建築の批評について

・98年の2つの文章
『批評の在り所 建築の論点』というテーマにおいて、私は過去の住宅特集から2つの文章を踏まえたい。まず、伊東豊雄さんの「批評性のない住宅は可能かー脱近代的身体論ー」[jt9809]。伊東さんはここで批評性の定義をしている。設計者と施主、役所、社会との間に埋めがたい断絶があるときそこに「批評性」があると。しかし同じ文章のなかで「批評的である」ときの相手に向けるネガティブな視線に疑問を呈する。現状を否定し乗り越えようとする姿勢はそのままに、「人々の信頼というもっとポジティブな表現に置き換えられる可能性はないか」と述べる。
もうひとつは隈研吾さんは「批評性とはなんだったか」[jt9811]のなかで、批評性が有効に使われてきた20世紀的な構造(クローズな社会とオープンな社会の混在)を明らかにし、21世紀においてはそれが機能しない(社会がオープンになった)と説く。その上で建築家を鼓舞するように、「ところが今や、建築はどこからも要請されないという時代が始まりつつあるのである。…建築家は、時代を切り開く建築とは何かについて、そしてオープンな社会の中でなおかつ必要とされる建築とは何かについて思考し、その建築の必要性を人々に説き、社会を説得しなければならないのである」と説く。そして20世紀の批評は「建築的欲望の強度の下で甘やかされ思考を停止していた」ので、それに代わって「徹底的にポジティブでアクチュアル」であることが時代的に要請されていると説く。両者とも20世紀的な批評の仕組みに疑いを持ちつつも、このときよりポジティブな姿勢に舵を切っている。
・必要とされていない
討論のなかで倉方さんが言った「アイデアが必要とされているとき」というのは、ひとつには隈さんの文章のなかでは「クローズな社会とオープンな社会の混在しているとき」のことで20世紀的な社会の移行期を指すのだろう。次の時代へと社会が移行しようとするとき、現状にネガティブな視線を投げかけ乗り越えようとするので、批評や批評的あることは仕組みとして必要とされた。しかし「いまの日本は必要とされてない」という。震災があり、国立競技場問題があり、工事中の確認取り消しの事件があり、いろんなところで変わらなければいけないことがあって気づく言葉は次々に出てくるのに。
藤原さんの言っていた「大地震のあと人々は共通の物語を探さなくなるという話を聞いた」というのは示唆的だ。3.11はあまりにも大きなカタストロフで、これを乗り越えるだけの準備や経験を私たちは持ち合わせていなかったのだろうか。五十嵐さんが「今度は変わると思ったんだけど変わらなかったね」と言っていたのはどこか冷めた発言だが、東北での当事者だけに冷たくリアルに響いた。
社会が旧態依然とする体制に引きこもり、新しいことや変わろうとすることにアレルギーを示し排除しようとする具体的な事例は討論のなかでたくさん出てきた。しかし、伊東さんが書いていてように「ネガティブな姿勢がそのまま表現になり得た」時代では今はない。批評とは「相手をリスペクトし対話すること」だと3人の共通認識だった。「それって日本人は苦手ですよね」と言って立ち止まらなかったのがこの人たちなのだと思う。3人は「徹底的にポジティブでアクチュアル」な実践者として話してくれた。
・3人の話
倉方さんは『建築の日本展』についての話だった。キュレーション(編集することによってある意味性の提示を行うこと)というよりわかりやすく編集し「たくさんの人に見て欲しかった」という。この姿勢はある種ポピュリズム的に見え展示自体にも賛否両論があったという。しかし、その背景に日本の建築展や建築批評の根本的な問題があった。そもそも、建築展や建築批評において日本には中心となる「軸」が存在しない。本来「軸」となるのは国立の建築の展が常設であって、教科書的にひとつの「正しい」を示すことを役割とする。これがあれば“今回はよりポップにやってみました”とか“ここに注目しました”という展示の方向性を示すことが理解しやすくなる。批評においてもどのスタンスからどこに向けて述べているのかを立体的に理解することが可能になる。
倉方さんは、軸がない状況において「より多くの人に見てもらう」という多数性を積み上げることで、浮かび上がってくるある種の正当性を構築しようとしている。大阪のいけフェス(生きている建築フェステバル)は現在進行形の成功例だ。「建築をほめる」というやり方で大人にも子どもにも分け隔てなく建築の魅力を伝えている。
藤原さんは、展示構成などの横断的な活動が「建築に」役に立つからやっているのではなく、別の領域では「建築が」役に立つことがあるという。例えばインフラがない場所で大きなアートイベントをしようとすると、安全面、避難経路、開催する上での法的な解釈、また場所の快適性の検証など非常に多角的な視点が必要になるが、それは建築家としてやっているのと通じるところがある。藤原さんはこれを「都市計画的な実験」と言っていた。そしてここには「作家的な欲望はない」という。
豊田さんは建築情報学をやる理由を話した。デジタル言語は他領域をつなげる可能性が多分にあるのにそれを教える土壌がない。それになぜ建築史に接木されたデジタル史がないのか。cad、3D、BIMなど、導入されることによる影響はあるはずだがそれが無視されている。また、建築は設計という概念が成立してから今まで、次元をダウングレードすることでしか共有することができなかった。しかしコンピュータではそれができる。デジタル言語による多領域への可能性は大きくが広がっていると話す。

伊東さんと隈さんは98年の文章のあと、20世紀的な批評の土壌がないことを踏まえた上で“建築で”それを乗り越えていったように思う。しかし今日の3人の方法はそれだけではない。3人共通して領域横断的であり、そこに必ずしも作家としての建築の表現を必要としない(場合によると思うけど)。豊田さんは「いわゆる建築の設計っぽい仕事は事務所業務の半分くらいだ」と言っていた。20世紀的な社会構造がないいま、批評は必要とされないのかもしれない。しかし変わらなければならない状況を前にして、旧態依然の関係性に閉じこもったり、足りないものを声高に主張することでは、もはやどうしようもない。社会に対して、というより目の前にある具体的な状況に対して“批評的”な姿勢で、より実践的に取り組むことの必要性を3人は見出しているんだなと思った。建築の批評の在り所は、次の社会との間から、実践者のベースへとその位置をスライドさせているように感じた。しかしそれは常に意識的でなければならない。なぜならば私たちは「批評が苦手な日本人」なのだから。

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