浦島次郎日記/2024年夏編の1
焼酎学校、いや小中学校の夏休みも終わり秋の気配が漂い始めたハノイから温室効果で蒸し風呂状態のニッポンへ今年2度目の帰国です。
これまで7月はサラリーマン時代に誕生月の健康診断もあったりしてほぼ毎年帰っていました。8月に帰るのは極めて久し振りー。っていうか15年目にして初かも
老後の楽しみのため、驚愕の出来事など綴ってまいります。
8月14日 水曜日
5時に家を出て5時45分Noi Bai空港着。Onlineチェックインしたので荷物預けの短い列に並び6時15分には手荷物検査場を通過。予定通りなら飛行機に乗り込むまで1時間以上ある。
免税店で家で飲むウィスキーを買い搭乗口へ。お盆休みでこっちに来てもう帰るニッポン人が大勢いた。
ほぼ定刻の8時過ぎに離陸。ニッポン時間14時過ぎ、着陸態勢に。山を爪で削り取ったようなゴルフ場があちこちに見えるが多くが芝が枯れ営業していないように見える。潰れても農薬撒き散らしているから木なんか生えない。
太陽光発電のパネルも至るところに。空港に近づいたところで見えたのが巨大な円形のアレ。膨大な労力と木材が半年でゴミになる。
14時半、関西空港に着陸。相変わらず工事中の空港は早くも盆休み帰国ラッシュで大混雑してて税関審査でQRコードをかざすだけのところが長蛇の列。やれやれ
外に出たらとんでもなく暑い。15時半のバスに乗り大阪駅へ。
16時半、これまた大混雑のバス乗降場でツマと再会し阪急名店街の居酒屋へ。空腹でビールと肴が腹に沁みた。壁にあの人の写真。
阪急電車に乗り19時、家に到着。ドアツードアで約12時間。空港から空飛ぶタクシーに乗れたら多少楽になるだろうけど生きてる間はムリだろう。
21時、ベトナム時間19時、早くも寝る。明日からは朝散歩して川縁でコーヒー飲んで、平日は10時頃から少しシゴトしてWeb会議なんかにも出て、みたいな生活。
大イベントが1つに中イベントが2つの予定。
8月15日 木曜日
ニッポン敗戦の日。ウチの家系は戦争で没落して父親がHopワタシがStepでムスコがJump。因みに祖父は8月16日に戦後地で死んだことにされている。戦死者じゃないってこと。そんな国だ。
敗戦後20年くらい経って賞状みたいな紙と金杯だか銀杯を国からもらったが祖母はゴミ箱に捨てた。
5時起き、朝は涼しい。6時、コーヒーと弁当を持って川縁へ。ラジオ体操の高齢者とか犬の散歩の団体とか。戦争と地震と台風の脅威のもと、束の間のヘイワ。
武庫川沿いに少し歩いたら幅75cmの橋というのがあり渡る。通勤の人に後ろからせかされた。
8時、家に戻りメールの返事書いたり多少の仕事。11時、ツマの用事に付き合い梅田へ。一人じゃコンビニにも行けないので付き合うしかない。レジの前で呆然となる
12時、昼。牛タンではなく豚肉ととろろご飯のセット。ここの注文もタブレットでレジは無人で機械にQRコードかざして、、
ハノイにもそういうのはあるが昔ながらのやり方も使える。要は機械化の目的が人手不足とか人件費削減とかそういう目先の問題ではないのだ
西宮北口の巨大ショッピングセンターで買い物。ここも大混雑。
17時、家。軽く飲んでまた早く寝る。
8月16日 金曜日
5時起き、6時から5k.走る。朝は涼しい。
朝メシ後シゴト。大イベントの前日で特に予定なく昼前にバスで近くのショッピングセンターへ。巨大なだけでスカスカ。何か買おうと思ったUniqloもない。スタバでコーヒー飲み、電気自動車の充電スタンドなど見る。帰りもバス、バス停に同世代の夫婦。みんなすることないんだな
T駅近くのビルの中の携帯電話の店へ。何しろ8年振りの買い替えなのでまさに浦島次郎状態で、今使ってるSimカードが使えるのか、とか、店のニーさんがそんな質問に丁寧に答えてくれた。
今回の買い替えでワタシの一つの願望は今の機械には電子的なsimが備わっていてそれを使ってニッポンでもインターネットが使えるようにしたいということ。何しろニッポンはwifiが飛んでいる場所が極めて限られるので電話機能以外は使えなくなるのだ。
結局大手の電話会社で契約すると最低1か月8,000円と聞き諦める。
家に戻り飲み始め、以降特記事項なし。
明日は大イベントなので早く寝る。いや、何もなくても早く寝る
つづく