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透明な建築生産(仮)

はじめに
会社を設立して3年が経ちまして、自分が考えていることや、問題意識を言語化していかなくてはいけないなと感じはじめましたので、会社のnoteアカウントを作成しました。どれくらいの頻度で更新できるかわかりませんが、なるべく更新できるようにしていきたいです。
私は建築関係の仕事をしいるのですが、建築が出来上がるまでの工程、いわゆる建築生産プロセスに違和感を持っていました。これまで上手く言葉にできないまま過ごしてきましたが、ここ数年で少しずつ言語化できるようになってきました。日本の建築生産プロセスは、よく言われていることかもしれませんが、無駄な業務が多いとか、出戻りが多いとか、責任があいまいであるとか、そういった問題が挙げられます。細かく見ていくとあらゆるところに不可解な部分があるのですが、どうしてそうなるのかがわからず、なかなかその全体像がつかめないままでした。
よくわからないので、とりあえず建築生産とゼネコン(総合工事業)に関する書籍をAmazonの一番上から一つずつクリックして読むようにしました。そして驚いたのが、30年前の1990年頃にはこれからの建築生産プロセスにおける問題として今と同様の問題が取り上げられていたことです。そこで書かれている内容は30年経った今でも自分が同じように体感していることに愕然としました。30年前に語られた問題はそのまま何も変わらずに現在まで残り続けていました。そんな私の絶望感というか、ああ私が生きている間にはこれを変えるのはかなりしんどいなという思いも含めてこうしてnoteに記しておこうと思います。正直私の感覚では、現在の建築生産プロセスは基本的に破綻していると思っています。というより求められる建築生産プロセスに制度も人も技術もついていけていないというのが正しいかもしれません。
今までは中の人間たちが魔法 (休日出勤や残業の意) を使ってなんとか建築プロジェクトを成立させてきた経緯がありますが、人も減り、技能者もへり、高齢化も伴うそんな中で、どうやって成立できるのでしょうか。私が参加したプロジェクトはそのほとんどが魔法使いによって成立しており、スケジュールは常に破綻していました。それでも何とかやれているのは、結局のところどこかが圧迫されているからなのだろうと思います。これは見えないのでわかないですが、おそらく派遣社員であるとか、工場の人であるとか現場の人であるとか、もしかしたらプロジェクトに参加している人のほとんどがその対象かもしれません。このような状態になった建築プロジェクトに参加し、いったい誰が得しているのだろうかと考えていましたが、特定の謎な中間業者を除けば、誰も得していないのではないかと感じています。プロジェクトを支えている業者たちは皆疲弊しながら、リスクを内在し続けるという状態であり、建築を依頼した側も品質が不安定な状態の建築を数十年と保有しなくてはいけません。また建築物が引き渡された後に問題が見つかれば、訴訟や和解などの交渉を行わなければなりません。(日本の場合そのほとんどのトラブルが和解となり表には出てこない場合が多い)そんなことを思いながら、自分には何ができるだろうかと考えた結果、まずは建築生産をより良くしていく実践の場として3年前に白矩という会社を設立し、現在も地道に活動しています。またこの文章についてぜひ建築業界に全く関係ない人でも理解できるよう出来るだけ図解などを加えて書いていきますので読んでいただければ幸いです。

興味がある方は以下の本が面白かったので読んでみると良いかもしれませ
建築生産
日本のゼネコン―その歴史といま
今、なぜ建設業のISOか―9000s認証取得への手引き
犠牲と変革―岐路に立つ建設業
生産の構図―日本の建設業の断面