天草騒動 「18. 富岡の士不覚の事」
凡夫が心を傾けて一途に思い込むときは、理非もわからず思慮も無いものである。六人の浪士が計略をめぐらし、森、大矢野、千々輪、赤星、蘆塚は近郷五六里を手分けして大江村の椿事を触れ回り、弁に任せて切支丹宗の信仰を勧めたので、愚民どもは希代のことだと思い込んでしまった。
天草島の十四か村の百姓が次々と大江村の治兵衛の家に集まって参拝して、広い家の中が立錐の余地も無いほどであった。
年寄どもが協議して、「このように奇瑞を聞き伝えて日に日に参詣人が増えていくからには、仮殿をつくった方がよいだろう。」ということになった。
そこで若い者に言いつけて薮を伐り開き、ただちに仮屋を作って例の本尊をそこに移し、仏具を飾りたて香花盛り物を供えて昼夜参詣できるようにした。
五十三か村の老若男女が毎日四五千人集まって一心に善主麿善主麿と唱える様子は、まさしく天魔の所行と見えた。
日頃考え深そうな顔をしていた庄屋や年寄どもも六人の者にすっかり欺かれてしまい、博打の開帳場のように上下と袴を着込み、肩寄せあって世話を始めたのもおかしなことであった。
大小の百姓たちが賽銭や米などを山のように奉納したので、六人の者は、「してやったり」と心の中で喜んだ。
そこで玄察が治兵衛に言った。
「このようにおびただしい供え物が集まったのに、それを管理する者を置かないと始末におえないでしょう。私が思うに蘆塚、大矢野、千々輪、赤星、森の五人は、今は不幸にして零落していますが、もともと名のある武士ですから妙なことは致しますまい。私たちは昵懇の間柄ですから、頼めばいやとはおっしゃらないでしょう。」
治兵衛がそれに同意して「よろしくお願いします」と言ったので、さっそく五人の者に供物の取りまとめを任せた。これで玄察をはじめとする六人の者は金銀米銭を自分たちのものにして、武具等を用意することができた。
ところが、悪事千里を走るという例えのとおり、このことが富岡の城代の三宅藤右衛門のところに伝わった。
三宅藤右衛門は驚いて大江村に役人を遣わし、「首謀者を詮議して事を鎮めよ」と郡奉行に命令をくだしたので、越智茂右衛門と中西重右衛門が代官三人と足軽二十人を引き連れて駆けつけてきた。
見ると、人が群れ集っていて、なかなか近付くこともできない様子だったため、大声で「道を開け」と、呼ばわった。
ところが、普段は奉行代官と聞けば恐れおののいていた人々が、今はまったく恐れ敬うようすがない。
奉行が、「棒で打ち払って通れ」と下知し、足軽中間二三十人にかからせて人々を排除させようとした。
しかし、もともとこれらの足軽や中間はこのあたりの者だったので、集まっている人々とは顔見知りであり、さすがに手荒いこともできかねて顔を見合わせていた。
その時、庄屋が声をかけて、「仏前で狼藉をしてはいけない。本尊を拝みなさい」と、言った。足軽や中間はこの宗旨を信仰している者たちだったので、たちまち棒を伏せて善主麿善主麿と唱え始めた。
奉行と代官はこのありさまを見て呆れ果て、「まったく不届きなやつらめ。御法度にそむくとは何事だ。」と言いながら、群衆を押し分けて本尊の前に行って見てみると、庄屋や年寄が皆、上下と袴をつけて並んでいる。
越智茂左衛門は顔色を変えて、「これはなんとしたこと。御法度の宗門をこのようにもてはやすとは許し難い。」と言って仏壇に飛び上がり、例の画像をはずしてまっぷたつに引き裂き、地上に投げつけて散々に踏みつけながら、「おのれらがありがたがっている本尊を見ろ。なんの利生もないっ」と叫んだ。
百姓たちは激怒して、五六十人が棒を持って出て来て、「ばちをあてて見せよう」と、役人を恐れずむやみやたらと打ってかかった。
中西重左衛門が即座に刀を抜いて近付くものを二人切り倒し、三人に手傷を負わせた。また、茂右衛門は三人を切り伏せ、四人に傷を負わせた。
百姓どもがこの勢いに恐れて後ろに退くのを見て、大矢野作左衛門、蘆塚忠右衛門、千々輪五郎左衛門、赤星宗範が刀を抜いて切ってかかった。
いずれ劣らぬ剛勇の者たちだったので、大矢野は中西に切り掛かって二三合で中西をまっぷたつに切って倒した。
また、蘆塚は越智とわたり合った。越智茂右衛門も剣術の流派の一つを極めた者ではあったが蘆塚にはかなわず、たちまち首を打ち落とされてしまった。代官三人も刀を抜いて切り掛かったが、千々輪一人に三人とも討たれてしまった。
宗範は下役、若党、足軽らを追い散らしたので、恐れて近付く者もなく、百姓どもは大いに喜んで、日頃権力をふるって無理非道のやりかたで年貢を奪い取られてきた長年の恨みを晴らすのはこの時ばかりと、鍬や鎌を持って死骸をずたずたに切り刻み、鬱憤を晴らした喜びに勇み立った。
しかし、本尊を引き裂かれてしまったことを思い出しておおいに嘆き、村に集まって茫然としていた。やがて、集まっていた者ははそれぞれに家に帰って行った。
六人の者はかねてからの謀計であったので心の中で喜び、玄察が進み出て、
「庄屋殿たち、こちらに来てください。思わぬ椿事が起きてしまいました。役人どもが日頃不届きな行いをしていたとはいっても、よく考えてみてください。第一に天下の御法度の切支丹宗を信仰するのさえ逃れ難い大罪なのに、奉行や役人を殺害したのはもってのほかの重罪。これから村役人はもちろんのこと、当領内の老若男女は一人残らず罪を問われることでしょう。ああ、なんということをしてしまったのか。」と、嘆息した。
それを聞いて庄屋や村役人たちは夢から覚めたように自分たちのした事に気付き、おおいに憂えて言葉も発せず、茫然自失の体であった。