天草騒動 「42. 板倉殿討死の事」
さて、板倉内膳正殿は、今度も敗北したのは諸将一同の責任とはいえ、今朝からの城攻めを下知したのは自分であったので、人のそしりを避けることはできないとお考えになり、
「私の祖父は東照宮に仕えて武名をあらわし、兄弟ともに重職についている。多くの人々の中から選ばれて追討使として発向し、大軍を指揮しながらこのような城一つを攻め落とすことができないのみならず、今度松平伊豆守と戸田左門が着陣すれば大将の役を新しい追討使に譲ってその下知に従わねばならない。もしそうなったら祖父の名を汚し、武士の道が立ち難く、人に合わせる顔がない。こうなったら城に向かって討ち死にするしかない。」と、覚悟をお決めになった。
そして、諸士を集めて、
「今度の三回目の攻撃も失敗したからには、いよいよ明日の三日は死を覚悟して一番に押し寄せ、何としても城を乗っ取らねばならない。万一できない時は城に向かって討ち死にしよう。これは私事ではなく天下のためである。忠義の者はその用意をせよ。」と、申し渡した。
それを聞いて、将士から雑兵に至るまで皆討ち死にを覚悟した。
こうして正月三日の卯の半刻(訳注 午前七時頃)過ぎに諸将の軍勢には知らせず、手勢千五百人と旗三流、鉄砲六十挺、先鋒の武士五十騎を引き連れて、貝、鉦、太鼓を鳴らしながら、鬨の声をあげて真一文字に攻め登った。
これを見て、他の寄せ手の軍勢も、「総大将が先陣として進まれたぞ。遅れるな。」と、鬨の声をあげて押し登り始めた。
三の丸の大将の千々輪五郎左衛門がこれを見て、
「寄せ手が全軍をあげて必死になって攻め登ってくるぞ。今日の戦いはいつもとは違う。命の限り戦え。」と、諸将に触れてまわった。
蘆塚忠右衛門も配下の一揆どもを率いて三の丸に駆けつけ、五千人余りをそれぞれの曲輪に配分した。狭間一つ当たり五人に受け持たせ、外曲輪から鉄砲を雨あられと撃ちかけさせ、雑人たちには大木や大石を投げ落とさせた。彼らが必死になって働くありさまは凄まじいものであった。
寄せ手の面々はひしひしと攻め登ったが、棒火矢を打ち出されるのを恐れて途中で登るのをためらい始めた。
そのような中で、板倉殿の手勢は楯を振りかざし、竹束をかついでかけ声をかけながら攻めかかって行った。そのありさまを見ると、今日こそ落城するのではないかと思われた。
板倉内膳正殿は、萌黄縅の鎧に鍬形をつけた龍頭の兜を着け、士卒に下知しながら馬を縦横に乗り廻してお進みになった。
険しい芝山だったため、他の馬は皆途中で膝を折って進めなくなったが、板倉殿だけは少しも怯まず、先頭に立って進まれた。この様子を見て、他の諸将の軍勢も夢中になって進軍した。
また、出丸口の鍋島甲斐守殿は、
「突然総大将が突出したのは何の考えがあってのことか理解できない。それぞれの持場はあらかじめ決めてあるのだから、本来ならばここを守備していればよいのだが、このような状況になったからには臨機応変に対応することが肝要であろう。後日軍令に背いたことを咎められたらなんとかして言い訳すればよかろう。目の前で総大将が戦っているのに黙って見ているわけにはいかない。」と、他の士卒より先にただ一騎で馬を乗り出した。
それを見て、隣りに布陣していた立花侯父子も、「者ども、総大将を討たすな。続けっ」と、数百人を引き連れていっさんに駆け出した。
城内から弓や鉄砲が激しく撃ち出されて雑兵が多数打ち倒されたが、板倉殿は少しも臆さず下知されたので、屈強な数百人の兵士が竹束を渡して堀を渡り、今にも外曲輪を乗り破りそうになった。
その時、蘆塚忠右衛門が急いで駒木根八兵衛を呼んで、「寄せ手の中で、萌黄縅の鎧を着ているのは総大将の板倉殿のようだ。これこそ万騎に一騎の人物だ。冥途の土産としてこれ以上のものはない。急いで討ち取ろう。」と、言った。
駒木根は、「こころえた」と言うやいなや鉄砲を取って一匁玉を込め、高みから狙いすまして、板倉殿が馬上で采配を振りながら山に登って来るところにどうっと発射した。
狙い違わず、弾は板倉殿の胸板に血煙を立てて吸い込まれた。
板倉殿はたまらず馬からまっさかさまに落ちたので、家臣らが驚きあわてて急いで主人を肩に負って退却した。
続いて鹿子木左京が下知して筒先を揃えて鉄砲をつるべうちに撃ちかけさせたので、たちまち板倉殿の軍勢十騎ばかりがばたばたと打ち落とされた。残った兵も、総大将が討たれたのを見て、冥途の供をしようと一歩も引かずに枕を並べて討死した。
諸侯はこのありさまを見て、「今日はこれ以上城攻めしても無駄だ」と、各々陣所に引き上げた。
城兵は、「この機会をのがすな」と、城門を開いて一千人余りで打って出た。
それを見て鍋島甲斐守はおおいに喜び、「いざ、一番乗り」と城の近くに駆け寄った。立花家の軍勢百人余りもかけ声をかけながら一揆どもに馳せ向かった。
甲斐守殿は先頭に立って険しい芝山の上を平地のように乗り廻し、一揆どもを馬で薙ぎ払って麓の方に追い落とした。
一揆どもは毎度甲斐守殿の勇猛さに懲りていたので、「あの大将こそ出丸の荒武者と称されている鍋島甲斐守で、荒馬乗りの達人だ。踏み殺されるな。」と恐れおののいて急いで勢をまとめて退き、城門を閉じて守備を固めた。
それを見て、鍋島殿は悠々と引き上げられた。
諸軍勢も総大将が討ち死にされたので力無く本陣に退き、それぞれ各自の持場を固めた。