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天草騒動 「27. 一揆の者ども兵糧武具を奪う事」

 高久城たかひさじょうの城代、松倉重兵衛は、葭田よしだ三平の注進を聞いて急いで討手を出す準備をし、まず、家老二人を城の留守居とし、勘定頭、町奉行をはじめ、城番組じょうばんぐみとともにその勢三百人余りを城に残して守備を固めさせた。

 また、討手の大将には松倉重兵衛を任命し、筒井丈右衛門、小野小介、佐脇七郎右衛門の三人の番頭ばんがしらと、騎馬武者三十九人、歩卒四十四人、鉄砲五十挺、長柄の槍三十筋、旗十流、総勢あわせて五百人が、寛永十四年九月二十六日卯の上刻に城を出て下深江村の草原に押し寄せた。

 百姓どもが案内に来るだろうと思って待っていると、庄屋の三平が走って来て、
「前から一揆の者どもが上深江村に駐屯していましたが、皆様方が御出陣と聞いて慌てふためいて逃げていきました。急いで追い打ちをかけてください。」と、息せき切って注進した。

 松倉重兵衛はそれを聞いて、からからと打ち笑い、
「そうだろう、そうだろう。百姓一揆が武士に手向かいするなど考えられぬ。いざ、追いかけて討ち取れっ」と下知したので、城兵は村まで七町ばかりのところを一気にかけつけた。

 ところが上深江村に押し寄せてみると一揆の者はすでに一人も見えない。

 そこに百姓が二十人ばかり走って来て、
「御注進申し上げます。一揆の者どもは、この次の小森村にたった今たてこもりました。急いで行って討ち取ってください。」と注進した。

 急いで城兵がかけつけて見ると、三平が前もって打ち合わせておいたので、百姓どもが十五六人走り回っていた。

 城兵はこれを見て、「それっ、一揆めを討ち取れっ」と、土煙をたてて追いかけた。

 ところが、城兵のうち、弓、鉄砲、長柄の者には一揆の者がまざっていたので、あとへあとへとわざと遅れ、一揆の方に加わってしまった。しかし城兵はまったくそれに気付かなかった。

 しばらく走ったところで馬が疲れ、歩卒は息切れして遅れた者が多く、ようやく一揆の者のいた場所に着いたと思うとそこには一人も一揆がいない。

 「なんと逃げ足の速いやつらだ、一戦もできないのは残念だ。」と言っていると、百姓どもが来て、「たった今、一揆の者どもが下深江村の倉から米を奪い取って運び出しました。」と告げた。

 松倉重兵衛はおおいに驚き、
「さてはうしろに回って盗み出したか。なんと憎たらしいやつらだ。一俵でも盗まれては武士の恥辱である。急いで追いかけて討ち取れ。」と下知した。

 三十四騎の武者が馬の向きを変えて引き返し、足軽四十人余りと雑兵三百人余りがかけ声をかけながらあとに続いた。

 人馬ともに今朝から走り回っていたのでおおいに疲れていたが、ようやく蔵屋敷に到着して見ると、また一揆は一人も見えない。これはどうしたことだとあきれ果て、天狗のしわざではないかと茫然とした。

 ここに及んで城兵たちは気が緩んでしまい、全員疲れ果てて肩で息をしながら水などを飲み、「もうこれ以上追いかけられない。ひとまず休もう。」と、馬から下りて休息をとった。

 その時、前もって深江村に伏兵を置いておいた一揆の大将蘆塚忠右衛門父子が五百人余りの兵をしたがえ、鉄砲五十挺を先手にして、天主でうすの旗をさっと押し立てて全員でどっとときの声をあげた。

 河原の方からは千々輪五郎左衛門が先頭に立って精兵五百人余りを引率し、こちらも鬨の声をあげて押し寄せた。

 また、右からは佐志木佐治右衛門を将として五百人余り、左からは大矢野作左衛門が五百人余りをしたがえて押し寄せ、四方から打って出て城兵を取り囲んだ。

 城兵は思いもよらぬ事だったのでおおいに驚き、疲れ果てていたので戦おうとする者は一人もなく、雑兵どもはただ恐れおおののいて路傍に平伏し、「もはやとても戦えません。なにとぞ命ばかりはお助けください。」と、降参してしまった。

 松倉をはじめとする武士たちは、雑兵が皆降参してしまったのでなす術が無く、ひとまず蔵屋敷に入って奉行と一緒になって戦おうと考えて陣屋に向かった。

 ところが陣屋に着いてみると、これはどうしたことか、中尾甚大夫と佐脇七郎右衛門の二人が甲冑に身を固めて躍り出てきて城兵に斬ってかかった。城兵はますます驚きうろたえて、右往左往しながら逃げ散ってしまった。

 城代の松倉がそれを見て、「たいしたことはない。踏みとどまって討ち取れ。見苦しい行いをするな。逃げるのは武士の恥辱、逃げるくらいなら尋常に討ち死にせよっ」と下知した。

 それを聞いて、さすがに武士だけあって城兵は再び戻ってきて戦い始めた。

 ところが、一揆は思うままに敵を欺くことができたのに気を良くしてますます勇をふるってかかってきたので、その勢いに押されて松倉は怖じ気づき、最初の言葉とは裏腹に、「者ども防げっ」と言い捨てると、自分は城を目指して逃げ出した。

 これでは誰も戦おうとせず、皆、城を目指して敗走して行った。

 一揆の者たちはこれを見て打ち笑い、思ったとおりと勝どきをあげ、「武士が逃げるとは卑怯なりっ」と叫びながら追いかけた。

 それを見て、番頭ばんがしらの筒井丈右衛門と小野小介は、
「敵の謀計に陥ってしまった。人馬ともに疲れ果て、とても城までは逃げられまい。見苦しい死に様をさらすより、いざ、引き返して討ち死にしようではないか。」と、逃げて行く味方に声をかけた。

 他の者ももっともと思い、小高い堤防を楯にして、二十七騎で踏みとどまり、槍をしごいて追手を待ち受けた。

 一揆の者どもはこれを見て小勢とあなどり、生け捕りにしようと打ってかかった。城兵は死を覚悟しているので少しも怯まず、勇をはげまし必死になって戦ったので、またたく間に一揆の者三十人余りを突き伏せた。

 大矢野作左衛門はこれを見て、「われに続けっ。」と叫びながら槍をしごいて突きかかった。

 大矢野はもともと武術にすぐれていたので、二十七人を相手にして、突きかかってくる槍をかいくぐりながら突き伏せ薙ぎ伏せ戦った。他にも一揆の中から、鹿子木左京、駒木根八兵衛、葭田三平が一斉に突き入った。

 城兵の筒井丈右衛門はその時六十歳あまりと老齢だった上に今朝から駆け回って疲れきっていたが、今この敵に向かって一歩でも引いたら恥になると、踏み込み踏み込み戦ってとうとう討ち死にした。

 小野小介は蘆塚左内としばらく戦ったが勝負がつかず、「いざ、組み打ちしよう。」と太刀を投げ捨てて組み打ちを始めた。左内の力がまさっていたのか、とうとう小介を膝の下に押さえ込んで首を取った。

 ほかの城兵も秘術をつくして戦ったが、作左衛門らに突き立てられて、ある者は討たれ、ある者は生け捕られ、一人も残らず討たれてしまった。

 こうして一揆方は大勝利をおさめた。

 この日に奪った物を数えると、具足二十九領、槍六十七すじ、鉄砲五十挺、鞍を置いた馬三十匹に及び、また、降参の者は二百人余りにおよんだ。

 一揆の者らは下深江村に集まって全員で勝どきをあげ、そこで食事をとった。


28. 一揆の者、原村に集合の事

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