でした。
すると手当担当脳
人が悪気なく
「同居中にご主人に離婚の意思を伝えたことは?」
「ありますよ!別居する5年前に。家の外で。しかもそれまで、仕事休んでは日帰りで東京往復して友人の知り合いの弁護士さんに何度も相談して決意して。そしたら、『子どもだけ置いてお前だけ出ていけ!』というから、そんなのたまらないと思って、子育てしながらどんな仕事できるか探して、だから今教員免許取ってるんですよ!」
「離婚を伝えた証拠で残ってますか?」
「離婚届持って、口頭で伝えましたけど、証拠!?そんな頭働きませんよ。録音でもしていたらよかったのでしょうか?」
「いえ、たとえば文書で協議内容を記載したりなど…って。あ…」
そこで、子育て支援担当の人が横から
「…ええ。それができていたら何の問題もないんです」
と、制してくれるのが聞こえました。
私は続けました。
続けちゃいました。
「そして、5年、離婚せずに…いや、できずに生活してました。結果、どうなったか?ええ。ご存知の通り、子どもが何度も暴力受けたわけですよ!」
「もう、長い!長い!あらゆることが本当に長すぎる!6年前からずっと行政頼っていろんな相談してきたのに、なぜ暴力振るった側がのうのうとお金も払わず、自分の母親名義の一戸建てに暮らしていて、こっちは子どもたちと狭い場所に暮らしながら、お金を免除してもらったり、工面したりするのに、奔走して時間とエネルギーを使っているのかと!おまけに味方のはずの法も行政も、とにかく時間がかかる。さらに藁をつかむ思いで頼らせていただいてるこの制度でさえ、この遅い法の時間ペースに則って、半年も遅いカウントになるなんて。どうかこのとおり!ご配慮のほどよろしくお願いします!」
と、言うだけで言って最後は人生で1番深くお辞儀をするという形で締めるという、混乱ぶり。
全部、本当のこと。
全力で頭を下げてきましたよ。
(どうせ行政だもの。ルールはルールで、何を言ってもどうせおしまいなんだろうさ。)
と思ってのことなので、もちろんダメ元で。
ーところが。
口を開いたのは手当担当の人。
「わかりました。私の判断だけではどうしようもないですが、ご事情を伺うと確かにその通りかと思います。内部で相談してご相談します。それがもし通れば、ーもちろん証明するための、保険証や履歴を提出していただくよう動いていただくことにはなりますが、来月から扶養手当の申請が可能になるかと思います。」
(ーあれ?)
完全にNOと言われるか
NOと言わなくても
「ひとまず持ち帰りますが、おそらく難しいのでは」
的な反応だと思っていたので、少しびっくり。
もしかしたら、もしかするのか?
いや、もしかしてと思わせてもしかしないのか?
そしたら、離婚調停、急がずとも
こっちのペースで条件を冷静に設定することもできるわけで、だいぶ、心情的に違う。
なにより、公立とはいえ、学用品や教科書代など、ドカンドカン支出あるし。引っ越しするにも家電やらカーテンやらエアコンやら家賃2ヶ月分やら、子供達の自転車やら、ゼロからスタートするには、かなりの予算が必要だから
交渉できるところは泣き寝入りしないでやっていこう、と決めている次第です。
「決まりは決まりですから」
に風穴を開けていきたい気持ち。
またレポートします。