天草騒動 「41. 葭田三平討死の事」
他の軍勢と同時に、鍋島信濃守殿も全軍に下知し、出丸の突端を散開して押し登った。出丸の中からはしきりに鉄砲を撃ちかけたが、信濃守殿の軍勢は楯をかざして勇んで押し登って行った。
少し脇道の平草山の方からは、次男の甲斐守殿が手勢千人余りを引率して押し登った。
城兵は甲斐守殿の手勢が登ってくるのに気付いたが、二万を越える大軍との戦いの最中だったので、これを防ぐ暇が無く、甲斐守殿は紅の母衣をつけて黒馬にまたがり、馬に白い泡を吹かせて攻め登っていった。
そこに、駒木根八兵衛の一番弟子の鹿子木左京が、伝授された棒火矢を信濃守殿の軍勢に向かって一度に三百挺発射したので、鍋島家の二万人余りは色めきたって、ことごとく麓の方に追い落とされた。
小勢の甲斐守殿の方には矢玉がまったく飛んで来なかったので平押しに登っていったが、その中でも甲斐守殿は一人突出して先に登っていった。
一揆の者らはそれを見ておおいに驚き、柄本左京と佐志木左次右衛門が千人余りの一揆の者を左右に従えて討って出て、甲斐守殿の軍勢をくいとめようと突いてかかった。
甲斐守殿の配下の千人余りは、主人が進むのに引っ張られて、少しも恐れの色を見せずに、槍先を揃えて敵を上に受けて戦った。しかし、勝負は地の利によるところが大きく、一揆方が上から突き下ろすので鍋島勢はややもすれば引きぎみになった。
甲斐守殿はそれでも少しも屈せずにただ一人で馬を乗り廻したが、不思議にも突然この馬がいななき立って敵兵を打ち倒しながら出丸の堤の上に飛び乗った。
甲斐守殿は、「当城の一番乗り、鍋島甲斐守直澄なり。味方よ、続け。」と呼ばわって、ただ一人馬を堤の上に控えて味方の軍勢を待った。しかし、遥かに谷を隔てていたので味方の者らはこのことを知らず、一人もあとに続く者はいなかった。
甲斐守殿はなおも屈せず、「今乗っ取れる城をこのままにしておくのは残念至極だ。続け、者ども。」と呼ばわり続けた。それを見て一揆どもは、自分が討ち取ろうと立ち向かっていったが、甲斐守殿の馬が強くてそばに近付けなかった。
そこで遠矢を射かけて討って取ろうとしたが、その時、一揆の頭分の下深江村の名主の葭田三平が、年若で武術の覚えもあったので、「ちょっと待ってくれ。私が一槍で討ち取ってやる。」と、大身の槍を引っ提げて城内からいっさんに躍り出た。
それに続いて一揆の者らが大勢突いて出て、甲斐守殿を取り囲んで討ち取ろうとひしめいたが、守役の鍋島三左衛門がたった一人で走ってきて甲斐守殿の馬前に立ちふさがり、敵を防いで戦った。
甲斐守殿は切り結んだ切先から電光石火を発し、勇気凛々として鬼神のように戦い、またたく間に七八人を切り伏せた。しかし、守役の三左衛門は大勢に切りかかられて、木の根につまずいてどうっと倒れてしまった。
甲斐守殿がそれを見て、「南無三、足の弱い老武者が無理をするからだ。」と、走り寄って三左衛門を助け起こした。
「ああ、今ここに続いて来る味方がいれば出丸を乗っ取れるのに。」と思われたが、味方は一騎も続いて来なかった。
葭田三平はその様子を見て、「あれは千々輪の手に余ったという甲斐守ではないか。いざ、討ち取って名を上げよう。」と、槍をしごいて突きかかった。
甲斐守殿も太刀を抜いて戦ったが、そこに佐志木がさらに下知して新手の一揆の者を三百人ほど繰り出し、甲斐守殿を取り囲んだ。ところが甲斐守殿の乗った馬がますます猛り狂って、一揆の者らを跳ね倒し蹴散らした。
葭田三平は荒馬を槍で突いて止めようとしたが、甲斐守殿は、怒り狂って縦横に跳ね回る馬を、畳の上にすわっているかのようにあやつって駆け廻り、そのうちその荒馬が葭田三平の肩先に食いついて踏み倒した。そこを甲斐守殿が太刀を取り直して三平を切り伏せ、残る一揆の者らを切り立てて、荒れ狂った獅子のように暴れまわったため、一揆はたまらずほうほうの体で敗走した。
甲斐守殿は三平の首を打ち落として太刀の先に刺し貫き、松山の出丸から抜け出した。依然として出丸に攻め寄せる者は無く、残念だったが麓の方に駆け下った。
その途中でふと振り返ってみると、守役の三左衛門が甲斐守殿の馬の尾につかまっていた。
三左衛門はようやく我にかえって、「ここまで夢の中のようについて来ました。」と言ったので、甲斐守殿は、「さてさて不思議なことだ。わしもまったく気付かなかったが、無事で安心した。しかしそれにしても残念至極なのは城を乗っ取れなかったことだ。」と歯ぎしりをして、午の刻頃(正午頃)に本陣に戻られた。
甲斐守殿の今日の働きに感嘆しない者はいなかった。