Is She Got the Sun?
アイドルマスターシャイニーカラーズにこの度、といってもちょっと前に実装された、浅倉透の「Landing Point編」のシナリオを読んだ。自分の中で内容を整理するためにも、感想を思いつくままに書いていきたい。
今回のシナリオは、ざっくりまとめると浅倉透が自分の欲望に気付く話だったように思う。一つ前の「G.R.A.D.編」では、彼女は自分に「心臓」があることを発見していた。「ミジンコに心臓はあるのか?」というメタフォリカルな問いを通して、心臓が、すなわち情熱が確かに自分の中にもあるのだと気付いた。「心臓」を情熱と言い換えてしまうのは少し急ぎ過ぎているかもしれない。あのシナリオ内での「心臓」はもっと「生きる意思」のようなある種漠然とした広いものだったような気もする。
そんな「G.R.A.D.編」を経ての「Landing Point編」は、変わっていく(失われていく?)もの達を透が羅列するところから始まる。その直前、一番最初に我々の耳に入ってくる音がパトカーか救急車らしきサイレンであることも記しておきたい。始まりからして大きな変化を予感させる。そして、危機も同時にあることを意識させられないわけにはいかない。
その後、透は「洞窟みたいなアパートメントで爆弾みたいなほんとにやばいやつ」を作る人物が主人公の映画について語りだす。私がそのあらすじで思い浮かべたのは『太陽を盗んだ男』だったのだが、同じ推測をしている人が結構いたので、あの映画をモチーフとしていると見てまず間違いなさそうだ。どうしてそんな映画がストーリーの核の部分に置かれていたのか、その理由は、GRADが「心臓」を見つける話だったのに対し、今回のLPは言わば「爆弾」を見つける話だったからではないかと思う。
透のパーソナリティはどこから来ているのだろう、とずっと不思議だった。限られた登場シーンから察しただけではあるが、透の母親はとても良い人物のようだったから、あの母の選んだ人なら父がとんでもない毒親だなどということは考えにくい。祖父母などから抑圧されていた可能性もゼロとは言い切れないが、そこまで深読みするのは多分意味がない。そうなると、透のあの奇妙な脱力ぶり、無気力とすら見えるのが常の在り様は、良くない家庭環境の弊害ではないと思われる。
もちろん、性格は家庭環境だけが影響を及ぼして形成されるものではない。生まれ持った性質によるところも大きいだろう。透のような人の場合は特に、生まれつきあんな風だったのではないかと思わされる。家庭環境は彼女に影響を与えたのではなく、むしろ悪い影響から彼女を守ったのかもしれない。生来の性質を損なわないよう守られてきた結果が、現在の浅倉透なのではないだろうか。
しかし、憧れてしまうほど眩しく思えると同時に、私にはどうしても透が何かを諦めているように見える。すごく素敵だと思う。真っ直ぐで、友達思いで、やる時はやるし、嫌なことはきっぱりと断る。ただそれでも、本心は常にどこか別の場所にあり、本当の自分は誰にも見せていない。そんな気がしてしまう。透の心の闇についての勝手な憶測は過去にも書いたことがあるので、良かったら見てみてほしい。
どうしてこんな風に思ってしまうのかは、はっきり言ってよく分からない。もしかすると、透が口下手だからかもしれない。彼女はよく「わからない」と言う。しかし透がそう言うとき、本当に理解していないこともあるだろうが、多分実際には「わからない」のではなく「うまく言えない」だけなのだと思う。この感じをどう言ったらいいのか、思っていることはあるけどちょうどいい言葉が見つからない、だから「わからない」とつい言ってしまう。具体的に例を今すぐ挙げることはできないが、明らかにそうとしか思えない場面がたくさんあったような覚えが、とても強くある。口下手と言うほどではないにせよ、そんな彼女のことを口が上手いとは、間違っても言えないだろう。
それだ。きっと、まさしくそれこそが「爆弾」なのだ。透の中には、口に出されなかった感情や感覚が、これまでずっと澱のように溜まり続けてきていた。言葉にしたくても出来ずにいたじれったさ。長い間ちょっとずつ蓄積されてきたそうした思いが、いつしか今にも爆発しそうな爆弾となっていた。その存在に透自身が気付く話が、浅倉透の「Landing Point」編だったのではないか。
終盤、プロデューサーが「これからはもっと俺も言葉にするよ」といったようなことを言っていたのを思うと、ますますその思いは強くなる。考えてみれば、透は初登場からずっと「わからない」存在だった。プロデューサーと既に出会っていたという事実もWING編を始めてすぐには理解できないようなシナリオの作りになっていたし、「天塵」にしても「海へ出るつもりじゃなかったし」にしても、透が何を考えているのかは彼女が実際に何か行動を起こしてみせてくれるまでこちらには分からないことが多かったような気がする。
その「わからなさ」が個性、ひいては魅力となって、作中・現実どちらにおいても多くの人々を惹きつけてきた。浅倉透はよくわからない。予想がつかない。そこがいい、というように。暗黙の了解のようになっていたそんな認識を、今回のシナリオは果敢にもぶち破ってきたのである。わからないままでいいわけがない、と。もっと分かり合っていこう、と。アニメやゲームのキャラクターは、程度は違えど性格が誇張されていて、この人はこういう性格、と一言で言えてしまう場合が多い。そんな「こういう性格」をあえて崩しに来た。そう思うと、やはりノクチルはいつか何かのインタビューで高山ァ! が言っていたように、いつまでも挑戦をしていくアイドルなのだろう。これまでは考えられなかったものを、今後も見せ続けてくれるはずだ。
テーマ的な部分のことばかり書いてしまった。具体的にどのシーンがどう良かったみたいなことももっと書きたいので、また後日そちらは分けて書くと思う。まだまだ全然書きたいことを書ききれていない感覚がある。本当にもう語り足りない。あまりにも良すぎる。ありえない。天才。神。完璧。
語彙も消し飛び始めたところで、今回はこのへんで。
最高の物語に出会ったとき特有のどんな曲もテーマソングに思えるやつになってる。