命にかかわる数学
本日、長らくお世話になっている看護専門学校で授業をしてきました。
国家試験対策として、計算問題に特化した補習をする、というお仕事です。
この看護専門学校は大学院生の頃からお世話になっているところで、関わりは今年でなんと11年目。
しばらくブランクが空いた時期もありますが、ひょんなことから関わりが復活し、昨年から新しい形でご縁がまた続いてます。
このお仕事の経緯と昨年の様子はこちら。
「この薬剤って、10倍間違って処方すると『患者さんは死んじゃう』」と教えてもらったことが衝撃的でした。
数学は命にかかわるのです。
単位を読み解く
与薬に関する計算問題には「単位」が付き物です。
あれです。「20mg/2mL」とか、「/(per:パーと読みます)」で仕切られているやつですね。
結構な人数の学生さんは、この「単位」を見ただけで吐き気がするそうです。
「うげっ!分からない!」と。
それは理解できないものを突きつけられた時の感情なんですね。
だから、白川の数学の授業は「数学語を翻訳する」ことから始めます。単位は情報の宝庫です。
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たとえば「20mg/2mL」の注射液を考えてみましょう。
まず、「/」ですが、これは実は「分数の分子と分母を分かつ横線」を表します。
どうしてこうなるのかというと、その昔、タイプライターというものがあったんですね。
ワープロの前身となった文字打ち機械です。
タイプライターは1行ずつしか文字が打てなかったので、分数を表記しようと思っても現在のような2段に渡った表記はできませんでした。
その名残が「/」の記号に残っています。
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次に、分数は割り算の形に直せるのでした。
割り算の記号「÷」をよく見てください。真ん中に横棒があって、その上下に「・」があるじゃないですか。
これ、分数を想起させる記号になっているんですね。
だから分数は割り算に書き直せます。
ちなみに、国際的には「÷」を使うのは異端で「使うのはやめましょう」とされており、代わりに「/を使うか分数にしましょう」とされています。
(さらに厳密にいえばここでの「/」は英語だと「Divide」で「per」とは使い方が異なります。が、詳しくはふれません)
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さらに割り算は比の形に直せるのでした。
「:」の記号を使って表します。
ところで「÷」と「:」はよく似ていますね…。
横棒があるか無いかの違いです。
偶然だと思いましたか?違います!
実は、歴史的に「÷」と「:」の起源は同じです。
実際、ドイツやフランスは「÷」の代わりにいまだに「:」を使っています。
だから、驚くべきことですが、「÷」と「:」は同じ状況を表します。
(「状況」とは微妙な表現ですが、厳密には「割り算の結果」と「比の値」が同じ、という意味です。ただ、ここでは詳しくふれません)
したがって、こう書き直せます。
比はすごい!
これで翻訳準備は完了です。
ここで、少し余談で、比のことを語らせてください。
「比」は、文字通り「2つ以上の数量の関係を比べて語る」時に使います。
たとえば、「1冊:200g」という数学語は「本1冊であれば、その重さは200gなんだよね」という翻訳になります。
これ、何が画期的かというと「片方の要素の情報が分かってしまえば(決まってしまえば)、別の要素の情報も自動的に分かってしまう(決まってしまう)」ということなんですよ。
つまり、上記であれば、「1冊:200g」という関係が分かっていれば、本が何冊あってもその重さを実際に測ることなく、その重さが正確に分かるということなんです。
これ、何気にすごくないですか。
もっと極端な例を出しましょう。
「重い!」と思われる物体のことを想像してください。
この物体、月に行くと地球より幾分か軽くなります。2つの星の重力がそれぞれ異なるからです。
具体的には「地球での重さを6だとすると、月での重さは1になる」ことが分かっています。
この関係、比の形で表すと「地球6:月1」ですよね。
この関係を知った時点で、私たちはわざわざ月に行かなくても、地球上にある物体の重さを測るだけで、「この物体は月ではどれくらいの重さか?」ということが計算で分かってしまいます。しかも寸分の狂いもなく、です。
これ!めちゃくちゃすごくないですか!?
比を読み解く
さて、始めの問題に戻りましょう。
私たちは月のようなスケールの大きい話ではなく、「20mg:2mL」の注射液のことを考えていたのでした…。
同様に翻訳します。
これは「この注射液に薬剤が20mg含まれているとしたら、その時の量は2mLだよ」ということです。
もし、ちょっと変わった日本語だと思われるなら、以下のような一般的な表現に修正してもOKです。
すなわち「2mLあたりの注射液の中には20mgの薬剤が含まれているよ」ということです。
ちなみに、文中の「〜あたり」を表す英語が「per:パー」であり、記号だと「/」になるわけです。
こうして「20mg/2mL」に戻ってきました。
なんて周りくどいことをしてきたのだろう、と思われたかもしれません。
もちろん「20mg/2mL」と掲げられた時点で、「2mLあたりの注射液の中には20mgの薬剤が含まれている」と読み解ける学生さんは一定数います。
しかし、この先の計算をしていこうとする場合、どうしても分数や比の形を駆使せざるをえないという事情があります(「比例式」という考え方を使います)。
だから、ここでいう翻訳とは、単位を見てそれを分数や比の形に直せること、そして「分数や比の意味を言語化できること」まで含みます。
これはもはや読解力、言葉の問題です。
数学は言葉
大分昔のことですが、9年前に文科省がオンラインで生配信していた「算数・数学、勉強してどーなるの?」というシンポジウムがありました。
タイトルがいかにも直球な問いですが、これに様々な数学者が自分なりに答えていたのが印象的でした。
当時、中学校の非常勤講師で数学を教えていた自分としては大変内容が興味深く、Twitterで実況中継をしていたほどです。
(当時は8,000件以上のビューがありました)
この中で、白川は、国立情報学研究所社会共有知研究センター長の新井紀子さんという数学者の発言が最も印象に残っています。
彼女は、第二部で「数学は言葉だ」ということを述べています。
新井:「数学に出てくる概念は難しい」とよく言われるのですが、例えば数とか図形っていうのも、人間なら誰でも生まれたときから持っている感覚を言葉にしただけなんですね。例えば「2つと3つは違う」とか「どっちが多い」とか「この形とこの形は違う」とか。
新井:例えば、「何かが規則性を持って変化する」ということを「何とか説明する手立てはないだろうか」として出てきたのが「関数」だし、「まだ起こってないことや不確実なことに対して、どっちが多いとか、どっちが得だとか、――これは誰でも関心があることだと思うんですが、そういう関心があることを形にすることが数学なんですね。
だから、数学の概念で不自然なものはほとんどないんですよ。
何かを区別するときに名前をつけるのも、数学ではすごく素直だし。
「数学は素直だ」ということが分かれば、たぶん面白くなってくるんじゃないでしょうか。
また、彼女は、社会の発展に数学が欠かせないことを易しい言葉で説明することもしています。
新井:もちろん最先端の数学の研究が「このように社会に役立っている」という例はたくさんあります。
しかし、数学によって得られた「結果」が役に立つ/立たないというより、皆さんにとって重要なのは、算数・数学を学んでいる「過程」で身についていることなのではないでしょうか。
ガリレオは「自然は数学の言葉で書かれている」と述べました。これは、自然界で起こる色々なことには規則性があるということです。
例えば、物が落ちる様子や川に浮かんだ木の葉の流れなどに規則性があるということは、自然に感じることができます。
しかし、自然に感じるだけではなく、それを数量的に、あるいは式として理解できた時は、とても爆発的な力をもちます。
自分ひとりで「あぁそうだな」と思うことから離れて、それはもっと社会に対してインパクトをもつようになるのです。
これは歴史的にみても、数学なしで発展した文明はひとつもないことから分かります。
だから、数学の物の考え方を身につけることは、これから先の社会・世界・宇宙を論理的に読み解く力になっていくと思います。
この主張は、当時の自分にとても刺さりました。
数学は、人間の自然に対する感性を「見える化」し、それを皆で共有するための発明品なんだと、そう思えるようになりました。
薬剤を注射することは命に関わります。
点滴量は勘では測れません。
人間1人1人の目測にはズレがあるからです。
数学の力を使って「見える化」を図り、それを社会・集団で運用していくことの重要さ…。
本日の授業は、そういう思いを込めてやったつもりです。