建築生産の歴史と展望(後日談)【その2】
この記事は「建築生産の歴史と展望」の論文を執筆した2人が、とりとめもない雑談をしつつ論文の内容を振り返るという対談です。
今回は、全3回のうちの第2回です。
前回の記事はこちら:建築生産の歴史と展望(後日談)【その1】
「人がデジタル化のボトルネックになる」のは自然なこと
中村:誰が言った話か忘れてしまったんだけど、3-4年前にある人が「デジタル化のボトルネック(障害)になるのは人間だ」と言っていたよね。
押山:確かにあったね。
中村:今でも名言だと思うんだけど、初めてその話を聞いた3-4年前と今では、少し感じ方が違うんだよね。
押山:例えばどういう点で?
中村:プロジェクトがある程度以上の規模だったり、複雑だったりすると、チームの人数がどれだけいても「あの担当者に聞かないと分からないな」とか「あの人が検討のための情報を握っていて他の人から状況が分かりにくい」っていう場面が絶対に出てくるんだよね。こういう情報の属人化は、プロジェクトにおいては基本的には起こしてはいけないことなんだけど、どんなに情報共有を密に行っていても避けられない事態だと思うんだ。
押山:そうだね。
中村:例えば建築プロジェクトで行われているコミュニケーションをデジタル化しようとする時に、こういう情報の属人化ってすごく手強い障害になる。おなじオフィスにいればすぐに質問して聞けるけど、リモートワークだと聞けないからコミュニケーションが滞った感じがする。検討したい項目があるけど、その人が検討に必要なデータを共有しているフォルダに保存していないから検討状況がわからない。とか。
押山:デジタル化によって、コミュニケーションを全部オンライン化したり、情報共有ツールを一元化したりすることの妨げになるのは結局「人」だ、というニュアンスの指摘が「デジタル化のボトルネックは人だ」ということだよね。
中村:そう。そうなんだけど、どこまでデジタル化を進めても、人がボトルネックになるということは変わらないんじゃないか、むしろ人がボトルネックになるということこそが人間のコミュニケーションの本質なのではないかと思うんだよね。
押山:人間のコミュニケーション一般までいくと話が壮大だな(笑)
中村:けどそう思わない?(笑)色々な情報をデジタル化して一元化して、便利になるの
は間違いないけど、人がデータを見て正しい判断ができるとは限らないし、データを目の前に並べて熟考したり手を止める時間は絶対に必要だよね。データのバイト数が増えても人間の脳のメモリは増えない、ってことなんだと思うな。
押山:それはその通りだと思う。製図の話に置き換えてみれば、手描きがCADになり、三次元CADになり、BIMになった。けど、三次元の情報量を人間が扱えてるかというとほとんど扱えていない。三次元モデルに色々な意図が込められていても、ほとんど読み解けない。けっきょくはそこから情報をめちゃくちゃ削ぎ落として、低い情報量でコミュニケーションしてるよね。
中村:ビッグデータとかAIとかDXとか、デジタル化によって世の中の合理化を図ろうとするムーブメントの裏で見落としがちなのは、そういう「人間の賢くなさ」だと思うんだ。
押山:ここ10年くらいのデジタル化の議論って、とにかくデータをたくさん集めて、情報量を上げて、一元化すれば自ずと色々な局面で効率化を実現できるって言う考え方だよね。モデリングの話でありがちなんだけど、何十人、ときに百人単位の人海戦術で詳細なモデルを作ったりするけど、結局ほとんど使われない。けどモデリングを発注する側は「とにかく詳細にモデル化すれば問題が発見できるはずだ」と信じているから闇雲に詳細度を上げる方向に走ってしまう。重要なのは、適度な詳細情報の中からどうやって人間に理解可能な形で情報を取り出すか、なんだよな。
中村:そう。機械が賢くなっても人間の情報処理能力は増えないからね。三次元が主流になっても、製造や施工に図面が必要なくなっても、どうしても二次元に落とし込んだ表現が見たくなるんだよな、人間は。それが人間の情報処理能力の限界だから。
押山:全く同意。そういう人間の限界を前提にしてプロジェクトを組み立てる必要があると思うよ。データをかき集めて情報量を増やしていこうっていう考え方は古くて、これからはどうやって情報を減らしていくか、取捨選択していくか。その手法をどのように確立するかが肝要だと思う。
中村:その、プロジェクトの状況に応じて情報を取捨選択するっていうのも、結局は状況が良く分かっている担当者自身にしかできない。だから「人がボトルネック」っていうのはデジタル化が進まない状況に対する批判というよりも、チームで物事に取り組むときの人間の認知とかコミュニケーションの本質をついた言葉として、今は解釈してる。「人がデジタル化のボトルネックになる」のは自然なことなんだよね。
「情報のつながり」よりも「情報の切断」を意識する
押山:「BIMによる一気通貫」っていうコンセプトも、その人間の本質を無視する方向にドライブしてる感じがあるよね。
中村:そうだね。あえて「一気通貫」って言う言葉を使う人も少なくなったけど、BIMの導入が推進される一番の理由は、設計から施工・維持管理までの建築情報の一貫利用だからね。国交省のBIM推進協議会の資料にも、そういうことがいっぱい書かれてるよ。
押山:それに関して言えば「情報は一貫利用するな」と敢えて言ってみたい(笑)。もちろん、現代の大きな方向性としてBIMを使って情報を一元管理していくっていうのは間違いではないと思うんだけど、これまでは情報の連続性が意識されすぎてきたから、これからは、「つながり」よりも「切断」に目を向けていく機会を増やしていきたい。
中村:その「切断」は、建築の実務的にはどういうやり方が想定できる?
押山:具体的には、まずは基本設計・実施設計・生産設計では、それぞれモデルを分けるべきだと思うね。変に一貫利用したり、異なるフェーズ間で相互に情報交換はしない。それぞれのフェーズでやるべきことをやり切る。
中村:実施設計と生産設計を並行させるフロントローディングとかは…
押山:よっぽど上手くやらないと逆効果になることもあると思う。設計者と施工者でフロントローディングを試みるんだったら、少なくともそれをマネジメントする第三者が必須だろうね。設計者は設計のプロだし、施工者は施工のプロだよ。畑が違う。設計の早期の、設計図もまとまっていないような段階で両者が協議して合意できる意義のある結論を出すって、けっこう難しいんじゃないかな。
中村:そうだね。フロントローディングって、設計とか施工みたいなものをつくる側の論理じゃなくて、発注者とかCMの側から、ものづくりを管理する論理だと思う。
押山:なるほどね。発注者側からのコントロールが良い方向に働く場合もあれば、逆に現
場や担当者の柔軟な対応を制約する場合もありそうだね。
人間の能力の限界に寄り添ったBIM
中村:今は2022年で、「BIM元年」と呼ばれる2009年から13年経ったわけだけど、結局はBIMもフロントローディングも魔法のような方法論ではなくて、デジタル技術は人間の能力や時間の限界に寄り添った使い方をしていかなければいけない…我々はそういう結論に至ったんだね。なんというか、身も蓋もない、極めて凡庸な結論になってしまったけど・・・。
押山:それは仕方ないよ(笑)。その結論に至るまでに十数年必要だったんだと思うよ。意匠と構造と設備の関係性ってやっぱり複雑だし、小さくても問題が出てくれば、結論を出すのにはそれなりに時間がかかるし簡単じゃないよ。検討していくうちにA案がA’案になり、それがB案になったらまた検討の条件自体が変わることもあるし。
中村:そういうことなんだろうなあ。技術はどんどんスマートになっていくけど、人間の能力とか対応できるスピードが根本的に向上することはない、ってことなんだろうな。
押山:人間の処理能力自体は早くならないけど、結論を出すための条件整理とか問題発見の確度をあげることは出来る。人間が本当に頭を使わないといけないことに時間を割くために、機械的な作業は極力コンピュータが肩代わりしてあげる。BIMとかDXが果たせる役割って、たぶんそういうことしかないと思うよ。
中村:問題は必ず起きる、未然に防止したつもりでもどこかで必ず起きる、ということだね。ところで、基本設計者、実施設計者、施工者の役割分担を明確にしてフェーズの境界をきちんと区切っていく、っていう理屈を敷衍していくと、日本の建設業界も設計と施工の分離を前提とする欧米の建設システムに近づいていくのかな。
押山:それもあると思う。一方で、設計施工一貫のメリットを活かす会社が増えてくるんじゃないかな。設計と施工をそれぞれ別の会社で受注するんだけど、実は一つのグループ会社みたいな形式になっていて、設計と施工がコミュニケーションとりやすいようになっている、みたいな。今あるゼネコンの設計施工一貫受注と同じような形態だけど、基本設計・実施設計・生産設計・施工、それぞれの役割分担をより明確にしておく。
中村:まあ今までと同じといえば同じだね。コミュニケーションの合理性を考えると、ある意味一番最適化された形式なのかもしれないね。古阪秀三さんが指摘しているように、欧米はバブル期に日本の建設業の設計施工一貫システムを非常に参考にしたし、逆に設計施工一貫が歴史的に根付いている日本は、欧米型の契約主義の設計施工分離システムを参照する。そうやって両方がいいところを互いに参照し合う…っていう歴史が繰り返されるんだろうな。
押山:そうだね。参照の循環というか。