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きちんと終わるからまた始まる〜私のユースワーク実践
死者と生者が場を共にする意味
「お葬式って悲しいし、ワケわかんない」
それが当時中学2年生だった白川少年の最初の体験でした。
「しかも!亡くなった人の目の前で!ご飯を!!食べるだなんて!」
お葬式は〈悲しい〉ことなのに、なんで親戚のおじさん達は楽しそうに食べ飲みしているんだろう。
〈悲しく〉ないの?どうでもいいの?その風景が自分にはショックでした。
それから十数年が経ち、今度は祖母の番がきました。
またショッキングな光景を目撃しなくてはならない。最初は憂鬱な気持ちでした。
しかし、そこにあったのは懐かしい従兄弟たちの顔。
社会人になってからは長らく顔を合わせていなかった面々が、そこに集っていました。
あぁ、そうか、こういう機会でもないと、今はわざわざ会おうとは思ってなかったしなぁ…、としみじみ。
そこで、あ、そうか、と。
この場は「死者である祖母が、生者である私たちを集わせてくれたんだ」と初めて気づきました。
「きちんと終わる」という儀式の場をわざわざ催すことによって、残された生者の繋がりをより強固にしたり、これからを考える機会が創れる、それがお葬式が与えてくれたことなんだ、と。
若者の団体が「亡くなった」。
一方、その当時(といっても、かなり昔のお話)。
ユースワークの現場で関わっていた高校生の団体の活動が、終末を迎える時期になっていました。
「活動を続けていきたい」「そうでもない」「誰かに続けてほしい」「もう一緒にやっていけない」など、色々なメンバーの思いが交錯する中、その団体はついに「亡くなって」しまいました。
メンバーの中で、ひときわモヤモヤしているメンバーが1人、ぽつねんと佇んでいます。
自分は、なぜだか分からないけれど、上述した「お葬式」の体験を話していました。
関心を持ってくれたのか少しずつ話はクリエイティブな方向へ。
そして、ふいに2人に降ってくるのです。
「そうだ。団体の『お葬式』をしてみたらどうなるのだろう!?」
フィーリング。そこからはとても早かった。
団体の死を弔う
知り合いのお寺さんを訪ね、事情を説明し、「どうしても団体のお葬式をあげたい」と住職様に頼み込みました。
しかも、「ナンチャッテじゃなくて『本葬』にこだわりたい。習わしもお経も作法も服装も全部、ホンモノでやりたいんです!」と無茶を言ったりなんかして。
住職様は驚きながらも温かい顔をして、首を縦に振ってくれました。
以降、その子と一緒にお葬式の概念や作法を学ぶ日々。
そして半年後に、本番。
緊張。 確か、その日は、曇り、だったという記憶です。
「正装でお越しください」という分かるような分からないような条件で、かつての団体メンバーやその周辺の関係する高校生たち(親族)が参列する。思いはきっと、いろいろ。
会場となる本堂には、団体活動で使用した数々のワークショップ道具(遺品)が展示されている。
ワールド・カフェで使った模造紙もたくさんそこにある。
厳かな雰囲気の中、親族代表(発起人の高校生)の挨拶が始まった。
「死した概念」を供養する前代未聞のフォーマルなお葬式が、始まる。
住職様に正式なお経を唱えてもらった後、説法を聴く。
続いて、歴代の代表による弔辞の読み上げ。
その後は、円になって皆で非構成のダイアログ。
本葬後は別室に移動。
茶菓子などをつまみながら、当時の活動を懐かしむ交流がふわっと。
時には、写真や映像で「故人」を偲ぶ。笑顔も、寂しさも、そこに在る。
きちんと終わるからまた始まる
その後、桜が咲いて、彼らは大学生になりました。
すると不思議なもので、いろいろ、本当にいろいろありましたが、かつての活動によく似た活動が、彼らを通して、新たな形でその後「復活」したのです。
そして、その系譜の活動は、まるで「血脈」じゃないか!などと思ったりするのですが———、当時の人たちが知り得ぬ今の若者たちに受け継がれていっているのです。
これって、驚異、としか思えない。
「きちんと終わる」って、本当に大事なことだと今では思います。
きちんと終わるから、始まることができる。
それはまるで春夏秋冬のようで。
いろいろなことを学んだユースワークのエピソードです。