「オタクはアニメを見ないと」

私は中学二年生にして涼宮ハルヒの憂鬱を見て、AngelBeats!で一気に沈んだ人間だ。

シュタインズ・ゲートに感動し、まどマギに心打たれ、けものフレンズでは幽鬼の如く「たつきを信じろ」と唱え続けた。


しかし、昨年から就職し、社会人となった結果、時間的余裕、精神的余裕が失われ、シーズン全てのアニメを3話まで見ていた時期に比べると、雀の涙ほどしかアニメに使う時間はなくなっていた。

毎日、Twitterのタイムラインを眺め、あるいは前日のゲームのおかげで削られた睡眠時間を電車内で確保しながら片道1.5時間の通勤をする日々。
生産性がないだけでなく、何を得ることもないような、そんな日々を送っていた。

そんな中、友人が久しぶりに首都圏に出てきたので、会って1日遊んだ。

その友人も、首都圏とは違う電波状況、今まで参加していたコミュニティからの離脱、就職に伴う時間不足、グッズ購入のし辛い環境に悩まされ、一時期活動を半ば停止していたような状況だったらしい。

しかし、転機が来た。
好きなアニメの続編が出たのだ。しかも映画館でしか見られない。

友人は久しぶりの活動を再開した。
足繁く映画館に通い、グッズを購入し、知り合いとその喜びを共有した。

その一環で、当時そのアニメを見ていた私も連れ出され、映画館に拉致られた、という訳だ。

久しぶりにアニメ映画を見、アニメイトに行き、カラオケに行ってアニソンを歌った。
それだけの、学生時代なら何度もやっていたようなたわいも無いことをやっただけで、私は思い出した。

そうだ、私はこういう人間だった…と。

そして、映画を見終わったあと、お昼の時間に友人が言ったのだ。

「オタクはアニメを見ないと」…と。

その友人の一言で、生活が変わった。


朝の通勤時間にアニメを見るため、無理な夜更かしをすることがなくなった。
体調が改善し、惰性で続けていた対戦ゲームにも、新しいモチベーションで挑めるようになった。
気持ちも前向きになった結果、ある程度ハードなアニメにも耐えられるようになった。
コンテンツにつぎ込む時間を捻出するため、業務にも打ち込んだ。
コンテンツの良さを周知するため、最近時間が合わず会話が減りがちだった母とも、週末時間を作って一緒にアニメを見た。

「アニメを見る」、この行動は、アニオタに近い生態を持つ私にとっての特効薬だったのだろう。
声優の演技に心打たれ、美麗な描写に歓喜し、巧妙な設定に感嘆し、遠大なシナリオに感動し、精緻な伏線に打ち震えた。
世の中にはこんなに面白い物があることを、知っていたはずなのに、離れていた、忘れていた。
「あぁ、アニメ好きだなぁ」と思えた。
また、人間は自分が好きなことをやっているとき、もっとも活動的になるものだ、と再確認できた。


また、私は思う。これはアニメに限った話ではない、と。
人が最も輝く瞬間は、好きなことで何かしらの結果を出せた、あるいは納得いく何かを得た時だ。
野球選手が逆転の一発をかっ飛ばしたり、プロ棋士が逆転の一手を指したり、ライブ好きがアンコールを盛り上げたり。
そういった瞬間、その人は他のどんな時よりも輝いて、また本人も楽しいはずだ。


だから、趣味人の諸兄に至っては、自分の生活を見直してほしい。
今、あなたが送っている生活に、自分の求める趣味の時間はあるか?
また、その時間は如何程か?
自由に使える時間の内、趣味の時間が3割を切ったらエマージェンシーだ。
その趣味は、何にも代えがたく、諸兄の人生を最も輝かせるコンテンツなのだ。
趣味の時間が自由時間の3割を切る、ということは、空気中の酸素が3割を切るのと似ている。
これでは息苦しくなってしまう。

最後にもう一度、この言葉を伝えて締めようと思う。
「オタクは、アニメを見ないと」
諸兄の人生が輝かしいものであることを切に願う

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