天草騒動 「63. 長岡帯刀、大矢野作左衛門を討ち取る事」
やがて鍋島甲斐守殿の軍勢が単独で、原城の落城の跡から桧山の荒神ヶ洞の後ろに押し寄せ、
「この洞窟の中に一揆の残賊どもが隠れておろう。この詰めの城の一番乗り、鍋島甲斐守直澄なり。尋常に最期の勝負をせよ」と、大音声で呼ばわった。
他の軍勢はそれを聞いて、
「甲州は血気にはやり、武勇に慢心して気が狂われたのではないか。たった今落城したというのに、どうしてあのような事をするのか。笑止千万。」と、囁きあった。
ところが不思議なことに、にわかに山が震動し、その洞穴の中から天主の旗を一流ひるがえして、先頭に大矢野作左衛門、蘆塚忠右衛門、天草甚兵衛ら鎧武者十人ほどが立ち、一揆ども百五十人余りをしたがえて、どっと鬨の声をあげて討って出てきた。そのありさまは、天狗か妖怪の仕業かと思われた。
蘆塚は、「最期の合戦は今ぞ。かかれっ、者ども。」と人々を励まして、油断した寄せ手の中にまっしぐらに突っ込んだ。思いがけないことだったので、寄せ手の人々はおおいに驚き騒ぎ、「何が起こったのか。」と、うろたえまわるばかりだった。
大軍だったので上を下へと大騒ぎになり、「太刀はどこだ。槍はどこだ。」と騒ぐところに、大矢野作左衛門、蘆塚忠右衛門、それと、大将の四郎大夫に伯父の甚兵衛が付き添って、三手に分かれて薙ぎ立て突きまわったので、細川、黒田、小笠原の三家の先手は、全員本丸の台から下へ追い立てられ、まったく防戦できないままに敗走した。
また、田崎刑部、千束善右衛門、鹿子木左京らは、大矢野と一緒に細川家の二陣に控えた有吉四郎左衛門の勢、千人余りに突きかかった。
有吉の勢も武器を取るひまがなく、八方に逃げ散って二の丸、三の丸に雪崩をうって敗走した。
その時、長岡監物父子三人が人々を励まし、「走り寄って組み打ちにせよ。」と言ったので、配下の者二百人余りが立ち向かって行って組み打ちの勝負を挑み、取っ組み合いになった。
さすがに一対一の勝負になると一揆どもはかなわず、武士に取り囲まれてちりじりになって台の陰に隠れた。
田崎刑部も数か所の手傷を負ったため、大矢野に、「今はこれまで。黄泉で待ち申す。」と声をかけ、傍らの岩の角に頭を叩き突けて、とうとう頭をくだいて死んでしまった。
その時、大矢野と千束は岩の上に立って、押し寄せてくる敵を待ち受けていた。
そこに細川の兵士が十人ほど立ち向かって行き、先頭に立って進んで行った百々宗右衛門と佐藤十兵衛が千束に突いてかかった。
千束は槍を突き折ってしまったため、すかさず太刀を抜いて百々の槍を切り折ろうとしたが、槍を受け損なって太刀をまた岩に当て、鍔元からぽっきりと折ってしまった。佐藤は、「しめた」と横合いから十文字の槍を千束の脇腹深く突っ込み、やがて首級をあげた。
大矢野はそれを見ておおいに怒り、「いざいざ、最期の働きを見せてくれようぞっ」と言って槍を投げ捨て、岩の端に足をかけて佐藤の襟を引っ掴み、えいっと掛け声をかけて佐藤を引き寄せ、膝の下にしっかりと敷き据えた。
百々が走り寄って槍を突き出したが、大矢野は佐藤を敷き据えたまま槍もろとも袈裟掛けに斬りつけたので、百々はまっぷたつになった。その際、佐藤は大矢野の膝に押されて、眼や口から血を吹き出してそのまま息絶えた。
細川勢はだんだん集まってきて取り囲んだが、大矢野の猛勇に恐れをなして、近寄る者もなかった。
大矢野は大音声で、「もはや思う存分戦った。最期の相手はおらぬかっ」と言いながら鎧の上帯を切り捨てて群がる寄せ手に投げ込み、小躍りして立ち上がった。
長岡帯刀はそれを見て、「味方の面々、卑怯なり。たった一人の敵ではないか。たとえ樊噲、張飛の勇有りとも、長岡帯刀これにあり。」と、大身の槍をりゅうりゅうとしごき、上段下段と戦った。
やがて、やあっというかけ声とともに突き出した槍が大矢野の胸板を突いたので、作左衛門は、「これは口惜しい」と言って槍の柄を切ろうとしたが、切れども切れども切り折ることができない。それも道理で、父の監物が若い時、太刀打ちに鉄をしこたま巻いたため、なかなか折れる様子もなかった。(訳注:「太刀打ち」は槍の口金から血溜までの部分。槍の柄のうちで、先端近くの部分。)
大矢野は自分に突き刺さった槍に片手をかけて抜こうとしたが、帯刀が力いっぱいに押し付けて押し倒そうとするため、作左衛門はどうしようもなく、しかし串刺しになっても少しもひるまず、今度は逆に槍を手繰ってだんだんと帯刀の手元近くまで進んできた。
父の監物はそれを見ておおいに驚き、薙刀を打ち振りながら駆け寄って、「帯刀、天晴れ突き留めたからにはそのまま槍を放して太刀で戦え。」と声をかけた。しかし帯刀は、「絶対にこの手は放さない。近寄って来たとて何ができよう。」と言って、なおもねじ倒そうとした。
そのうち、大矢野はとうとう手繰りながら帯刀の手元にたどりつき、「けなげな若者だ。わしと一緒に冥途へ行け。」と言って、片手打ちに太刀を振り下ろし、帯刀の兜を斜めに切り込んだ。しかし、兜が厚かったため頭の脇に薄手を負わせただけだった。
そこに監物が、帯刀の頭から流れる血潮に驚いて、薙刀を伸ばして大矢野の足を払おうと駆け寄った。大矢野の返す太刀先が監物の首筋に当たったが、太刀にこめられた力が弱くなっていたので監物はひるまず、大矢野の両足をずんと薙ぎ払った。
作左衛門はたまらず尻からどうっと倒れた。倒れながら、「ああ、口惜しい。」と歯ぎしりをしたが、動くことができなくなっていたので、帯刀が駆け寄って、もとどりを押えて首を掻き落とした。
大矢野は、左手を伸ばして帯刀の草摺を掴んで死んでいった。
死んだ後もその手がどうしても離れなかったので、帯刀は仕方なく草摺を切り捨てようとしたが、父の監物がそれを止めて、「勇士の一念を空しくしてはいけない。おまえの武功の証になるから、彼の手を切って鎧に付けておけ。」と言ったので、帯刀はその言葉にしたがって、手を草摺に付けたまま腕を切り落とした。これが帯刀の最大の武功であった。
戦いが終わってから、その手を墓に埋め、ねんごろに弔ったということである。
すでに大矢野作左衛門と千束善右衛門が二人とも討たれたため、この方面の者どもは全員討たれていった。