建築生産の歴史と実情【その2】
前回の記事はこちら:建築生産の歴史と実情【その1】
生産設計とDrawingX
海外と比較したときの日本のゼネコン最大といってよい特徴の一つが、生産設計業務の存在です。建築の実務に携わっている方にとっては常識ですが、建築生産プロセスは「設計者は〈設計図〉を描き、施工者は〈設計図〉をもとに施工する」という、単純な成り立ちをしていません。建築工事の現場で運用される図面は作成者・利用目的等によって、大きく分けて三種類に分類することができます。それぞれの図面の呼び名は、業種や企業によって異なる場合もありますが、ここでは便宜的に以下の三つで呼称を統一することにします。
(A)設計図
・作成者:設計者
・利用目的:顧客の要求を整理して表現し、設計意図を施工者に伝達する。入札時の見積資料(見積図)、法や条例への適合を示す資料(確認申請図)として使用する。
(B)施工図(製作図・製品図)
・ 作成者:専門工事業者、メーカー(以下SC)
・ 利用目的:設計図を参照して作成される。現地や建材の工場で設置・加工作業を行う際に、作業員が参照する資料となる。
(C)生産設計図
・ 作成者:施工者(元請業者、いわゆるゼネコン。以下GC)
・ 利用目的:A及びBの図面を参照し作成される。Aに示される設計意図が反映されているか、Bで示される部材・部品同士の取り合いや納まりがデザイン上・品質上適切かどうか、等を検証し最終的に施工される建物の姿を示す資料となる。
設計者は顧客の要求する機能・性能を満足し法制度への適合を表現する実施設計図(A)を作成します。SCは、GCを経由して示される実施設計図を参照して、自分達の請け負う範囲となる施工図(製作図や製品図(B))を作成し、設計者の意図した仕様・形態の製品や部材を製作・施工します。
実施設計図はあくまで設計の仕様、デザインの意図を施工者に伝達することを目的としたドキュメントです。設計が完了し、受注者を選定するための入札が行われる時点で設計者から提出される実施設計図は、そのまま建物をつくるための図面にはなっていない場合がほとんどです。工事を行うためには、実際に現地で作業を行う職人さんや、工場で建材を加工する作業員さんが必要な情報を読み取る施工図を、新たに作成する必要があります。
この過程において、受注者であるGCが果たす極めて重要な役割が、生産設計図(C)の作成です。それぞれの専門工事業者が作成する施工図間の整合を図り、異なる業者によって作成される部品の取り合いや納まりを成立させるためには、複数の工種の施工図情報を統合し、施工されるべき状態を指し示す図面が必要になります。これらのGCが作成する図面を「生産設計図」と呼びます。「生産設計図」には、鉄筋コンクリートの詳細な形状・寸法を記したり、コンクリート打設に先行して鉄筋や型枠内に設置される部材を記載した「躯体図」、建具や内装の詳細な寸法や納まりを記した「平面詳細図」、照明や空調・スイッチの位置まで記載して建物の完成イメージを示す「総合図」などが含まれます。
例えば、外装のカーテンウォールをSCが施工する場合、一般的に鉄筋コンクリートの躯体に外装材を支持する金物(アンカーやベースプレート)を、先行して躯体に埋め込んでおく必要があります。これらの情報を用いて鉄筋コンクリート躯体の完成形を示し、現場での施工を確実に行えるようにするのも「躯体図」の役割です。また、室内の内装や建具の取り付け位置・寸法を記載し、目に見える範囲に現れる設備機器を示す「平面詳細図」や「総合図」を作成しておくことで、出来上がる空間の意匠性や使い勝手を確認することができます。これらの図面を作成するのが生産設計の役割です。GCは、生産設計段階での図面の作りこみを通して、完成する建物の品質や施工性の向上を実現しているのです。
また実施設計図においては、実際に建築物を建設するための情報量が十分でないのと同時に、図面間の整合性が十分に確保されていない場合も多くあります。例えば、日本の設計業務においては意匠・構造・設備の三つの分野に分かれて設計が行われることが通例ですが、意匠図と構造図で示す構造躯体のレベル(高さ)に相違があったり、意匠図に描かれる設備機器と設備図で指定される設備機器の形状や仕様が異なっているなど、完成する建物の姿かたちに大きな影響を与えかねない不整合情報が、それぞれの図面に併記されていることも少なくありません。これらの不整合を整理しながら生産設計図に様々な情報を一元化し、建物を完成形に近づけていくのも生産設計の重要な役割です。生産設計はいわば、設計段階と施工段階を橋渡しする作業ともいえるでしょう。(4)
古阪秀三は、設計・施工情報を統合して一元的に表現する躯体図・総合図のような図面情報を「Drawing X」と名づけています。中国やシンガポールなどのアジア圏、中東、英米での建設プロジェクトの調査を踏まえて、これを担う生産設計業務が元請業者であるGCによって行われるのは日本特有の慣行であると、古阪は指摘しています。
古阪によれば、日本では施工者によって行われているBuildabilityやConstructability(いわゆる施工性)の検証は、イギリスやアメリカにおいては設計者によって行われるべき業務であるそうです。英米においては、生産設計に相当する仕様・形態情報は設計図の段階で既に盛り込まれているべき内容であり、受注者であるゼネコン(GC)が詳細な図面を書くことは通常ではあり得ません。英米では設計図をもとに施工を行うのはあくまでサブコン(SC)の役割であり、ゼネコンが図面を作成するのは日本に特徴的な慣行であることを、複数の国・プロジェクトの調査結果をもとに報告しています。古阪は、日本のGCが海外進出した際にこの慣行をそのまま海外の事業において適用しようとしていることが、日本の建設企業の海外進出の支障になっている可能性を、批判的に示唆しています。(5),(6)
続きはこちら:生産設計とプロジェクトの透明性【その1】