短編小説『ギシギシ』
冬の空気に混じるファストフードや牛丼の安い油の匂い。空き地に寝転んで泥が髪に服に染みていく気持ち悪さを感じていると段々なにも考えられなくなっていった。土に還るってこんな感じだろうかと少しだけ思った時、指が飛んできた。
比喩でも何でもなく人の、恐らく女性の、さらに恐らくは中指。
「あ、ゴメンそれ私の」
ヨロヨロと歩いてくる女性は血を滴らせていた。左手を押さえながら震えている。
「ごめんなさい、ごめんなさいね」
そそくさと拾って立ち去ろうとする様はさも忘れ物を取りに戻ってきたようだった。
「あの!」
バシャーン! と水音を立てて立ち上がった僕が言えたことは「どうしたんですか」という普通の言葉で、女性から返ってきた「君こそどうしたの?」という笑顔もとても普通に思えた。
女性は中指を切られ、僕も右目をえぐられていることを除けば。
「これはちょっとした手違いです」
「そう」
自然に並んで路地裏を歩き始めた。探していた半身を見つけた感覚。手放したくない。まだ手に入れてないが。
「病院ね、この先に3つあるの。怖い先生と可愛い先生と変態の先生。どうする?」
可愛い先生は本当に可愛くて何だか帰るに帰れず自分の診察が終わっても残っていた。指を切られた女性は昔の友達と話しているかのように笑顔に溢れた社交辞令を並べている。「はいそれじゃあこの薬を日に三回つけるのを忘れないでね。あんまり何回も忘れちゃうと途中からそれ以上生えなくなっちゃうから、指。ティラノサウルスみたいになるのよ。可愛いけどね」
「あはははは」
「はいそれじゃあお大事に」
僕は見逃さなかった。女性の小指が、手の内側のほうにもう一本あったことを。
「タトゥーみたいなものなの。人体改造。スプリットタンとかスキンリムーバルとかインプラントとかと同じ。自分で指を切って薬でまた生やす。ちょっとデザイン性とか考えながら」
「なるほど」
「君もしてみたら」
「目も作れるかな」
「聞きに行こう」
変態の先生の変態性は芸術の域に達していて思わず洗脳されそうだった。物理と言葉のどちらでも洗脳出来るこの人は現人類の中でもかなりの強者だろう。
「何色が良い? 堅さは? 白目とのバランスはどうする? 何個必要? 実用と鑑賞と食用で最低三個は確定としてスペアはいくつ欲しい? オッドアイに憧れは? むしろ左目も義眼にするかい? こんな汚い世界もう見なくて済むぞ?」
どれから答えていいか分からないし最初のほうの質問は忘れてしまったから「ひとつで良いよ」と言い捨てて帰ろうとした。「あげるよ!」と投げられた義肢は前衛的すぎて腕か脚かよく分からない。
「一日に人体の部品が二回も僕に飛んできた」
「良い日ね」
せっかくだから怖い先生も会ってコンプしとこうと連れ立って訪ねた。「問題ないね」としか言わず風邪薬しかくれなかったのに四千円取られた。お金って怖い。