ぼくは悪者怠け者(教育的物語の思い出)
物語の――ことに、児童向けの物語の中に「怠け者」が出てくると、少し身構えてしまう。
何を隠そう私は筋金入りの怠け者である。
自覚をしたのは10代の頃だったように思うが、もう間違いなく物心ついた頃から、私はどうしようもない物臭太郎だった。
例外的に本を読むこと、小さい頃の言葉で言うと「おはなしをよむ」ことは怠けずに続けられている。
まあ、他のことを怠けて本を読んでいただけなのだけれども……。
子ども向けの物語、特に先生方が「これを読みなさい」と進めてくるお話というのは、説教臭いものが多かった気がする。
たいてい「人間として望ましくない性質」を持つ者が悪役になったり、最後に泣きを見る羽目になる。勝つのは優しく、明るく、健気な者であるのがテンプレート。
別にそういうお話があってもいい。
お話の中でくらい、良い人に良い思いして欲しい、というのは願望としてあるしね。
だが、それはそれとして。
「怠け者」が出てくると身構えてしまう、と最初に書いた。
おそらく、そういう教育者から推薦されるお話においては「怠け者」という属性が「人間として望ましくない」方に分類されている……と、幼心に感じたからだと思う。
怠けているものは、必ず後悔する。
勤勉なものに負ける。
改心させられるパターンもあるが、酷いときは怠けたまま死んでいく。
薄々自分の中に「怠け者」の片鱗を嗅ぎ取っていた私にとって、こういうお話は軽くホラーに近いものがあった。
ああこのままだと私は一人ぼっちで皆から見捨てられて泣きながら死んでいく羽目になるんだ、働き者にならなきゃ、せめて働き者のフリくらいはしなくちゃいけないんだ。
「アリとキリギリス」の話を聞くたび、こういう焦燥感で吐きそうになっていた。
怠け者であることを責められるターンが絶対やってくるのが怖かったんだなあ。
いや、でもお話を書いた人や教材にした人を悪く言いたいわけではないのだ。
ひとえに怠けてばかりの私が悪い。
第一「怠けたって大丈夫ですよ~」なんて大手を振って言えるわけもない。
人間誰しも、私ほどでないにしても怠け者な一面があるのだから、子どもの時から教育の場でそんな事を言われたら、一億総怠け者時代の幕開けになってしまう、かもしれない。
できれば怠けない方がいいと思うよと、私だって子どもたちにはそう言う。
……そんなこと言うなら、お話の中から学んで働き者になれるように努力してみたらいいんじゃない?
でもな。
さんざん物語に脅されても、成長すら拒み続けるから怠け者なんだよな……。
(それはもう怠け者というより頑固者なのでは?)
なんかこう、もう少し怠け者や、その他社会において望ましくない性質を持つものに対しても優しい「教育的物語」って無かったんかな……。
最近は優しくなってきてるのかな。
そうだといいな。